高校一年生のクラス会

  

 今年9月の最初のブログで、11月28日の日曜日に県立奈良高校一年生の時のクラス会をその時のクラス担任の恩師を囲んで開くことになったことをお話ししました。そして当日、その時の担任、上田先生を入れて12名の同窓生が集まりました。遠くは川崎から駆けつけてくれた人もいました。私たちが一番嬉しかったのは、上田先生が髪の毛はグレーになってしまわれたけれど、私たちと半日一緒に歩ける程、お元気だったことです。

 私が奈良市内の近鉄西大寺駅にある市立中学校を卒業し、県立奈良高校に進んだのは、今から45年前にもなりますが、旧い時代のことながら、その頃のことは不思議なことに昨日のことのように記憶が確かです。昭和38年と言えば米ソ冷戦の真只中であり、アメリカの大統領はケネデイー、ソ連の首相はフルシチョフ、日本は国民の所得倍増政策を進める池田勇人首相の時代でした。日本国内は翌年の東京オリンピック開催に向けて、東京都心の高速道路や新幹線の建設を急いでいた時代であり、中でも一番衝撃的に記憶されるのは、オリンピックの国際実況中継に備えてのNASAから初めて全世界に送られた衛星放送が、悪夢のようなケネデイー大統領暗殺のニュースだったことです。

 当日、私たちは近鉄京都線の伏見桃山御陵前駅に集まり、すぐ近くの料亭、魚三楼の座敷で昼食をとりました。残念なことに私たちは50名程の学級だったのですが、既に一割の人が亡くなっていたことです。気の毒にも癌が末期に発見された人もおれば、仕事の過労やストレスで突然亡くなった人も複数おられたようで、生活の時間と情熱の殆ど総てを仕事に注いできた私たち団塊の世代ならではの因果であり、他人事ではないと顔を互いに見合わせたものでした。しかしそこで75歳になられた恩師が、人生は前向きが大事!とおっしゃっていただき、そうだ、そうだと頷く私たちでした。

 奈良にいた人間が何故京都伏見に集まったのかと申しますと、本日のクラス会の幹事の一人の女性が、この付近に住んでおられて、宴会の後は酒造りの街、水運の街、歴史の街伏見を案内していただくという企画で、宴会場から一緒に徒歩で伏見の街を散策いたしました。案内されたのは、月桂冠大蔵記念館、十石舟による遊覧、坂本龍馬が泊まった寺田屋です。私たちはこの街を案内して下さる女性幹事さんの顔で、大蔵記念館の中では、私たちのグループ専任のガイドさんがついて下さり、一般の観光客では入れない酒蔵にも足を踏み入れることができたことはとてもラッキーでした。