第六章(誰もいなくなる) その9

(筆者が経営する羽曳野の霊園のバラ園。池田厚司氏撮影)

野須川寝具産業は訪販事業の終了と共に、和議債務の弁済を一時棚上げせざるを得なくなった。以後は京都府八幡市の国道一号線沿いにある重寝具(掛布団・敷布団類)工場を稼働して、消費者直版に手を染めたメーカーを相手にしない寝具業界はこちらから無視して、新たに会社の代表になった龍平の指揮の下、新興の流通業者への受注生産を開始することになる。

延滞する和議弁済への苦情や督促を受ける窓口は俊平会長が担当し、代表取締役に就任した隆平は本業の寝具製造業に専念することになった。
とは言え、財務経理の仕事の傍ら、訪販会社から定期的に注文を取ってくる林部長の営業だけは着実に実績が積まれて行ったが、龍平が担当する得意先開拓は簡単には進まなかった。訪販事業の急停止によって未払いで残った四千万円にも及ぶ買掛金が残っていて、殆ど総ての原材料・副資材について、龍平は新しい仕入れ先を探さなければならず、得意先開拓だけに全力を投球できるものでもなかった。
羽毛布団は現在、表地と裏地を一定の間隔を開ける立体縫製が主流である。だがカシオペアの時代には、手間暇掛かる立体縫製は非効率なので、俊平はそれを嫌って平縫縫製を強行させた。ところが今や、どんな安物の羽毛布団も立体縫製を使う時代になったので、龍平は父親俊平の方針を覆し、立体マチの側地への縫い付けを、肌布団の側地と綿を縫い付けるコンフォーターを改造することで、機械化に成功すると、今後は立体縫製一本で羽毛布団を縫製するようにした。
龍平が帝都紡績の低融点エステルを使って、全国で第一号の固綿敷布団を作った二年後の昭和五十八年、今度は俊平が固綿製造プラントを改良して、凹凸があって板のように固い固綿を作ることに成功した。そして俊平は、指圧効果もある、この固綿の芯綿の製造特許をとることにも成功する。
発明者の俊平は、凹凸のあるプラステイックか、ウレタンの成型品を芯にする健康寝具は数多くあっても、吸湿性や通気性がある綿で作ったものは他にはなく、画期的な発明だと自画自賛し、途中からカシオペアの敷布団には指圧型固綿敷布団一本の扱いに絞らせることにした。
なかには体調が良くなったと礼状を送って来る顧客もいて、俊平は目を細めて喜んだ。

顧客の健康状態を良くしたのは、指圧効果よりも、板のように固く作った固綿ではなかったか。敷布団の綿の真ん中に畳大の板を入れて寝る状態を想像したら良いだろう。背骨が真っ直ぐになり、立っと同じ姿勢で休むことが出来るからだ。
しかしながらこの画期的な商品も、衰退する訪販事業の救世主とは成らなかった。
消費者にすれば、背筋を伸ばしてくれる敷布団は良いが、旧来の石油製品の成型品であろうと、ポリエステル固綿であろうと、機能が同じなら、どちらでも良かったのかもしれない。
しかも通気性よりも、軽さや耐久性を求めるなら、寧ろ旧来の健康寝具に軍配が上がったのだ。
だから龍平は、以後指圧布団の製造は封印し、フラットな旧来の固綿の生産に絞らせた。そして上下同柄の羽毛布団掛布団と固綿敷布団と羽根枕の三点セット一本で、デイスカウント店、ホームセンター、量販店、通販会社、訪販会社など、新しい小売業に絞って販路開拓にチャレンジした。
しかし得意先開拓には時間が掛かった。バイヤーとやっと会えても、すぐに取引とは行かない。
先ずは市内のデイスカウント店に商品を納入する。品の無い商品陳列台に、野須川寝具産業の保証書を付けた商品が、殆ど卸した価格と代わらぬ小売り上代の値札が付けられて並んでいるのを見るにつけ、龍平はじくじたる思いだった。
秋には、林部長が担当する関東の寝具訪販会社に加え、大阪に拠点を持つ量販店、東京が本社の農機具の会社ながら全国の農協へ生活品の通販をする部門、広島に工場を持つ大阪の健康寝具の会社、デイスカウント店に卸す東京の現金問屋、関西や北陸地方を舞台に集会販売を行う二社、大阪の寝具訪販会社など、得意先がようやく拡がりだし、八幡工場も生産に忙しくなり始めた。

少しずつではあるが、訪販時代の買掛金の支払も進んで行く。
林部長が営業の仕事は龍平に、経理財務の仕事は池田に引継ぎ、会社を辞めたのはこの頃だ。
そしてなみはや銀行が、龍平の営業に協力したいと、事前の審査に合格した問屋なら、手形取引を認め、それを割引しても良いと言って来たのも、この頃である。

そんな十月のある日、龍平が半年前に工場の製品在庫を換金した浪速区のバッタ屋から聞いたと言って、パンチパーマ頭の熟年の男が、廉価物の羽毛布団を分けてほしいと、西区の事務所にやって来た。
彼から受け取った名刺の肩書きは、大阪の南森町の商事会社の顧問と印字されている。
自分は個人で、別の兵庫県の山奥にある老舗の家具メーカーの社長の仕事の手伝いもしていると前置きして、その家具メーカーが、来月に大阪市内で展示即売会をするのだが、景品に安い羽毛布団を使いたいのだと、枚数は二百枚、金額は三百万円になるが、これを家具メーカーの回し手形払いの条件で良ければ購入したいと申し出た。
後で考えれば、こんな胡散臭い話には乗らず、初めから丁重にお断りすべきあった。
だが、まったく仕事が無かった状態から数ヶ月で、生産に忙しい寝具製造会社に戻したとの自負からの油断だった。この話を呑むか、断るかの判断を、龍平は父の俊平に振ったのだ。まったく無責任だった。仮に父親の俊平がやれと言った取引でも、龍平が本業の責任者である以上、総ての結果責任は龍平にあることに思いを馳せるべきであった。
「三百万の手形だと、どこの手形だ?」と俊平はその男に直接尋ねる。

「兵庫県の白鳥木工ですよ。交信所の年鑑で調べて見て下さい。兵庫県に広い工場を持って明治時代からやっている老舗で、信用を疑うなんてとんでもないです」
俊平は龍平に交信所の年鑑を持って来させ、それが間違いないことを確認すると、更に尋ねた。
「手形期日は何時なんだ」
「何時が宜しいので」
「そうだな、待っても二ヶ月後の十二月十五日だな」
「十二月二十日ではどうですか。白鳥木工は、二十日期日しか手形出さないので」
「分かった。では注文書は君が顧問をするこの大阪の会社名で出してくれ。無論、社長印もいるぜ」
「それは了解しました。だがこんな薄利の取引に、うちの会社は入りませんよ」
「だったら、君の会社は手形の裏書をしないと」
「それは無理です。そんなの社長に言ったら、私がもらう手数料を全部会社に獲られますから」
「なら、君が個人で裏書きしろ。それが条件だ」
「分かりました。では本町の農林会館に商品三百枚ができ次第、納めて下さい。ただし納入する前に必ず私に連絡下さい」
「そんな話は、息子の副社長にしてくれ」
まさか父親が素性も分からぬヤクザのような男と取引するとは予想もしなかったので、龍平は驚いた。しかし実際に取引するとなると、製品の品質など条件をきちんと確認しなければ、後でどんなトラブルになるかも知れないと、慌てて龍平は口を挟んだ。

「分かりました。それは私から必ず事前に連絡します。しかしお宅の言われる仕切価格となると、品質はダウン率五十パーセントがぎりぎりです。それを七十パーセントと書け、などとは言わないで下さいね。それは絶対に出来ませんから、ご承知下さい」
「分かっているさ、天下の白鳥木工の展示会だぜ、そんなバッタ物を景品にする訳ないだろう。ただしメーカー希望小売価格、四万九千八百円の値札と、御社の保証書くらいは付けろよ。契約価格が安いからと言って、ちょっとでも品質を誤魔化したら、ただでは済まないからな」
「手形は商品受渡の前日で宜しいですね。うちは手形をもらってから商品を出荷します」
「分かった。それも聞いておく。そんな条件を知ったら白鳥木工の社長から大目玉食らいそうだな」
商品二百枚は月末近くに出来上がり、龍平はこの男から白鳥木工の手形を受け取って、工場に商品を大阪農林会館に送るよう命じた。
十一月に入ったある日、その男はまた四つ橋の事務所にやって来て、もう二百枚、同じ商品が必要なのだと申し出た。
俊平に相談すると、取引はそれだけにして、そこまでは受けてやれ、という指示だった。
手形は二枚共、同じ期日だが、合わせて六百万円となる。
もしもこれが不渡りになれば、年末の資金繰りは大変なことになるのだ。
ところが十二月十日、手形の取立てを依頼していた、なみはや銀行本店営業部長から電話が入った。
「龍平さん、白鳥木工の手形だが、この二枚、一旦そちらに返すよ。裏書きをよく見たら、裏書欄を一段ずつずらしてゴム印を押してるやないか。これじゃ、この人は裏書人なのか、被裏書人なのか、分か

らんことになるから、手形自体が無効になるな。この人と連絡を付けて、裏書きの訂正判をもらって欲しいのさ。でないと交換に回せないからね」
龍平は、そんな衝撃的なことを連絡されても、まだ事態を軽くしか見ていなかった。きっとあの男は手形知識に疎く、だからそんなへまをやってしまったのだろうと、すぐ彼に来社を請おうとする。二回目の商品の受け渡しの日まで、あれほど電話を架け合った仲だ。龍平は北新地のクラブにもご招待されたこともあった。しかし気づけば、ばったりと連絡が途絶えている。
商事会社に電話すると、その男は従業員ではないので居場所は知らないと、つれない返事だった。
龍平は慌てて、売買契約書を持って南森町に走った。出て来たのは若い社長だ。ビル内の各部屋で様々な事業をしているようだが、この社長の本業は町金だとすぐに見破った。和議を申請する前までは、父親の俊平が、京橋や鶴橋で町金やサラ金の副業をしていたので、高利貸しの会社の独特な臭いは、龍平にはいくら隠しても分かってしまうのだ。
商事会社の社長は、龍平が示した名刺の男は、確かにときどき会社に出入りする男ではあるが、会社の社員でも何でもない男だと言う。売買契約書を見せると、「あいつ、机の印鑑を勝手につきやがった。ほら、私は昼間は会社のゴム印も、自分の印鑑も、この通り机の上に出したままなのですよ」と龍平を嘲笑った。
「そんな、注文書はご覧の通り、きちんと形が整っていて、出る処に出たら、こっちの言い分の方が通りますから」と龍平は強く反駁する。
「まあまあ、注文したかどうかなんてどうでも良いことですよ。心配には及びませんよ。注文書が仮に

偽物でも、そちらには白鳥木工の手形があるのでしょ。そうかっかとしないで、冷静に手形の期日まで待ちましょう。あいつだって悪気で裏書きを間違ったのではありません。お宅から手形の交換が回って来ないのさえ確認したら、白鳥木工の財務部が、その手形と小切手を交換してくれますよ。大丈夫、大丈夫。もうこの件で話し合うこともないでしょうし、私はこれから出かける予定がありますから、申し訳ないが、お引き取り願います」と龍平を丁重に見送った。
契約調印の日に社長を立ち会わせなかったの迂闊だが、それも会社に内緒で、あのヤクザが個人的に副業をしたいと言う言葉に乗ったからだ。
商品の受取書を調べて見た。そこには農林会館のゴム印も、南森町の商事会社のゴム印もなかった。ただ何と読むのか判読できない人物名らしいサインがあっただけだ。農林会館の守衛室に尋ねても、その日、そんな商品の入荷などありませんでしたと言う。
恐らくは、農林会館の前に別のトラックを用意して、あの男が会館の玄関前で商品が届くのを待っていたのだろうと龍平は想像した。
龍平の胸に嫌な予感がどんどん拡がるのだ。
期日が近づいても、手形を交換に回すことも出来ない。あの男が手形知識に疎かったのではなく、手形知識の無いのは自分だった、と龍平は溜息をつく。

手形期日の十二月二十日、龍平は意を決して兵庫県の白鳥木工に電話を架ける。手形を小切手に交換して貰う日取りを打ち合わせなければならないからだ。
しかし電話は向こうで鳴り続けるが、いつまで待っても誰も出ない。


平日なのに、どうしたのだろう、と待っているとやっと相手が出た。
「あんた誰」と龍平に向こうが尋ねてくる。
「そちらこそどなた様ですか。白鳥木工の方ではないのですか」
「俺は債権者だ。今日、何も言わずに、突然手形を不渡りにしやがった。慌てて来てみたら、もぬけの殻だぜ。工場にあった機械まで無くなっているよ。これは完全に計画倒産だ」

第六章 誰もいなくなる その⑩に続く