善き願いは必ず叶えられる (その7)

このシリーズは、父親から霊園事業を継承した私が第二霊園を開園させたいという願いを何度も困難に直面しながら、最後には成就させた体験談です。前回は羽曳野市埴生野一帯で霊園用地を探すように頼まれた不動産屋の大槻さんが、平成18年8月に南阪奈道に面する300坪の土地の購入を勧めてきたところまでお話しました。それは霊園にはとても贅沢な土地でした。この土地で採算を合わすなら、市内の寺院墓地に準ずる価格で墓地を売らなければなりません。そんな墓地単価なら、この辺りでは一区画も売れないでしょう。

けれども大槻さんは次のように言いました。「この土地だけで霊園やったら大赤字になるくらい、素人の私だって百も承知。しかし先ずはこの土地を確保し、次に奥の単価の安いどれかの土地とくっつけたなら、平均単価が下がって採算も合って来るだろうって言うものですよ。」それでも私としてはこの300坪の土地は、くっつける相手の土地が見つかるまで購入の約束はできないと大槻さんが先走らないよう釘を刺すしかありませんでした。

 さて「南阪奈吉祥霊園」開発の失敗で苦い経験を積んだ私は、二度と同じ失敗を繰り返さない為にも失敗から得た教訓を活かすべきでした。私は謙虚になって、自分は無力で、事業のパートナーや他人の助力の必要性を認めなければなりませんでした。パートナーは、美原ロイヤルの開発以来ずっと協力し合ってきた石材店、丸長以外考えられません。丸長を引き込む為には、私自身の我を殺し、できるだけ相手を立てることが、例えば霊園の名称も丸長の霊園の名称にすることが肝要でした。だから今回の霊園の名称は「美原東ロイヤルメモリアルパーク」と決め、設計上の細かいことも何でも丸長に相談いたしました。

そうなると丸長の川下会長も前回とは違って、土地を買う話も決まっていないのに、この霊園開発の話には膝を乗り出して来られました。9月になると大槻さんは南阪奈道沿いの土地単価を下げる相手の700坪の土地を探して来ました。この土地については、地主さんもこの際売っても良いと思われているらしく、値段も安くしてもらえるようでした。しかし肝心な話、その700坪の土地と大槻さんが勧める土地は隣接せず、10メートルくらい離れているという大問題がありました。

 10月に入ると、大槻さんは「この二つの土地を接続する土地は自分が責任もって買ってきますから、私を信じてこの300坪の土地を買って下さい。そうでないとこの300坪の地主さんも嫌気さして売る気を無くされてしまいますから」と私に決断を迫るのです。そこに私の背中を押されたのが丸長の川下会長でした。「なんでも潮時というものがあります。不動産屋がそこまで言うのなら、先ずは買って、後は信じて待つしかありませんよ。」翌月11月に接続路確保の見通しの無いまま、その土地を購入することになりました。

私はこの新霊園の開発理念やビジョンを以前から大阪府には逐次お話していました。許可するかどうかを決める府の考え方も私なりに分かっているつもりでした。霊園という公益財団なら事業は自己資金を充てるのが原則。私たちの自己資金なら先ずは300坪の土地だけで申請するのが順当で、後の土地は第二期で申請しようと思いました。土地を購入した11月の月末、府は「来月から土地購入の経緯や法人の財務内容を調査させて下さい」と言ってきました。だが12月、府は調査を始めるなり、「もうこれ以上は話し合えません」と事前相談を一方的に打ち切って来たのです。私には理由(わけ)も分からず、寝耳に水の話でした。

(写真は平成18年のお盆の時の美原ロイヤルでのスナップ写真です。)