気づきと親切こそ商売成功の原動力

 4月18日の午後、松原商工会議所の活動の一環である「女性活力塾(第11回)」に参加し、今回のメインイベント、私が所属する松原ライオンズの大先輩でもあり、松原商工会議所の会頭をされている、幸南食料株式会社 取締役会長 川西修氏の「ちょっとの気づきで企業も人も変われる」と題した一時間半の講演を聴いて参りました。


 川西会長の講演は「振り返れば向かい風が多かった。今も日本人の食の多様化のために米穀流通業界は向かい風の中にある。ではどうすれば良いのか?」の問いかけから始まり、学校を出て米屋に勤めた時代の苦労談に続きました。リフトを使わず、60キロから100キロもある米の袋をトラックに積載したり、降ろしたりする仕事が主で、あまりの辛さに同僚はどんどん辞めて行きました。このような厳しい仕事を乗り越えて来られたのは、目標があったから、我慢したから、諦めなかったから、と述懐されました。


 川西氏は21歳の時、松原市の高見の里の7坪の店舗を借りて米屋として独立しました。その時、それまでの雇い主から「商売は商品よりも親切が先」と教えてもらいます。客に売るのは商品ではなく、「気づき」と「親切」だ、ということ。しかも「気づき」と「親切」は共に原価がタダ(無料)、そこに商売の成功への道がありました。
川西氏は独立後、毎日周辺500軒の家を歩いて回り、米を買ってくれる顧客の開拓を始めました。しかし往時、米は酒と共に流通が行政の保護の下にある商品で、既設の店舗がしっかりと顧客を押さえていました。だから顧客を他店から奪ってくるなどは大変困難なことでした。川西氏の靴を毎月何足も履きつぶす壮絶な顧客開拓の努力も実りませんでした。


 そこで川西氏は顧客の側に立って考え直し、往時は米屋が絶対にしなかった、土日の休日も、夜間や早朝であっても、配達する場所が高層住宅の階段を何段も登る部屋であっても、どんな所にも客の指定する時間に配達する店に変えました。それをチラシに打ったところ、これが商売を後の大成功に導きました。川西氏から米を買って喜んだお客が又お客を紹介しました。その後も世の中は消費者主権の時代へと大きく移って行きましたが、常に「顧客への親切を第一に」と考えた川西氏は、時代の動きにうまく乗ったと言うべきでしょう。


そして今の時代は「もののクレーム」から「人のクレーム」を企業が受けるようになったと参加者に忠告されました。ですから企業幹部は、従業員教育を徹底させねばならない、と。顧客に対しては「気づき」と「親切」がモットーですが、その前に店に来たお客の心を明るくする、元気な「挨拶」ができるようにすること。元気な挨拶こそ、自身が、店が、前向きである表れです。そして挨拶には「気づき」と「親切」がある一言を付け加えさせたいと。それができた部下には昇進させたいと。そして企業の幹部は、自らが率先してそれを行い、従業員の心に火をつける者となれ、と言われました。因みに幸南食料は現在、資本金7千万円、年商230億円、従業員106名の会社です。