2010年12月17日 / 最終更新日 : 2017年1月8日 chi_218 太平記時代の河内を探訪する(第一部) 第十一回 巨星墜つ ~尊氏は天龍寺を建て、親房は神皇正統記を著す~ (第1部 最終回) 聞く耳を持たれなかった顕家の諫奏状 いよいよこのシリーズの第一部が終章を迎えるに至った。しかし太平記時代の河内を探訪すると言いながら、どれだけ河内の地を紀行できたであろうか。実は河内が歴史のスポットラ […]
2010年9月5日 / 最終更新日 : 2017年1月8日 chi_218 太平記時代の河内を探訪する(第一部) 第十回 枚岡~北畠顕家と楠木家の会談の真相を探る~ 北畠公園の地下に静かに眠る北畠顕家 北畠という町名は帝塚山と並んで大阪の高級住宅地の代名詞である。なぜ北畠と言うようになったか。思うにその地の阿部野神社※に北畠顕家(あきいえ)とその父親房が祀られていることに由来するのだ […]
2009年12月2日 / 最終更新日 : 2017年1月8日 chi_218 太平記時代の河内を探訪する(第一部) 第九回 吉野朝廷(南朝)慟哭の旗揚げ 「伝説の虚構を暴き、正成最期の真相に迫る第二弾」 金崎城落城の始末がその後の歴史を変える 一三三七年(建武四年)の正月を迎え、昨年夏には新田義貞率いる宮方の軍勢を粉砕し、楠木正成を討ち取り、後醍醐天皇に対峙(たいじ)する […]
2009年12月1日 / 最終更新日 : 2017年1月8日 chi_218 太平記時代の河内を探訪する(第一部) 第八回 楠木一族、後醍醐天皇を吉野にお連れする 「伝説の虚構を暴き、正成最期の真相に迫る第二弾」 後醍醐天皇、叡山に逃れられる 前二回に渡って小説風に書いてきた中世日本の最も劇的な戦闘として知られる「湊川の戦い」は、筆者が改めて言うまでもなく、郷土の英雄、楠木正成をし […]
2008年11月20日 / 最終更新日 : 2017年1月8日 chi_218 太平記時代の河内を探訪する(第一部) 第七回 観心寺 ―兵庫からの悲報― 「伝説の虚構を暴き、正成最期の真相に迫る第二弾」 建武三年五月二十五日、夜明け前 人は何時の時代からかくも打算的になったのか。歴代の帝(みかど)は天孫降臨の御心を継承され、民を我が子のように慈しみ、仁徳で治めて来られた。 […]
2008年9月15日 / 最終更新日 : 2017年1月8日 chi_218 太平記時代の河内を探訪する(第一部) 第六回 桜井の別れ 尊氏、遂に足利家を武家の棟梁と認める院宣を入手 一三三六年、五月(現在の太陽暦では六月)、京の公家(くげ)達は顔色を失い、ただただ慌てふためくしかなかった。正月の官軍の大勝利の後、西海に敗走したはずの足利尊氏(たかうじ) […]
2007年11月3日 / 最終更新日 : 2017年1月8日 chi_218 太平記時代の河内を探訪する(第一部) 第五回 京を睨む風林火山の旗 二つの皇統の不和が始まる 太平記の時代とは我が国の皇室が分裂した南北朝時代をさすが、鎌倉時代の中期には既に皇統は二つに分かれていた。後深草天皇が弟君の亀山天皇に譲位され、亀山天皇がご実子の後宇多天皇に譲位された時、突如鎌 […]
2007年11月1日 / 最終更新日 : 2017年1月8日 chi_218 太平記時代の河内を探訪する(第一部) 第四回 宇治川の対陣 大塔宮様、反逆者として捕縛される 鎌倉の北条氏に集権する守護地頭体制が打倒され、後醍醐天皇による「建武中興」と言われる行政改革が始まったのだが、共に戦勝貢献者でありながら、大塔宮護良親王と足利一族は、二派に分かれて権力闘 […]
2006年12月28日 / 最終更新日 : 2017年1月8日 chi_218 太平記時代の河内を探訪する(第一部) 第三回 正成、東高野街道を京に通う 鎌倉幕府の滅亡 金剛山麓の地方豪族の叛乱一つ鎮圧できない幕府の執権職にある北条家を見限り、千早城の戦線を離脱して鎌倉に戻る足利高氏(後の尊氏)は、近江の守護、佐々木道誉の領に立ち寄って秘密裏に倒幕同盟を結んだ。それは但し […]
2006年5月28日 / 最終更新日 : 2017年1月8日 chi_218 太平記時代の河内を探訪する(第一部) 第二回 千早城、1333年春 太平記に登場する人々の心 平安中期に貴族が地方に所有する荘園を警護する役目で登場した武士団は、やがて貴族に替わって国の統治権を委任されるまでに勢力を伸張し、日本の中世が始まった。武士や寺社によって農民は荘園の中に悉く囲い […]