善き願いは必ず叶えられる (その4)

地主さんには「南阪奈吉祥霊園」の開発断念を快く了承していただきましたが、開発に要した経費が回収できなくなったことや、また一から霊園用地を探さなければならないと思うと私は気が滅入りました。美原ロイヤルからそう遠くない地で、お客さんが望まれる素晴らしい霊園用地を探せる可能性は一体何%かしらと不安になってきました。思えば近隣住民の同意書が行政の許認可に必要だった美原ロイヤルメモリアルパークだって、開発成功の可能性は正直1%有ったかどうかでした。
墓参を考えれば霊園が近くにあるのは良くても、あまりに霊園が近いと自宅の資産価値が下がるのではと思うから、霊園開発に同意する人など現れそうにありません。しかし99%駄目だと諦めるのか、1%でも可能性が有るならチャレンジしてみるのか、二つに一つなら、私の父親は勇敢にも後者の、常に前向きな、希望を捨てない人間だったのです。

可能性が1%、という言葉に最近のラジオ番組を思い出しました。ゲストとして出演していた女性の体験談です。昔、医者から癌だと宣告された揚句に、「治る可能性は残念ながら1%です。それでも手術を受けられますか?」と言われたそうです。医者にすればもう治す手立ては無いから、後は自宅で残された時間を思い残すことなく過ごしてほしい、と言いたかったのかもしれません。暫く声も出ない程意気消沈されたその方ですが、持ち前の前向きな性格が頭を持ち上げ、だが待てよ、治る可能性が1%もあるってお医者さんはおっしゃっているのだ、だったらその1%に賭けてみようと、「先生、1%は助かる見込みがあるのですね! 私、先生を信じて手術受けてみます」とお医者さんを逆に癌患者さんが勇気づけたのだそうです。「そうしたら奇跡的に手術がうまく行きまして、すっかり元気になりました」とその方はラジオ番組の中で明るく笑っておられました。

 人間はどんな苦境に立っても、「その人に解決できない問題は(神から)与えられない」という先人の言葉を重く受け止め、最後の最後まで問題解決の努力をしなければならないと私は学んでいます。絶対に諦めてはなりません。そのような強い信念の持ち主ならば、「癌」さえ後ずさりして消えてしまう時もあるのです。私などが偉そうに言うことではありませんが、キリストの言葉に「求めよ、さらば与えられん」というのがあるそうです。積極的に求めない人の願望は成就しないことを諭しているのだと思います。釈尊の国、印度から長い年月をかけ中国や日本に伝わった大乗仏教の教えに「三界は唯心の所現」という難しい言葉がありますが、この世を三界と言う理由はさておき、「この世はただ自分の心がそのままに現れる所だ」というこの教えは、善を観る者には善が現れ、悪を認める者には悪が現れる ことを諭しているのだそうです。そのように考えますと最後まで可能性を信じる人の願望はその通り成就し、諦めてしまう人はその通り成就しないということになりますよね。

平成17年から18年の春にかけ、私は不動産業者と共に南阪奈道沿道を中心に南大阪全域に霊園用地を探し回り続けました。いくつか候補地はありましたが、用地の近くに農家が一軒あった為に開発申請が不可だったり、地所に銀行だけでなく高利貸らしき企業までが担保を付けていたり、公共道路とあと1メートルで接触していなかったり、地主さんに売る気がなかったりして、美原ロイヤルの第二霊園に相応しい用地を一つだって見付けられないまま、あっと言う間に一年という長い時間が過ぎ去って行きました。しかし私は第二霊園を開発する夢を諦める訳には行きませんでした。
(画像は美原ロイヤルの夏の風景です。次週は少し話題を変え、このシリーズは次週の一回だけお休みにさせていただきます。)