両腕が無い二人の画家の映画「天から見れば」を観て

 3月2日土曜の午後、私が所属する谷口雅春先生の生命の実相哲学を学ぶ産業人の集まりである栄える会の主催で、大阪上本町にある生長の家大阪教化部会館にて、昨年七月にも行った入江富美子監督の映画(今回は「天から見れば」)の鑑賞会並びに同監督の講演会が開催されました。大阪教区栄える会の合同支部例会ではありましたが、一般の方にも広くお声掛けをして、教化部会館の席を埋め尽くす盛大なオープン行事となりました。


 入江監督の映画「天から見れば」は、両腕が無いという身体のハンデーを乗り越え、口で筆を咥えて水彩画を描かれる画家となられた、且つ恩讐を超えて人に生き方を導く導師となられた大石順教尼を師とし、幼い日の事故で同じく両腕を無くしながら画家として大成した南正文さんの半生を、事実に基づき再現されたドキュメンタリードラマです。南正文さんは小学校三年生の春休みに製材業を営む父を手伝っている時に機械のベルトに巻き込まれて両腕を失いました。十四歳の時、親に連れられ京都の大石順教尼を訪ねたことが縁で弟子入りしました。


 大石順教尼もまた、十七歳の時、妻が男と駆け落ちしたのに逆上した養父が、その時、家にいた五人を惨殺するという「堀江六人斬り事件」の巻き添えとなり、両腕を失っていたのでした。しかし順教尼は何の罪も恨みもない自分の両腕を無惨にも奪った養父を赦し、四天王寺にはお墓を建立し供養した程でした。南正文氏はそんな順教尼の生き方に接して人生を開眼、後ろ向きだった心が大きく転換して行きました。大石順教尼の最後の弟子であり、その教えを引き継ぐ南正文氏から、「どんなできごとも自分の考え方次第で良きことになる」即ち順教尼の教え「禍福一如」の人生が溢れ出して来たのです。


 この映画「天から見れば」は、日本国中は勿論のこと、世界各地で上映され、観客に多大な勇気を与えて来ましたが、昨年12月には国連でも上映されました。奇しくも映画の中で病気になられる南正文氏が、健康を回復すことなく天に召されたのもそれに前後する時期だったそうです。私たちはともすれば、何か思い通りにならないことがあると、すぐついてないとか、自分を不幸に思ったりするものですが、五体満足であればそれだけでどんなに儲けものであるか、又生きているだけでどんなに儲けものであるのか、をこの映画は教えてくれました。