2014年12月12日 / 最終更新日 : 2017年5月23日 chi_218 太平記時代の河内を探訪する(第二部) 第七回(最終回) 風の森(南大和の戦い) 正平三年(一三四八年)正月の「四条畷の戦い」に続く翌二月の、田中俊資(としすけ 南北朝戦史研究家)氏が名付けた「南大和の戦い」こそ、「太平記」から全く抜け落ちるが故に、知る人もなく、南北朝史から脱落する部分である。歴史の […]
2014年8月8日 / 最終更新日 : 2017年1月8日 chi_218 太平記時代の河内を探訪する(第二部) 第六回 楠正行騎馬軍団の最期 この半年間、紀州隅田城に始まり、池尻、葛井(ふじい)寺、瓜生(瓜破)野と、勝手気儘に武装蜂起を繰り返し、鎮圧部隊に手痛い傷を負わせ、果ては畿内全体の安寧すら脅かそうとする楠正行(まさつら)兄弟や従兄弟の和田兄弟らと、背後 […]
2013年11月30日 / 最終更新日 : 2016年12月14日 chi_218 太平記時代の河内を探訪する(第二部) 第五回 楠軍、幕府大手軍先鋒隊と瓢箪山付近で激突する 思い出していただく為にこれまでの概略を纏めよう。一三四七年十二月十七日、吉野では、南朝方が総力を賭ける武家方との決戦を前にして、南河内の楠正行(まさつら 二十二歳)、正時兄弟、従兄弟になる和泉の和田行忠(二十二歳)、賢秀 […]
2013年7月7日 / 最終更新日 : 2017年1月8日 chi_218 太平記時代の河内を探訪する(第二部) 第四回 足利幕府と吉野朝廷との決戦前夜 尊氏、吉野方への対応の甘さを反省する 全国の武家勢力を束ねる将軍、足利尊氏には、正規の守護でもその配下の国人(以前の地頭)でもない、辺境の南河内・和泉の楠・和田等の、まだ世間知らずの若い領主達が率いる僅か二千の武装集団に […]
2012年8月7日 / 最終更新日 : 2017年1月8日 chi_218 太平記時代の河内を探訪する(第二部) 第三回 瓜生(瓜破)野、渡辺(天満)橋の戦い 楠家と和田家の親しい関係 室町開府翌年、一三三九年の後醍醐天皇の崩御から八年後の一三四七年(正平二年)八月の、南朝方の劣勢を挽回しようと吉野朝廷軍師、北畠親房卿が書いた筋書き通り、辺境の土豪、楠、和田勢による叛乱は、幕府 […]
2011年12月18日 / 最終更新日 : 2016年12月14日 chi_218 太平記時代の河内を探訪する(第二部) 第二回 葛井寺合戦、楠正行騎馬軍団の華麗なる初陣 摂河泉の治安維持に四国細川勢が出動 将軍、足利尊氏の補佐役であった弟、直義(ただよし)は忍びの者から、六月に吉野朝廷が楠木正成の遺児、正行(まさつら)を招いて京奪回を目論む軍議を開いたとの報告を受けても、身の程知らずが、 […]
2011年8月8日 / 最終更新日 : 2017年1月8日 chi_218 太平記時代の河内を探訪する(第二部) 第一回 楠正行(くすのきまさつら)、吉野朝廷に召される(1347年6月) 本シリーズは、河内を中心に繰り広げられた正平二年(一三四七年)の夏からほぼ一年間の、吉野朝廷が劣勢を挽回せんと、犠牲を顧みずに足利幕府に挑んだ戦い振りを、八回に分けて様々な角度から考察するものである。正平二年という年は […]