神様に護られる我が事業

霊園事業に転業して13年が経ち、御陰で8割を超える墓地が売れました。そこで販売提携先だった石材店さんと共同で、新しい霊園を開発することになり、現霊園の近くに土地を購入し、この4月末に大阪府から許認可をいただきました。その後造成工事を進め、9月に目出度くオープンいたしました。用地の確保、行政の許認可取り、事業資金作り、近隣地主対策など、解決困難な問題が全部クリアーできたからこそ成功した訳なのですが、今回はその中の用地取得に絞ってお話しさせていただこうと思います。

私は永遠の個生命であるご先祖の霊を供養する人々によって祀られる霊界が鎮まり、祀る子孫が心を浄められるこの素晴らしい文化を、霊園事業を通して広めて行きたいと念願しておりましたので、かねてから近隣に新しい霊園用地を求めておりました。この頃知り合った不動産屋の大槻社長という方と共に付近を一年近く歩き回ったものの、せっかく良い土地があっても、先祖伝来の土地を手放せるか、と総て断られてしまいました。

ところがその翌年の春、地域の親切な方の助言で、近くに霊園にぴったりな1300坪の空き地を見つけることができました。今の霊園から歩いても数分の距離です。人家からは遠く離れ、平らな土地で霊園にはもってこいの場所でした。 その持ち主は?と言うと、10軒の親族共有地になっていました。再び大槻さんに名義人を一軒、一軒回っていただくことになりました。だが名義人同士の利害が複雑に絡んでいたことや、実印は何があろうと絶対に押さない人がいると分かり、それでは全員の同意をもらうには何年かかるか分からず、その土地は遂に諦めることになりました。

しかし夏になると大槻さんは例の10軒の共有地の隣地で、南阪名道に面した300坪の土地を探して来ました。坪数で言えば霊園には小さい土地です。秋には資金を用意して、取りあえずその土地を購入しました。続いて大槻社長の奔走によって、この300坪の土地から10メートル離れたところに公道からの進入路がない為、坪単価が安い700坪の山林が見つかりました。でもそこへの進入路にしようとする接続路を、皮肉にも先に諦めた10軒の共有者の、1300坪の土地の中に求めなければならなかったのです。

大槻さんは再び10軒の親族の一軒一軒を回って下さいました。私は土地の共同所有者の一人一人から話をよく聞いて、みんなが和解していただくお手伝いをさせていただこうと決意いたしました。しかし時間はどんどん過ぎて行きました。そんな4月のある日、大槻さんがニコニコと笑いながらやって来て、36坪の接続路を私に売却する全員の同意書を見せて下さったのです。私は大槻さんの頑張り強さとその手腕には驚嘆しました。

「あなたは奇跡の不動産屋さん、開運の神様ですよ」とほめる私の言葉を打ち消して、大槻さんは次の様に言われたのです。「私は奇跡など起こしていませんよ。実を言うと、絶対に実印は押さないと言っていたあの方でさえ、息子さんが野瀬さんの霊園が購入するのだと知って、ああ、あの霊園か、あの霊園の経営者の頼みなら真剣に検討しなければいけないよ、と言うから、頑なな心を動かされたのですからね。奇跡を起こしたのは野瀬さんの方です、野瀬さんこそ神様がついているように見えますよ。」

新しい霊園事業の許認可が、私達をハラハラさせながら、半年もの折衝の末にようやく府からおりてきたのも、この頃でした。この行政の許認可とりも、事業資金作りも、隣地地主さんの了解の取り付けも、みんな、この用地確保と同じくらい解決困難な問題だったのに、総てが奇跡的にうまく行きました。
私は十数年前の霊園開発時のときから、一切のものと和解すべしと、誰とも争わず、すべてに感謝しながら生きろ、と教えられ、そのように神意に沿って事業をしてきた御陰で、以後総てがスムーズに事が運んで参りました。この教えとの出会いに私は深く感謝いたします。私は神様に本当に護られ、導かれているとつくづく実感する今日この頃です。