善き願いは必ず叶えられる (その5)

今回は、人の「願い」というものが、宗教じみた話になりますけれども、霊界に助けられて成就することもあるというお話です。
これはビール業界の伝説です。あくまでも伝説ですから、人の口伝えに訊いた話に過ぎないことをおことわりしておきます。昔アサヒビールがキリンに負けていた時代、なんとかシエアを逆転したいと営業に力を入れるのですが、どうしてもキリンに勝つことができません。ある日同社の社長さんが、大阪に向かう飛行機の中で、会社のお墓がある高野山に墓参に行かれるキリンの会長、社長と偶然に会われるのです。その頃アサヒビールには法人墓というものはありませんでした。はっと思われた社長さんは、すぐ大阪の工場の中に企業墓を建てられ、物故者の供養をされるようになったというのです。それから数年後、あのスーパードライと言う大ヒット商品が発明され、キリンを抜いて全国一の販売を誇ったというお話です。企業の先輩や物故者の霊供養とヒット商品の発明とが関係するのかどうかは、議論のあるところかもしれません。

 新霊園の開発に失敗した半年後の平成17年の秋、堺市の美原区内に新しく大規模な公園墓地が出来ました。この霊園開発は大阪府から堺市への審議引継ぎがうまく成されて出来上がったものに違いありません。以後霊園の見学客の中には二つの霊園を天秤にかける方も現れ始めました。これで私の失意は二倍にも膨らみました。
その頃、私は美原ロイヤルの中に、この霊園の生みの親とも言うべき、今は廃業して跡形も無い、丸瀬工業株式会社(寝具製造業 最盛期には従業員が千名いた)の法人墓を建てたいと、つまり散り散りになった元社員の無念の気持ちを鎮め、その方々の幸福を祈願し、物故者の方にはその冥福を祈らせていただきたいと強く思うようになっていました。同年12月26日の父の祥月命日に合わして完成し、翌18年3月26日、昔の従業員数名が集い、お寺さんを呼んで開眼供養式を行いました。「皆様の会社は決して消えたのではありません、この霊園に姿を変え、未来永遠に社会のお役に立とうとしているのです」と、遠くにおられて会えない先輩諸氏や、物故者の霊に心の中で唱えながら祈らせていただきました。

 さてこの開眼法要の翌月のこと、自治会の会合でよくお見受けする方が農作業をされているところに通りかかったら、急に呼び止められ、「新しい霊園の候補地はあったの?」と聴かれるから、「残念ながら全くありません」と正直に答えると、「あそこに空き地があるだろう、ほらあのスタンドとコンビニの奥だよ」と指さして教えて下さるから、「ご親切にどうも、でも折角ですが堺市内なら墓地は申請できない・・・」と言いかけるのを遮って、「通りに面している所は堺市だけど、その奥にある空き地は実は羽曳野市なんだよ!」と教えて下さったのです。そこには空き地が何千坪と広がり、心配の100メートル以内に人が住んでいる形跡はありません。「ここだ!」と私は小躍りして、すぐ不動産屋さんを呼び、この羽曳野市埴生野の地積とその持ち主の調査に当たってもらうことにいたしました。

霊園を生んだ会社の墓の完成と、後の第二霊園「美原東ロイヤル」の敷地となる開発用地が見つかったこととは私には関係があるように思えてなりません。美原ロイヤルにはもう一つ企業墓があります。これを建てられたのは大阪市平野区の住宅リフォームをなさっている新興企業です。この不況の中、目覚ましく業績を伸ばしておられます。あなたは、ご先祖や会社の物故者に感謝しながら経営されるから業績が伸びたと見られるのでしょうか? それとも、業績が良いから企業墓を建てる余裕があった、と見られるのでしょうか?

(画像は丸瀬工業法人墓と平成18年6月当時の霊園主催の墓地使用各家の神式の先祖供養祭です。)