美原東新管理棟の竣工(仕事と宗教) その3

 今年の夏は美原東ロイヤルメモリアルパークの管理棟ビルが完成しましたので、早速、二階の法要室を使って霊園主催の盂蘭盆会(うらぼんえ)を行いました。これも盂蘭盆と言うように神道ではなく仏教の作法で行うことにしました。旧霊園の美原ロイヤルの霊園主催の盂蘭盆会を真言宗の法願寺(松原市)のご住職にお願いしているのと同じです。美原東では、どちらのお寺様にお願いしようかと思案し、同霊園の永大供養墓でお世話になっている浄土真宗の圓乗寺(堺市中区福田)のご住職にお願いすることにしました。ただし同霊園の総ての埋葬者の供養ですから、圓乗寺様には供養の作法がくれぐれも浄土真宗の作法に偏らないようには事前にお願いしておりました。


 もし浄土真宗のお客様や、御導師に圓乗寺を指定なさるお客様が、この部屋を使って法要なさるのなら、正面に「南無阿弥陀仏」の御軸を掲げて礼拝していただくことになります。しかし今回の霊園主催の盂蘭盆法要は宗派を限定せずの意味から、「南無阿弥陀仏」の御軸は掛けずに「墓地使用者各家先祖代々霊位」と書いた木製の霊牌を礼拝することにいたしました。このことも事前に圓乗寺様に了解をとりつけておきました。昔浄土真宗のお坊様に霊園主催の霊供養行事をお願いしたところ、後で「霊」という言葉によって浄土真宗のお寺様から叱られることがあったからです。


 それは美原ロイヤルの第一回の霊園主催の盂蘭盆供養会(平成13年)の時で、往時は未だ今の先祖供養堂は建っておらず、為に現在の管理棟に飾り付けを行い、大阪市内の葬儀屋様に式の進行をお願いし、御先導は大阪市内の浄土真宗のお寺様にお願いいたしました。対象は仏教を信仰する方々一般ということで、その葬儀屋さんは「霊」という一文字を大きく書いた掛け軸を管理棟に掲げて礼拝対象とされました。式が無事に終わったところで私はそのお寺様に呼び出され、こっぴどく叱られることになりました。何故なら、「霊」あるいは「霊魂」という概念を否定する浄土真宗の僧侶に「霊」と書いた軸を拝ませるとは何事か、とご立腹だったのです。


 そのお寺様が、昔親鸞(しんらん 平安時代の浄土真宗の開祖)聖人がお説きになった教義を徹底される姿勢は見上げたものかもしれませんが、一般の墓参客にすれば「霊」と書かれたお軸を拝むことに何の抵抗も無かったのは事実です。私自身、人間の霊魂の存在を認めなければならない幾つもの体験があったからこそ、このように神仏の実在を認め、信仰し、「生長の家」の講師を拝命することになりましたが、私の家の先祖からの宗派も浄土真宗であるもので、浄土真宗は「霊」などという言葉は使わないのだ、などとお坊様に言われてしまうと悲しくなってしまいます。こんなことを議論して、同じ仏教徒が相争うことがあったら、それこそ何の為の宗教かと思うのですね。次はもう少しこの「霊」について、突っ込んで考えてみましょう。

(上から3番目の画像が今年の美原東ロイヤルの第一回盂蘭盆会、4番目の画像が今年の美原ロイヤルの第12回盂蘭盆会です。)