職を探しておられる人に

アメリカの金融危機から始まったこの不況によって、突然職を奪われる人々や、決まっていた就職の内定を入社直前に取り消された人々や、中には住む家まで追われた人々が、それも実に多数おられるとのことで、本当にお気の毒に思います。そういう方にすれば、仕事を探すことが急務でありますので、それについて私が思うことを書かせていただきました。

私は戦後まもなく大阪の阿倍野区で中小企業の経営者の息子に生まれました。そんな商売人の親の背中を見て育った私でしたから、幼い頃から私にとって生きるというイメージは、何か商売をして生きるということでした。バブル景気が弾けて就職氷河期の時代になったときのことですが、若い人は口を揃えて仕事が見つからないとこぼしていました。私にすればそれは大変気の毒に思うものの、そんなことを言い訳に、就職しようとしない若い人には、もの足らなさを感じたものです。何故なら仕事が無いのなら、なぜ自分で事業を起こそうと考えないのだろう?と思ったからでした。

世間の人がこの自分にしてほしいことをするのが仕事だ、ということなら、仕事はいつでもどこでもいくらでも転がっているのです。ただそれらに報酬がついているのかどうか、私は知りません。報酬を伴うという条件さえ削除すれば、世間があなたに望む仕事はいくらでもあります。そしてそれは大変難しいことかもしれませんが、あなたが報酬を求めず、先ずはその仕事に誠心誠意取り組み、世間が満足する結果を出したなら、その後で世間があなたを決して悪いようにはしない筈なのです。但し私の信ずるところでは、後からの報酬を期待して我慢して仕事をするのなら、後になっても報酬が得られない場合があります。これも私だけが言うのではなく、大勢の方の共通の体験知なのですね。

私は今、南大阪の堺市美原区にて霊園の事業をしております。近日霊園を管理する職員に欠員が生じますので、この度地元で若干名を募集しますが、恐らく募集人員の数十倍の方が応募面接にいらっしゃるだろうと思います。採用者を選別する霊園側といたしましては、どんな基準で選別するだろうか、と職を探しておられる人なら、一度逆の立場で想像してみられたら良いと思うのです。仕事の内容もろくに質問せず、いくら貰えるの、いつが休みなの、と知りたがる人など、会社は採用したくありません。接客ができる、経理ができる、PCに強い、は素晴らしい技能ですが、同じような技能を持つ人なら、この仕事をしたいと強く要望する人の方を、どんな会社でも選ぶと思うのですね。