命の輝き・共生の森の草抜き

 7月の最後の土曜日、午後2時から約1時間半、宗教団体「生長の家」の大阪教区が主催する、夏休みを利用した「高校生練成会」の中で、大阪府中環の森計画・東大阪地区にて「命輝き共生の森」協議会が,生長の家の関係者や、各種ボランテイア団体、付近の一般市民らと共に、昨年秋と今年の春の2回に分けて植樹した約2千本のどんぐりの苗木の周りに、今や鬱蒼と生えた雑草を抜き取る、という野外研修が行われました。勿論協議会の主要メンバーである「生長の家栄える会」からも私を含め有志が十名ばかり参加しました。

 草を刈るのなら機具を使うのが楽で早いのですが、苗木はまだ1メートルにも成長しておらず、草刈機を使えば植樹した苗木も一緒に刈ってしまうことになります。ですから成長しつつある苗木の周りに生えている草は、面倒でも人間の手で一本一本根からピッキングで抜いて行くしかありません。集まった11名の高校生諸君は、高校生練成のお手伝い役のほぼ同じくらいの人数の青年会の諸君と共に、植樹した場所が実に広い場所だったにも関わらず、泥だらけになって懸命に草を抜いてくれました。

 苗木ももう少し大きく成長したら、夏の日照りの中、水をやる心配も要らなくなるし、草の方が負けてあまり生えなくなるのかもしれません。これは人間の成長でも同じ事が言えます。人間も独り立ちができるまで、親に何から何まで面倒を見て貰わないと生きては行けません。地域社会の緑化の為に植樹をするのは楽しいが、問題は植えた後、しばらくはしょっちゅう植えた木々に水を与えなければならず、また根本から生えて来る草も養分が取られないようにすかさず抜いてやらなければなりません。

 苗木を抜かないようにと慎重に識別して草を抜きながら、高校生諸君や青年会の諸君は、自分が誕生して一人の人間に成長するまで、自分の親たちがもっともっと大変な手間をかけ、愛情を注いで、自分をここまで育ててくれたことにきっと気づいてくれたことだろう、と私は思うのです。また私自身もしみじみとそう思ったものです。このように親のありがたさ、生を受けるありがたさ、を思い起こさせていただいた本日の行事に感謝いたします。