なぜ総ての人の願望が神に届かないのか? 中編  ― 今借金で苦しむ人々に ―

私が言う「神」とは何か?ということになりますが、 例えば一見、精神世界とは無縁に見える科学者の中にも、自然科学の研究そのものの中で「神」の存在に気づく人がいます。DNA解明の世界的権威、筑波大学名誉教授の村上和雄先生は、ヒトの遺伝子情報を解読する内に、「これだけ精巧な生命の設計図を、一体誰がどのように書いたのか? もし何の目的もなく自然に出来上がったのだとしたら、これだけ意味のある情報にはなりえない。まさに奇跡としか言いようがなく、人間業(わざ)をはるかに超えている。」と感嘆し、親の、そのまた親の・・・「生命の親」たる「偉大なる何者」かを「サムシング・グレート」と名付けました。私が言う「神」とは、この「サムシング・グレート」と同じものです。だから私は「神」なる概念に総ての宗教の本尊を包含したく、如来様も、仏様も、祖(おや)様も総てのご本尊も私の「神」の概念には含まれているのです。

さてこの経済危機の中、仕方なく借金をしてしまった方もいらっしゃるかと思うのです。それも家購入とか、リフォームとか、マイカーや家具などを購入するための銀行ローンではなく、もっと利息が高い、例えばカード会社のキャッシングとか、消費者ローンなどを借りている方もいらっしゃるのではないかと思うのです。

 かく言う私も、今から20年余り昔、私が勤務する「寝具製造会社」の業績が低迷し、社長の父と副社長の私ら二人を除いて幹部社員が誰もいなくなってしまい、父から会社の再建を託された私は、過去の債務整理をしながら孤 軍奮闘で事業を続ける中、その事業資金を作るために信販会社 、クレジット会社、町の金融会社、サラリーマ ン金融から多額の借金を私個人でしていたこ とがあるので す。

今ならそんな個人相手の金融機関では事業資金は集められないと思われるでしょう 。そこは 昭和の末期、札束が乱れ飛んだバブル景気 の時代でしたから、信販会社 、 カード会社な どから何百万円と信用で借りることができた時代です。サラリーマンの 私ですら、町金からゴルフ場会員券を担保に1000万円借り、別に数社のカード会 社から信用で計1000万円を借りるくらいのことができた不思議な時代だったので す。

しかし年号が平成に変わってバブル景気が終わり、それまで借りてくれ、借りてくれの一辺倒だった金融機関が一斉に回収に回るようになりました。元々滞留した在庫商品が売れたときなどの臨時収入で返済するつもりだったのが、返済のピッチを上げられ、私は本業そっちのけで返済に取り組まなければならなくなりました。町金やカード会社への月々の返済資金を作る為、私は高金利のサラリーマン金融にも手を出して行ったのです。

それにしても銀行ではなく、なぜそのような利息の高い金融機関ばかりから借りたのか? それに会社名義ではなく、なぜ個人名義で借りたのか?と不思議に思われることでしょう。なぜかと申しますと、父は社長でありながら衰退した本業には興味を持たなくなり、実質私が事業を差配していたのですけれども、代表者はあくまで父であって、私一人に会社再建の責務を負わせながら、従業員の雇用や解雇、給与を上げ下げする権限や、銀行と交渉して融資を受ける権限など、会社の再建に必要な権限を何一つ譲ってくれなかったのです。それどころか父は、おまえは営業責任者に過ぎないのだから、毎月要る経費を稼ぐ売上さえ上げてくれたら良いのだ、と言うだけだったのです。

 それでは私の責務は果たせないと抗議しましたが、父は頑として聞き入れません。子供の時から、父親を天才的な事業家として英雄視し、憧れ、尊 敬してきた私でしたが、この時から父を見損 なうようになっただけでなく、激 しく憎むように もなりました。以後は、何一つ相談せず、私一存で取り仕切ることに しました。ですから資金 繰りは取引銀行には相談せず、総てノンバン クからの個人名義の借金となったのです。そ して滞留在庫を処分した資金や、売上入金の一部 を抜いては無断で借金の返済をしていた のです。

私にすれば、父親が本業の資金繰りに取引銀 行を使う気などないと思っていました。なぜなら衰退の一途を辿る会社からは回収を迫る債権者が多い中、銀行によっては まだ融資してくれるところもあったのですが、父はその資金を本業には入れず、株式や不動産投資に回してしまうほど、私の涙ぐましい会社再建の努力を無視していた からなのです。私は従業員の給与日が接近してくる度に胃が痛む毎月でした。年中休みもなく、日々の就寝時間も5時間弱に抑え、私は家庭をも省みず、ただ仕事に没頭していました。

しかしながら、仕事の直属の上司である父に、そして自分を肉親である父親に、何年にも渡って内緒ごとを続けてきたことで、私は良心の呵責に苦しんでおりました。日々の借金の残高を書き込んだノートを見ても、残高は微動しているに過ぎません。最初は在庫処分さえうまく行けば全額返済も困難でないだろうと高をくくっていたら、時間ばかりが経過し、その間の金利によって返せども、返せども、残高が減らない月日が続きました。しかもそのことも自業自得、私は誰にも相談することができませんでした。

何年もの月日が流れ、父親に内緒の借金の残高こそは1千万円を割っていましたが、父親に謝って済ませられる時期はとっくの昔に過ぎていました。このことで私は父に言い逃れもできず、白日の下に明らかにされるなら、私は会社を去るしかありません。両親と同居している私が父親と袂を分かてば、収入が閉ざされるだけでなく、家族の住むところさえなくなるのでした。それよりも何よりも、自分の第一の肉親である親を裏切り続けているという罪悪感は私の心の底に重くのし掛かるのでした。私の微かな希望は、弟アベルを殺して「エデンの東」に追いやられたカインが、神には罰せられず、しかも彼を咎める人たちによって殺されぬよう神から守ってもらったとある旧約聖書の一節にあったのです。

 私はかつて友人が多く、彼らと好んで市内の喫茶店やレストランで雑談していたしましたが、私の財布が急にからっぽになったことに気づいて、私の側 に来なくなった人も大勢いました。けれどもそ んな中、希望を無くさないよ う私を励まし、疲 労しきった私の心を癒やしてくれる人もいまし た。そういう心温かい 人々のお陰で、私はま だ人間を心のどこかで信じることができました。そんな人々の物心両面の温かいサポートに よって、最後まで希望を棄てることがなかった私は、その数年後には遂に借金地獄から解放されること になりました。もしも私が途中でギ ブアップしていたなら、このような幸運のゴー ルには達し得 なかったことでしょう。私に 希望を与えたのは 、「人間は神の最高自己実現である」というキリスト教の言葉 に ありました。人間だけが完璧な存在である神に似せて創られたのだ、と考えるのです。「人間は神の子である」とも言います。私もそう信ずるが故に、借金地獄の釜 の底にのたうつのは本当の自分ではないのだと、必ずご先祖に恥じない本当の自 分に戻って見せるぞ、と強く思い続けたものです。

さて内緒の借金の問題が解決する3年前の平成2年、南大阪の美原町に会社が開発調整区域内に持っていた3千坪の山林を、墓石屋さんの薦めで突然民営霊園に開発しようという話が持ち上がりました。見通しが立たない寝具の事業を廃業し、この収益性が高そうな許認可事業に転業するには、いくつかの難関をクリアーしなければなりませんでした。中でも周囲300メートル内の全住民の同意書を事業許認可の申請書に添付しなければならない、というのが最も高いハードルです。霊園事業の申請地には新興の住宅地が隣接しており、バブルが弾けて買ったばかりの住宅の地価が大きく下がって面白くなところに、付近に霊園などができたらもっと大変です。住民は自分達の宅地の資産価値を守る為にも、絶対霊園の設置には反対しなければなりませんでした。

普通に考えますと、このような住民から霊園の同意書をもらうなんて、絶対に不可能な話に見えませんか? それがそれから4年後、父と私は周囲の総ての住民から同意書を円満にいただけることになりました。即ち私はカインではなく、アベルのように、神に祈りが届いたことになるのです。さてそのお話は次回にいたしましょう。