国際グラフに紹介されました。

高松 本日は二代にわたって霊園を経営しておられる美原ロイヤルメモリアルパークさんにお邪魔しました。周辺にはゴルフ場や公園が多く、自然に囲まれてとても心やすらぐ雰囲気があります。それでは最初に霊園を経営されるようになったきっかけについてお聞かせ頂けますか。

野瀬 もともと布団や毛布といった寝具の製造業を父と営んでおり、全盛期には従業員が1,000人を越えるほどでしたが、昭和50年代後半から斜陽産業となって最終的には廃業せざるを得なくなりました。そして平成3年に父が宗教法人の代表役員を継承したことが現在への布石となり、墓石屋さんの勧めでこの地にあった3,000 坪の社有地を宗教法人に買い付けて頂き、大阪府に霊園開発を申請することになった次第です。

高松 全く異なった世界から転身されたの ですね。素朴な疑問で恐縮ですが、霊園というのは誰でも経営できるものなのですか。

野瀬 霊園事業は民間会社には許可が下りず、宗教法人などの公益財団であることと、 当時は周辺300m 以内に住む住民の同意が 必要でした。住民側としては近くに霊園が あれば便利だと感じる一方、土地の価値が下がるのではとの懸念もあるようで、申請から1年後の平成4年6月に経営認可が下 りたものの、地域との折衝はなかなか進み ませんでした。

高松 申請から開園までに多くの時間を費やされたわけですね。

野瀬 おっしゃる通りで、申請地の約3割 を公園や道路として利用できるようにした他、高台にして周辺から墓地が見えないよ うに配慮するなど基本設計において地元住民のご要望を100% 受け入れる形で円満に同意を頂き、経営認可が下りてから更に1年半後の平成6年にようやく開園の運びとな りました。

高松 開園されるまでの長いご苦労を乗り 切られた精神力の源は何だったのですか。

野瀬 同じように努力しても成功する人と しない人がいるのは、人間にはどうするこ ともできないと諦めていたのですが、そん な折「生命の実相」という宗教書に出合ったことが大きかったですね。その中に書かれ ているイエス・キリストの「祭壇に供え物を 捧げる時、隣人と不和であることを思い出 せば、先ずその隣人と和解した後に神に祈 れ」という意味の言葉に衝撃を受け、眼の前 が開かれた思いがしました。平成12 年に父 が他界したため私が霊園の代表を継承しま したが、開発当時の苦労を忘れず今日でも 「本当の和解は妥協や我慢ではなく感謝すること」というその教えを肝に銘じています。

高松 なるほど。ところでお墓というとど うしても暗いイメージを持ってしまいがち ですが、こちらはそういったものを一新する開放的な雰囲気が印象的です。

野瀬 宗教が無数の宗旨宗派に分かれるの は仕方ありませんが、祖霊を供養する作法 は違ってもその思いは同じはずです。そん な中で当霊園では宗派の作法の違いに捕ら われず、祖霊に感謝し供養したいという皆様に共通する想いに応えたいと考えています。お墓の形も同様でして、永代供養墓を 始めしっとりと落ち着きある和風公園墓地、 明るくモダンな洋風公園墓地、関西では初 めての四季折々の花々が彩りを添えるガー デニング墓地など多彩です。経営に関しても毎年納めて頂く霊園管理料は年2回の新 聞でその使い道を公開していますし、日没 後のお参りのための夜間照明設備や各種会合にご利用頂ける法要施設の設置、また、 ホームページの充実や墓参者の便を図って 365 日管理棟を開けていることなど、お客 様のご要望に可能な限りお応えしています。
そしてお客様とは子々孫々に至るまでの長 いお付き合いと心得、常に地域住民の方々とお参りされる皆様のお声を反映し続ける 経営を心掛けています。

高松 今後の目標や夢もお聞かせ下さい。

野瀬 当霊園はお盆やお彼岸以外にも墓参者が多いのが特徴で、私どもも非常に有り 難く感じています。今後もそういった方々がますます増えると共に、本当に喜んで頂 ける霊園をまた1 つ大阪で開園できればと 考えています。また、ガーデニング墓地は 好評であっという間に完売してしまったの ですが、やはり日本人ですので例えば日本庭園の中にお墓が建てられる、そんな霊園も今後は造ってみたいですね。

高松 亡くなられた方のご供養とお参りに 来られる方の気持ちを大切にした、まさに 心の通う、心に残る霊園です。