善き願いは必ず叶えられる (その10 完結編)

 南阪奈道に面する300坪の土地での「美原東ロイヤルメモリアルパーク第一期」の開発許可がおりた翌月の平成19年4月には、後に第一期の土地と接合させる、奥の700坪の土地の売買契約を結びました。3月が年度末である平成18年度決算は剰余金が増えたお陰様で増資ができ、基本金(常に基本財産と同額)を一挙に二倍に増資いたしましたので、府が望まれる霊園としてあるべき財務内容に向かっての第一歩とはなりました。

4月から工事が始まりました。工事のポイントの一つは南阪奈道から見た霊園の景観をどうするかでしたが、私は霊園とは気づかれないように設計したつもりです。それが見事に当たって開園した後の話ではありますが、お墓の開眼式・納骨式に集まるご親族が、公園のような入り口が霊園の玄関とは思わず、うっかり行き過ごされた方があったと聴いて、それは申し訳ないと思いつつ、内心はしてやったりと思ったものでした。

 工事は順調に進み、9月中旬には完了検査が受けられ、販売が開始できそうで、石材店では7月末から販売の準備に入りました。そんな時に大失態をしていたことに気づくのです。それは管理事務所の建物の事でした。その頃往来には仮設事務所がよく展示販売されていました。元々管理棟のビルは後で建てる計画でしたから、とりあえずはそんな廉価の仮設建物で良いと私が勝手に判断していたのです。美原ロイヤルも平成6年の開園当時は、そんな仮設事務所を使ったことがありましたから。

しかし府は、そんな移動可能な建物はいかん、どんな小さな事務所でも建築確認を通した建物でないと、それに建てたら登記をしないと墓地の完了検査には進めないと、ここに来て言い出したのです。私が最初に確認しておくべきでした。墓石の販売が終われば管理棟を壊して待機の人を撤収させた霊園の噂がありました。そんなことが影響したのでしょう。造成工事の竣工を予定する日まで後僅か一ヶ月半。私は真っ青になりました。

「確認すべきは私でした。私にこの挽回をさせて下さい。私の人間関係を使って、きっと間に合わせて見せますから、心配要りません。」と言って下さったのが、設計事務所の山本所長でした。山本さんは一日で設計図を作ると、あれよ、あれよ、と言う間に建築確認をおろして来られました。8月には山本さんから依頼を受けた松原の石崎建設さんが事務所の建築を開始しました。山本さんが書類申請をする間に工場で部材を作っておかれたのでしょう、現場で完成するまで二週間というスピードでした。建物内部が仕上る間に、今度は山本さんから依頼された羽倉司法書士さんが登記の作業を超特急で進めて下さいました。

このように幾多の人達のご協力のお陰で平成19年9月12日に完了検査を受け、その翌日には墓地の販売が許可されました。しかし開園できたのは計画地の30%弱に過ぎません。第二霊園が完成するには、更に3年の月日がかかりました。ただ善き願いは、それがどんなに確率が低かろうが、諦めずに願い続ければ必ず叶えられるのだ、という私の主張の説明はこれで一段落しましたので、このシリーズは一旦ここで終了といたします。霊園、美原東が完成する迄のその後のお話はまた別のシリーズでいたしましょう。(画像は霊園美原東の開園時にSP用としてモデルを使って撮影したもの)