溝口ゼミ卒業生の同期の集まりに出席して

  

 戦前は商社マンだった私の父は戦後、繊維原料商として独立し、後に寝具製造業者となって復興日本の高度経済成長と共に業容を拡大し、日本一の生産量を誇る会社にまで成長させました。私は幼い頃より、そういう父の雄姿に憧れ、高校に進む頃には自分の将来像として、父の後継者となって企業経営に努める自分の姿を思い浮かべておりました。資本主義経済の成熟とともに、企業の所有と経営との分離が進み、サラリーマン経営者あるいは中間管理職の為の、経営の知識と技術を研究する「経営学部」が大学に出来ました。

 私は将来の夢を堅持するため、「経営学部」がある兵庫県の国立大学への受験を選択し、そこに進学できました。専門課程に進んで、どのような学問を専攻するか、という段になって、「苦手なものを選択して苦手を無くせ」との父のアドバイスによって、私は会計学を専攻したのでした。そして私のような者が幸運にも、ゼミの上級生に私がいた体育会ワンゲル部の先輩がおられたこともあって、原価計算、原価管理、工業簿記では日本の会計学界の第一人者であった溝口一雄先生のゼミ生にさせていただきました。

 苦手を無くしたいという消極的な理由から「経営管理会計学」のゼミを選んだ私でありましたが、溝口先生の熱心なご指導によって、私は本当に中小企業の経営者になる道を進むのが良いのか、それとも大学に残って会計学を究めようか、と悩むほど、管理会計学に惹かれてしまいました。4年生になると、日本の軍備を米国の力で拡充しようとする日米安保体制に反対する学生達によって学園が封鎖される期間が長く続きました。溝口先生はその間、自宅にゼミ生を呼ばれ、ゼミナールはきちんと欠かさず開催され、私たちの研究の指導を続けられたのでした。

 8月27日土曜日の午後、全国の同期の溝口ゼミの卒業生の中から8名が、京都大学の時計台記念館の中にあるレストランに集まりました。こんな機会でも無いと京都大学のキャンパスに入ることなどありません。未だ学究意欲旺盛で勉強を続ける人、仕事は変わっても、まだまだこれから社会のお役に立とうという人、仕事はリタイヤし、悠々自適の生活をする人、日本の原子力発電に関わりながら、日本のこれからのエネルギーを考える仕事をする人、今肺ガンを克服し、生への強い意志を示すことで逆に周囲の人々を励まそう、とこの会場に来てくれた人、本当に人様々です。それぞれに人生を楽しんでいる、との印象を受けました。

 結局私は大学には残らず、父の会社に就職するまでの腰掛として、大手商社の就職が内定しました。それを知った溝口先生を大変怒らせ、失望をさせてしまいました。私の進む道では、原価計算も工業簿記も役に立ちそうには無かったからですね。今でもそんな私がゼミにいたことが、装置産業化した大メーカーの原価管理者や経営管理者を養成したい溝口ゼミナールにとって本当に良かったのか、と自問することがあります。ただ、学問は、生活や仕事に役立ってこそ、なんぼのものだ、と口癖のようにおっしゃって下さった先生のお言葉を肝に銘じながら、一生学び続ける、という自らの成長を願い続ける気持ちは忘れたくないものです。