戦場カメラマン、渡部陽一氏の講演に感動して

  

 世界の奉仕団体であるライオンズクラブ国際協会のライオンズという意味は、ご存じの方も多いでしょうが、“Liberty, Intelligence, Our Nation’s Safety ”(自由を守り、知性を重んじ、われわれの国の安全をはかる)というスローガンの頭文字を並べたものです。
4月29日午後にライオンズ国際協会335-B地区(大阪府と和歌山県)の第58回年次大会が大阪国際会議場の大ホールにて盛大に開催され、それを記念して大会終了後の16時45分から18時まで、戦場カメラマン、渡部陽一氏の「家族の絆―世界100カ国以上の家族と過ごした時間」と題する講演が同会場で行われました。


 渡部氏が訪問した国は、既に130カ国に上っています。先ずはアフリカで、長く内戦が続いたルワンダで見た、無理矢理親元から引き離され、兵隊に仕立て上げられ、武器を持たされて戦場の最前線に追いやられ、その尊い生命が鉄砲の弾のように消耗されていく子供達の悲劇について語りました。渡部氏は熱っぽく言いました。一旦内戦状態になると当事者同士では戦争を止めることはできないのだ、と。だから第三国が仲裁に入らなければならない、日本人よ、勇気を出して内戦の仲裁者に名乗り出てほしいと。


 渡部氏が何度も繰り返したのは「戦争の犠牲者はいつも子供だ!」という言葉。イラク戦争(湾岸戦争)については、私たちが知らされていなかった恐ろしい事実を暴露しました。それはアメリカ軍がイラクの国土に発射した劣化ウラン弾のその後の被害についてでありました。この爆弾は、それが落とされた町を福島第一原発の周辺に勝るとも劣らない放射能の汚染地にしました。しかも弾が地中深く打ち込まれているため、地表の徐染をしても放射能は収まりません。結果後日、イラクでは片目が無い子、首の後ろにこぶがある子、髪の毛の無い子など、奇形児がいっぱい生まれて来ているのです。この子達は戦争中、お母さんのお腹にいた子供達です。だから何の罪も無い子供達なのです。


 今世界で争いのある地域では、大人には職がない為に、子供が街頭で物売りをして、一家の生活を支えていることが多いようです。戦後のイラクでも、家族で米が食べられる100円くらいのお金を、子供達がなんとかして稼ごうと、バナナなどを街頭で売っています。またアフリカの砂漠地帯では、遠くまで水をくみに行くのが子供の仕事になっています。そんな中、それが机も椅子もなくたとえ床の上に座ってでも、学校で授業が受けられる子供達は幸せで、実に楽しそうだ、と写真を見せ、この子達に、なんとか救いの手を、という気にさせる、聞いていて涙が止まらない感動的な講演でした。