団塊世代の宴(奈良高校同窓会)

  

 私という人物を云々するなら、今の事業との関わり合いを抜きに言うことはできないでしょう。私を事業家に育てたのは、先ずは職場の上司である父親だったと言うべきです。しかし父だけではありません。私の様々な体験の総てが私を育て上げました。勿論、私はまだ成功の身ではなく、これからも自らを磨き、努力と精進を重ねなければなりません。


だから自分の体験を自慢げに述懐する歳でもありませんが、何度もあった絶体絶命の苦難の時に、私に決してギブアップさせなかったのは、経営学と会計学では学界をリードする志望大学に入学できたこと、体力的にきつかった体育会クラブを落伍せずOB(クラブ卒業生)になるまで続けられたこと、又その後、世界を舞台に活動する商社に籍をおいて、父の会社に転職するまでの3年間、営業の真似事でもできたことから来る私の密かなプライドだったと思うことがあります。


 団塊世代として大阪に生まれ、大阪に育った私は、家族の引越と共に大阪のベッドタウンと呼ばれる奈良西郊地区に住むようになり、奈良市内の私立小学校に中途入学した後、市立中学、県立高校に進学しました。上級学校へ進級する毎に私の学力を着実に向上させていただけたとそれぞれの学校教育には感謝しています。私は県立奈良高校に通う3年間に、自分の進路を概ね定めることができました。高校の学友たちに励まされ、志望大学もかなりハードルを上げ、その受験に果敢に挑戦することになりました。


 私たち団塊世代は次第に現役から離れ出す人が増え、高校卒業年次のクラス会が散発的に開催されるようになって、この4月22日に私たちの学校が元あった場所である春日野荘に1組から13組まで全クラスが一カ所に集う同期同窓会が開催されることになりました。1クラス十名から十数名が集まりました。画像でもご覧の通り、なかなか芸達者な人が多く、延々と隠し芸の披露が続きました。


 私たちが高校2年生だった昭和39年は東京オリンピックが開催された年です。この時、東洋の魔女と言われたニチボー女子バレーボールチームに見事金メダルを獲らせた監督の大松博文氏は、その著書「なせば成る」の中で「幸福は近くにあると言います。まことに幸福とはそれを得るまでの苦しみの中にありました。無味乾燥の代名詞のような受験勉強でさえも必死となって取り組んだ人には忘れがたい懐かしさとなって甦って来るものです。」と言いました。この言葉は往時大変話題になって、私も暗唱し、校友たちを励ますのに使わせてもらいました。