高校一年生という時代

この秋に高校時代のクラス会を開きたいから、その為の企画会議を開こうと9月4日の夕方、近鉄西大寺駅付近の商業ビル地下にある日本料理店に、下の画像に写っている通り、私を含む県立奈良高等学校を卒業した男性3名、女性2名が集まりました。

その中の、県の教育界で活躍してきた山田さんが、クラス担任だった先生と教育者同士のよしみか、住むところが近いからか、前々から先生のご希望もあって是非ともクラス会を開催したいと言うから、他の4名はその熱意にほだされたと言う訳です。でも山田さんのような方がいるから同窓会ができる訳で山田さんには”感謝”です。

これは卒業年次ではなく、一年生の時のクラス会なのです。なぜ1年生のクラス会なのかと言うと、往時県下屈指の受験校だったものですから、学年を上がるに従い勉強に忙しくなって級友との付き合いも中身の薄いものになり、振り返ると私たちの学校では、一年生の時代が一番印象深かったね、などと言い合う結果になっていることもあります。クラブ活動も最初の一年間しかできなかったという人もいます。それと2年に進級する時に、担任が教育委員会に転勤され、二度と学校に戻られなかったもので、先生にすれば私たちが最初にして最後の教え子だったという事情もあるからです。

 いつ(11月28日11時)、どこ(近鉄桃山御陵駅)で集まり、どこ(料亭魚三楼)で食事をし、どこ(寺田屋)へ行くか、連絡方法などの本題が決まれば、後は食事しながら本番に先駆け、5名だけの同窓会を始めました。そこでは高校1年という時代は自分にとってどんな時代だったのか?や、子供ではなく、孫たちの教育の悩みなどが話題になりました。

高校1年生という時代は、人間が社会人へと成長して行く峠の時代だったと言っても良いでしょう。それまで教室で一緒にふざけ合っていた女子生徒が、急に「異性」と感じる様になって近寄り難くなったり、「性」意識に目覚め、勉学に集中できなくなったり、中には不本意に破局させてしまったほろ苦い初恋の思い出がある人もいるかもしれません。

私は「青春」時代とは人間が「社会人」と成るための「レッスン」を受ける時代だと思っています。この時代の人間は未熟なものですから、知らない内に、あるいは悪気もなく無邪気に、他人を傷つけてしまい、大切な友人関係を壊してしまうということがよくあるものです。そういう失敗の経験を重ね、人は他人の心の痛みを知るようになり、相手の身になって考えられるまでに成長して行くのだろう、と思います。

今の時代は携帯電話が普及していますので、それで人間関係が深化したものと思ってたら、逆に異性の交際相手が見つけられない若者が増えていることがニュースになったり、(元は他人である)恋人との付き合い方を教える若者向けのスクールがあるという話を聞きますと、私たち団塊の世代の青春時代が携帯電話の時代ではなく、ラブレターを書く時代で良かったと思ってしまうのは私だけでしょうか。