第12回 伏見中学同期同窓会「伏中三八会」

 長らく投稿いたしませんでしたが、平成26年5月31日土曜日に、私が永年幹事を務める奈良市立伏見中学校(近鉄西大寺駅から線路沿いを西に10分歩いた小高い丘の上にある)の同期同窓会「伏中三八会」(三八は昭和38年春に卒業したことを示す)が、奈良の富雄川沿いの梅の花奈良店で開催され、32名が集まったのを機にブログへの投稿を再開することになりました。


 同窓会は2年に1度の開催です。参加者はその殆どが常連さんであって中に数名、会毎に入れ替わっています。会を追う毎に昇天される友人が現れ、葉書で案内を出した二ヶ月前は、参加者もせいぜい二十数名かと思い、会場の梅の花さんにそれくらいの部屋を予約していたのですが、返信葉書を見れば意外に出席が多く、途中で慌てて広い部屋に変えてほしい旨申し入れた次第でした。


しかし広い部屋はあっても、困ったことに予約で一杯だったのです。このままではせっかく同窓会に来て下さっても、座る席が無い人が出て来ます。そこで梅の花さんが、その同じ時刻に30名以上入れる大きな部屋を予約されているお客様と電話で部屋替えを交渉して下さったのです。同窓会の一週間前には、なんとかそのお客様の了解が得られ、私たちは広い部屋を使わせてもらうことになりました。


 さて戦後の昭和22年4月~23年3月の間に生まれた私たちは、前後の年に生まれた人々を加えて「団塊の世代」と言われ、あまりにも同世代の人間が多くて、小さい頃から入学試験や昇級試験の度に競争に追われて来ましたが、一旦社会人になればとても仲が良く、結束のある世代でした。恐らく一番同窓会を楽しむ世代ではないかと思います。同世代の結束が固いのは良いのですが、問題がない訳ではありません。


これは私一人思っていることなのかもしれませんが、私たち「団塊の世代」は、同世代の結束が固い分、他の世代との交流を少し好まないところがあるように見えます。誰もが携帯電話を持っていますが、その殆どの人が使うのは、所謂ガラケー(ガラパゴス携帯)と言われる旧来型の携帯電話です。私が知る限り、それは年齢だけの問題ではなく、流行する「スマホ」は団塊世代の上の世代でも結構使いこなされています。また団塊の世代はSNSのFBにも殆ど参加していないのが特徴です。だからこそスマホも不必要なのですね。こういう状態が続くと、益々他の世代との意見交流も進まず、孤立した世代になるかもしれません。


 私の様に毎日スマホでニュースを観て、FBでは私より若い世代の中で300名を超える友人を選んで毎日投稿し合って生活を楽しんでいる人間は団塊世代では例外的なのかもしれません。もし団塊世代がもっとFBに積極的に参加してくれたなら、私は今の倍以上の”FB友達”を作れるのでしょうが。


私たちは最後に校歌を歌って解散しました。校歌の二番の歌詞には「生駒を背(そび)ら、東風(こち)吹くところ 飛梅ゆかりの郷土に栄えあり・・・」とあります。私たちが卒業した奈良西大寺の伏見中学校がある「菅原」が、千年の昔、平安時代の優れた政治家、学者であったのに、藤原氏の陰謀によって九州太宰府の長官に左遷された菅原道真が、生まれ育った地であること思いだし、在校生は郷土の偉人、道真公に習って勉学に勤しむように、と諭しているのだと思います。


 同窓会が終わっても、まだ仲間と一緒にいたいと思う三分の二くらいの人が隣の町のカラオケ店に出かけ、気が済むまで思い出話に浸っていました。では二年後にまた会いましょう。それまで皆様、ごきげんよう。