霊性の目覚めと事業経営

 今月は病院に検査入院などすることがあって、ブログを投稿する回数が減ってしまいました。そのお蔭で普段なら読むこともなかった書物を精神を集中できる環境で数日間じっくりと読むことができました。それはいつどこで購入したのか、覚えが無いままに頁もめくらず書棚にしまいこんでいた、鈴木大拙氏の「日本的霊性」という分厚い文庫本でした。

 鈴木大拙氏と言えば、有名な仏教哲学者です。この書の最初に「精神」という言葉と、その精神の奥にある「霊性」の意味について、又両者の違いについて、哲学的に分析されているのですが、普段何気なく使っている言葉なのに改めて考えさせられ、なるほどと頷くところが多かったです。特に「霊性」の特性として「反省」「直覚」「倫理や分別からの超越」を挙げられ、日本人が国民として歴史的に「霊性」に目覚めるのは、勝者必衰の理を国民に目の当たりに見せつけた平家滅亡劇の後だと主張されるのは目から鱗でした。

 私は生長の家の創始者、谷口雅春先生の「生命の実相」のみ教えに従って霊園事業をなそうとしています。それは即ち、私が「霊性の目覚め」によって、神への信仰心によって、霊園の経営をすることであります。経営者は大勢の人から慕われる必要があって、当然徳の高さが求められます。しかしそれは鈴木大拙氏が言うところの、高い倫理性や分別ある精神であって霊性のことを言っているのではありません。しかし私は成功や繁栄を目指さなければならない経営者であるからこそ、論理の積み重ねではなく、体験的で直覚的な真理の把握が必要だと考えるのです。

私の事業にも「目標」や「計画」がありますが、売上や収益と言った数字でなく、人間の生き甲斐にも通ずる、他人(ひと)をどれだけ喜ばせる霊園であるか、という霊園事業の中身そのものに目標を求めています。その観点から私の霊園の理念(理想)はと言いますと、この南大阪という地域の中で、「美原ロイヤルメモリアルパーク」あるいは「美原東ロイヤルメモリアルパーク」が一番快適な墓参ができる霊園だ、と言われるようにしたいのであります。

 それは私の霊園事業を何か特殊なものにしたいと考えているのではなく、この一連のブログの中で前にも申し上げました通り、「人間は体の中に無数の器官があって、それらがうまく機能し合って一つの生命のシステムを形成していますが、それと同じように個々の人間も社会という一つの共同体を構成するそれぞれの役割を担っているのです」(7月5日のブログ)から、企業や団体もそれとまったく同じことが言えるのだ、と思います。個々の人間も、企業体も、皆人類の共通的生命を幸福にするために存在するのだと、だからこそ、それらが滅びることなく、活かされ続けるのだと、「生命の実相」哲学から学ばせていただいているのです。