日本人の和の精神  その2

 我が国の歴史上、弥生人と言われた人々は、また同時に東アジア諸外国から往時、倭人と言われた人々の後裔でありましたが、それを日本列島の先住民であったポリネシア系の縄文人と半島からやってきた人々とが混血した人くらいに現代日本人は認識していますが、列島の弥生人となる前の半島南部にいた倭人(数百万人)の方が、列島に棲んでいた縄文人(僅か20万人という説がある)よりも十倍も人口が多い訳ですから、半島から列島に渡った倭人(100万人くらいか)に先住民族が混血したのだと考える方が普通なのではないでしょうか。

 宗教について考えますと、我が国の神道も我が国古来の宗教のように思いがちですが、それも半島から渡来した(「古代朝鮮と日本文化」金達寿著)と主張する研究者もいます。即ち我が国の神道は、古朝鮮(満州に殷王朝の亡命者などが建てた国)の文化を継承する騎馬民族系の扶余の人々(高句麗人、百済人)が我が国に伝えたのだが、発祥の国では廃れてしまったと言うのです。しかし私は韓国ドラマ「朱蒙」などを観て、確かに扶余人の宗教は日本の神道に大変似ているとは思うものの、大いに影響を受けたには違いないが、我が国の神道の母体は縄文人の全ての生命体と自然現象を神と観るアニミズムであって、そこに半島の、社を建て、天の神や、国王並びに地域指導者の先祖霊を礼拝する形が加わったのだと思います。

 つまり私が言いたいのは、列島の先住民であった縄文人の人々は、次々に半島から渡来してくる扶余人や倭人と呼ばれる人々よりも人口は少なかったのかもしれませんが、精神的には逆に小が大に影響を与えたのだと思うのです。彼らがアニミズム信仰を、即ち八百万(やおよろず)の神という程の多神教を半島から来た人々に移入することによって、価値観の多様性が受け入れられ、様々な民族の坩堝(るつぼ)と化した古代の日本列島で比較的平和裏に混血が進み、後に奈良県の巻向地方を中心に第二の倭人の、即ち弥生人の統一国家、「大和」を建てることが出来たのではないでしょうか。塩野七生さんが、古代ローマ人が多神教の民族であったことと、彼らが地中海世界を統合するローマ帝国を創り得たことが深く関係していると言われることと同じだと思うのです。

 今でも韓国の人達は日本人のことを、なんでも足して二で割る(妥協しやすい)国民だと言い、日本人は韓国の人のことを、なんでも白黒付けたがる(妥協のない)国民だと思っていますが、まさにそのように日本人は独特の「和の精神」を伝統的に持っています。それが後に仏教が東アジアに広がりますと、半島では神道が消滅し、仏教だけが宗教として残りますが、我が国では、仏教も神道も両方仲良く広がりました。しかも神道での礼拝の対象である太陽の神、天照大御神が仏教で言う大日如来と同じであり、神道の大国主(大物主、大穴牟遲、国玉)大神も仏教で言う大黒天と同じだと言うに至っては、まったく違う宗教でもひとつに融合してしまおうという、強い和解と平和への願望と意思を感じてしまいます。