第一回 淀屋橋から谷町四丁目まで

  

前書) 大阪で生まれ、大阪で幼年期を過ごした私が、家族の引越に伴って奈良市西郊住宅に移り住むことになったが、社会人となっても昼間は大阪で過ごしてきたから、全くの奈良人でも全くの大阪人でもない。そんな私が何時の日からか、この二つの郷土をよく知るために、大昔から大和と河内を結んで来た暗越(くらがりごえ)奈良街道を、大阪側の起点から奈良側の終点まで、何日にも分け、カメラ片手に自分の足で歩いて、街道と周辺の歴史を調べて紀行文に書いてみたいと思うようになった。
但し社会学者でも歴史学者でもない私の調査は不十分であろうし、思い違いもあるだろう。又不明なまま終わることもあるだろう。実は最初から分からないこともある。今の東大阪市や大東市周辺の地を古代に遡れば、巨大な河内湾の入江であって、中世になっても湾の名残の広大な深野池があったと聞く。であれば暗越奈良街道は古代からあったと言っても、近世に賑わいを見せる松原宿辺りは、深野池が拡がっていた時代にあったはずが無い。では松原宿を通る街道、つまりこの街道の大凡西半分は、一体いつの時代に出来たのか、という疑問だ。そんな素朴な疑問に答える資料すらまだ見つかってはいないのだ。

第一回 淀屋橋から谷町四丁目まで

暗越奈良街道の起点から歩いてみようと決意し、仕事を早く切り上げ、地下鉄淀屋橋駅から地上に出たのは、平成25年11月23日土曜の午後だった。仰ぎ見れば晩秋の青空が高く澄みきるも、既に傾いた陽の光が、高層ビルの陰で当たらなくなって、土佐堀通りはすっかり肌寒くなっていた。ビルの切れ間に見える中之島公会堂など、左手大川の向こう岸の風景を垣間見ながら北浜へと歩いた。北浜一丁目の交差点には大阪証券取引所のビルが、またその玄関には、この取引所を創るため私財を投じた五代友厚の銅像が、東京証券取引所と合併した今は遂にその使命も終わって秋風に晒されながら共に淋しく建っていた。

 北浜一丁目交差点を曲がって堺筋を南に進む。この辺りの街路樹は桐の樹で今は黄色く色づき、既に葉が路上に落ち始めた。桐は大阪を国の中心にした太閤秀吉のシンボルだ。桐一葉、落ちて天下の秋を知る、と大阪人がため息混じりに口にする言葉と共に思い出すのは、徳川政権の前に次第に衰退し行く大坂城の豊臣母子を描いた坪内逍遙創作の歌舞伎「桐一葉」だ。あれから四百年、大阪は益々天下など語れない地方都市になってしまった。

 北浜一丁目から三つ目の信号、三井住友銀行大阪中央支店の角を左折し、百メートルも行けば東横堀川に架かる高麗橋に出る。この橋の東詰めには里程元標跡を示す石碑が建つが、ここが京街道、中国街道、熊野街道、西高野街道、暗越奈良街道等、西日本の主要な街道の起点であった。正式にここを里程元標(街道各所との距離の基準地)としたのは明治政府だ。この橋は江戸時代には公儀橋とも言われ、西詰めには高札が立っていた。

 一旦土佐堀通りに戻り、天神橋の袂から川沿いの歩道を歩けば、間もなく八軒家船着場に着く。江戸時代ここに八軒の船宿が建ち並び、淀川を鳥羽、伏見との間を人や物資を乗せた船が行き来した。その昔は渡辺の津と言った。平安末期の戦記「平家物語」に源頼政と共に平家打倒に立ち上がる渡辺党として登場する渡辺氏の本拠地だ。また南北朝時代の戦記「太平記」に何度も登場する渡辺橋もこの辺りに架かっていた。1347年、楠木正成の息子、正行(まさつら)率いる騎馬軍団の猛攻に追われ、恐怖のあまり総崩れで敗走する山名の大軍が、淀川を河内から摂津に渡す唯一の橋に押すな、押すなと押し掛け、はみ出しては河に溺れる者も多数いた。往時は淀川の水量の半分がこの川に流れ、後半分は北の中津川に分流した。だから今よりもっと大きな河であって、歩いて渡河することなど思いもよらなかった。

 八軒家船着場は今も水上バス・アクアライナーの発着場だ。船が着岸する場所から石段を登ると船の案内所やレストランを併設した「川の駅 はちけんや」がある。さて江戸時代の船宿の話に戻るが、幕末に「京屋」という船宿を新撰組が利用し、隣の「堺屋」は坂本龍馬など勤王の浪士がよく利用した、などのエピソードが発着場の灯台の基台に彫られている。また八軒家の船宿の賑わいは、弥次郎兵衛(やじろべえ)と北八の面白可笑しい旅物語「東海道中膝栗毛」にも登場している。

 川の駅ビルの中を突き抜け、表玄関を出て、土佐堀通りを渡り、まっすぐ道を南へと進む。道は街路樹や公園の緑豊かな閑静な住居地区を進んで行く。途中右手に中大江公園があって、それを過ぎると「絶」というユニークなカレー店があった。時刻は3時40分を回って次第に撮影には日照不足になりつつある。だから中央大通りに出たら街道を東にそれ、地下鉄中央線谷町四丁目駅でひとまず本日の街道歩きを終了することにした。地下鉄に乗る前に中央大通りに「つるまる」という麺の専門店があったので、280円のきつねうどんをいただいた。