久しぶりのページ更新と中学校の同窓会

長い間、HP作りをさぼってしまったのには理由がありました。実は昨年の6月、石材仕入れなどの用事で出張していた大連、北京から帰った直後のこと、私の職場環境が一変するような出来事が起こったのです。それは開園以来十五年もの間、共同でこの事業をしてきた相手企業と、そのような長い時間をかけて積み上げてきた互いの信頼関係を、一瞬にして壊してしまうような事件でした。
もとより御恩がある共同事業の相手企業である石材店に感謝することはあっても、裏切ろうなどいう気持をこの私が持つはずはありません。ところが考えられないことに私の職場の中に、それまで一枚岩だったこの共同事業者の間に楔を打とうと画策した者がいました。彼が何のためにそんなことをしたのか、今は職場を去った彼からその理由を聞く訳には行きません。しかしもしかしたら、それが私の為になると信じて彼がそんな行為に出たのではないかとも思え、結果私がそれでどんなに大変なことになったにせよ、正直彼を恨む気持ちにも私はなれないのです。
すると一体誰が悪かったのかということになりますが、やはり事業の代表者である私自身に一切の責任があり、私自身が誰よりも反省しなければならないことでした。これまで職場で誰がどのような考えでどのように仕事をしているのか、には何の関心も示さなかったのではないか、もしも事前に彼の思惑に気づいたなら、それは私の本意では無いと彼の行為を厳格に制御できるほどに共同事業の相手への報恩感謝の気持ちが強かったのか、実は心の奥底の利己心によってふらついてはいなかったか、と反省することばかりでした。
すべては私が悪うございました、と言い訳を一切言わずに、私の真摯な気持ちや誠意を示すため、自分が創った石材店の業務を大幅に縮小することとし、逆に入手した顧客情報を相手に差し出したりしながら、ただひたすら謝り続けました。数か月の後、やっと一切のことを水に流してもらって、美原東ロイヤルの拡張開発に再び共同で力を合わせることになりました。私はほっといたしました。以来、自分の反省を形に現す意味でも、毎日出来る限り現場に張り付いて仕事をするようになり、営業時間中に現場を離れなければならないゴルフもきっぱりと止めてしまいました。
御蔭様で、今年の3月には第2霊園の拡張申請が大阪府から許可され、去年のことなど何も無かったように共同事業者同士再び仲良くなって来月のオープンを目指して目下急ピッチで造成工事を進めている訳でございます。


さて去る5月15日、奈良公園の東大寺の境内の西側にある「天平倶楽部」という宴会場で、伏見中学校の同期同窓会を開催いたしました。私が永年幹事を務める二年の一度の同窓会で、その名も「伏中三八会」です。私が霊園事業に転業できた平成6年の12月を第一回とし、今年でついに第10回目となりましたので、今年は広く日本全国に案内通知を出したところ、前回よりも10人ばかり多い、36名が出席いたしました。画像はこの日、本井健一郎君が撮影してくれた写真の中から私が選んだものです。写真集はこちらから
欠席した人たちには説明しなければなりませんが、この「天平倶楽部」という和食レストランが建つこの場所に昔、旅館があって、今NHKのテレビドラマにもなっている「坂の上の雲」の登場人物でもある俳人歌人正岡子規が、若くして病気で亡くなる少し前にしばらくこの地に滞在したことがあったのです。身体の弱そうな子規に元気になってもらいたいと思ったのか、旅館の仲居さんが庭の柿の木から実をいくつかとって子規に食わせたそうです。その時、よほどその柿がおいしかったと見え、子規は「秋暮るる 奈良の旅籠や 柿の味」の句をこの旅館で作っています。正岡子規と云えば、なんと言っても有名なのは「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の句でありますが、この旅館で詠んだ句が原型となって、法隆寺の鐘の句にイメージが膨らんでできたのだそうです。