小説「湊川(異本太平記)」3の3 第四章と第五章(終章)

 

第四章

 正成らの葬儀から数日後、正成の小姓、竹童丸が兵庫からやっとのことで帰参した。竹童丸は庭先で久子に土下座し、自分だけが生き長らえたことを泣きながら詫びるのだった。 久子は竹童丸に駆け寄り、「よく帰ってきてくれた、よく帰ってきてくれました」と涙を流して彼を抱きしめる。
「竹童丸や、私に旦那様の最期の様子を詳しく話すのじゃ。お前は旦那様とどこで別れた」
「はいお方様、決戦の日は前月の二十五日でございました。朝から雲ひとつなく、濃い青空が拡がっておりました。私達楠木軍は、兵庫の海を見下ろす会下山(えげさん)にて、お屋形(やかた)様、和田正季様御兄弟が率いられる騎馬部隊と、湊川の川原に陣取られるお屋形様の弟君、正氏様と、お方様のお兄様、南江正忠(なんえまさただ)様が率いられる歩兵部隊の二手に分かれて戦うことになったのでございます」
「お屋形様は、兵庫の港で、元の国から密航してくる海賊たちから、槍などの武器を調達されていたのだから、あの辺りには昔から土地勘をお持ちでしたね」
「その通りです、ですが元々我らは、天子様のご命令に従い、新田様より先に兵庫に到着し、和田の浜で陣を構えて、尊氏の水軍の上陸を阻止する計画だったのでございます。ところが戦いの前日、二十四日のことですが、兵庫に着いてみると、和田の浜に新田様の丸に一文字の大黒(おおぐろ)の旗が既に無数に翻っておりました。お屋形様は「桜井で長滞陣したつけがこれか」と慌てて新田様に天子様の退却命令を伝えに行かれました。だが新田様は敵を前にして、おめおめ退却は出来ぬと言われ、お二人の押し問答の末、新田様が持てる矢を全て射つくし、尊氏の上陸を存分に阻んでからの撤退ならと言うことで、お二人の折り合いがついたのでございます」
「そこでお屋形様は作戦を変更し、足利軍の囮(おとり)となる為に騎馬兵を会下山に集め、他の歩兵は足利軍を東に通過させぬ為に湊川の川原に集められたのじゃな」
「お方様のおっしゃる通りでございます。菊水の軍旗は、敵軍にこれ見よがしに会下山に林立させ、ここに楠木の本営ありと、非理法権天(ひりほうけんてん)の大旗を掲げました。持参した何百枚もの戸板を湊川の川原に立て、川の底に杭を打ち、水中に二重三重の縄を張り、敵の騎馬兵が縄に馬脚とられて落馬すれば、戸板の陰に隠れていた雑兵たちが、寄って集(たか)って槍で突き殺すようにしておりました。お屋形様は、新田様が退却なさった後は、一兵たりとも湊川を渡してはならぬ、損得や勝敗を度外視し、天の道理を世に知らしめ、義を貫く生き様を皆に見せてやろうじゃないかと、だから命を賭して戦線を守り抜くのじゃ、と言い残し、会下山の陣に行かれました」
「それでお前も会下山にいたのか」
「はい、私はお屋形様について会下山の陣におりました。新田様が海上の尊氏の水軍に仕掛けた矢戦は、それは激しく、尊氏軍は多数の死傷者を出し、一旦は沖へ退却する有様でした。しかし新田様の持てる矢が射尽くされるのに、然程時は掛からず、義貞様が退却命令をお出しになると、官軍の皆様は整然と退却されて行きました。その後は、須磨方面から足利直義の大軍が雲霞の如く押し寄せて来るのや、官軍退却の後に足利尊氏率いる水軍が大挙して上陸して来るのが見えました。お屋形様ご兄弟は、騎馬兵を率いて、直義の本陣や尊氏の本陣に勇敢に斬り込まれたのでございます。攻撃は何度も何度も繰り返されました。だが、やがて会下山に帰陣する者の数がめっきり減って参りました。夕刻近くなれば、帰陣する者たちも皆少なからず負傷しており、武器する失い、乗れる馬もないという有様となりまして、遂にお屋形様は、満身創痍の正季様に命令なさったのでございます」
「なんとおっしゃたのじゃ」

第五章(終章)

「この辺りで戦場を離脱するとしようと。最早新田殿は西宮辺りまで退却した頃であろう、我らは充分に戦った、この裏山に登り、鵯越(ひよどりぎえ)を越えれば、烏原(からすはら)という川原に達すると聞く、お前達は先に行き、そこで儂を待っていてくれ、儂はこれから湊川の戦場に行き、賊軍に川を渡らせまいと戦っている仲間の者達を連れ戻ってくるから、とおっしゃったのでございます」
「それで会下山の生存者は戦場を離脱したと」
「御大将の厳命でございます。兵たちも不承不承ではありましたが、足を引きずりながらも、ひとりずつ会下山を去って行きました。深傷を負われた正季(まさすえ)様は部下に抱えられながら行かれました。ただ私だけは、ご主人様の帰りをその場で待つことが許されました。だがいつまでお待ちしても、お屋形様も、湊川で戦っておられた方々も、お姿を見せられず、その内に日が暮れてしまったのでございます」
久子は夫がひょっとして死ぬ気で湊川の戦場に赴いたのかと思いもしたが、それもあの正成に限って俄かに信じられないことであった。
「竹童丸や、旦那様が湊川の戦場に行かれる時のご様子はどうだったのじゃ。何か変わったところは無かったのか」
「お屋形様は皆を連れ帰る気で湊川に行かれたのは確かでございます。そうでなければ、私に、会下山(えげさん)で待て、などと、命じられる筈がありません」
「ではお屋形様は生きて帰る気で湊川に向かわれたのは確かなのじゃな。では竹童丸よ、もう一度確かめるが、お前がお屋形様とお別れした時刻じゃ、陽は高くとも、既に夕刻であった由、それなら湊川の戦線は、足利の将兵によって既に突破されていたのだろうね」
「いいえ、お方様、正氏様、南江正忠(なんえまさただ)様率いられる湊川守備隊は、数十倍の敵を相手に戦っておられましたが、その時点では、戦線を突破して、湊川の東に進む敵兵は一兵たりともおりませんでした。それどころか、その日は最後まで、尊氏の軍も、直義の軍も、湊川の東には進めなかったのでございます」
久子はこれを聞いて、夫、正成が、湊川の戦場から戻らなかった理由が、ようやく分かりかけた。
「俺と一緒に会下山の裏に逃げよう」と言うために、湊川の戦場に着いてみれば、そこには「一兵たりとも渡河させるな! 天の道理を世に知らしめ、義を貫く生き様を世に見せろ!」という自分の命令を、命懸けで守って戦っている部下達がいた。そして辺り一面に、自分、正成の命を守って、惜しげもなく尊い命を散らした可愛い部下達の死骸が転がっていたのだ。
我が夫なら、楠木正成なら、そんな時に、どうして我が命を惜しめよう、眼頭が思わず熱くなり、竹童丸の顔が見えなくなる。久子は顔を上げ、澄んだ青空を仰いだ。そこに非理法権天(ひりほうけんてん)の旗竿を持って、久子を振り返りながら、ゆっくりと天に昇っていく夫の笑顔があった。

                                       「湊川(異本太平記」完

 

参考文献

太平記 全5巻 新潮日本古典集成
帝王後醍醐 村松 剛著 中央公論社
日本の中世 分裂する王権と社会 村井章介著 中央公論新社
楠 正行 全5巻 田中俊資著 評伝社
南朝盛衰記 全5巻 田中俊資著 評伝社
大楠公夫人 高橋淡水著
実説物語 大楠公夫人 碧瑠璃園著
楠公神農記 南江治郎著