善き願いは必ず叶えられる (その8)

 なぜ府は霊園の財務書類に目を通すなり、開発の件はもう話し合えないなどと言い出したのでしょう。そこには何か誤解があるようです。しかし会ってもらえないと誤解を解く弁明ができません。やがて府が開園以来入った墓地代に比較して残っている資金が少ないと感じ、過去の経営に不信感をお持ちになり、しかも現在の経営者も経営の安定化目的に積極的に資金を貯める気がないと失望されていることを人を通して聞かされました。

資金があまり貯まらなかったことは紛れもない事実です。そう言われると私の頭には、開発や開園に纏わる様々な経費を一度に払えず長きに渡って支払ってきたことや、その後も霊園を改善して墓地を売りやすくする為、設備投資を果てしなく繰り返したことが思い出されました。私や私の父親がこの種の仕事に全くの素人だった為に、それらは高くついた授業料だったのでしょう。もしも府が私たちの過去について咎められるのなら、この開発申請に許可を戴くのは無理なのかもしれません。

 それよりも大きな原因は、この霊園が企画されたのはバブル経済の時期であり、やっと開園した時には既にバブルは弾け、その後もデフレが続いた為に、どれだけ墓地収入が計画から減少したことか。私も不動産を触る事業者の一人、開園以来、ひたすらデフレに潰されぬように生き残りを賭けて精一杯の努力をしてきたつもりです。それが私の場合、霊園設備の改善だったのです。それで墓地の値崩れを必死に抑えてきたのでした。

前の会社の債務整理が目的で霊園事業を始めたのだから、お金が残っていないのは仕方ないさ、と世間では私に同情して知ったかぶりに言う人もいました。それも見当違いの誤解です。府から許可を頂いて霊園が開園された後は、墓地代が霊園事業以外に費消されたことなど、開園の半年前に廃業にした製綿・縫製工場の十数名の解雇した工員の労働債務を支払った一件を除いては天に誓ってありません。事実霊園事業には、そんな余裕も無かったのです。

 私の事業のパートナーで、私にこの事業を教えて下さった丸長石材様から、次のようなアドバイスをいただきました。「あなたにも言い分はあるでしょうが、昔の事情なんか蒸し返して言い訳したって、かえって問題を複雑にするだけで解決が遠のいてしまいます。それよりも、これまでの経営姿勢を深く反省して、今後入ってくる墓地代は使わず、残すよう努力いたします、と府にお誓いし、平身低頭謝って下さい。それしかありません。」

しかし府は、私の反省の言葉よりも、済んだことを言っても仕方がないが、今、経営方針が変わったことをこの目で確認しなければ審議には応じられないと冷厳な対応でした。どんなに新霊園の開園を急ぎたくてもどうにもならず、私の前に立ちはだかる大阪府でした。しかしそこで私は自分に言い聞かせました。善き願いに立ちはだかるものなど無いのだ、自分は今まで谷口雅春先生の教えの何を学んで来たのか、府は府として申請者が未来永劫、安定した経営をしてもらいたいが為に、親心で叱って下さるのではないかと私は府にむしろ感謝しなければならなかったのでした。
 平成18年は開発の許認可も、二つの開発予定地を接続する通路用地の手当も、私の願いを無情にも見て見ぬふりするように、何の進展もなく静かに暮れて行きました。
(画像は平成18年秋の彼岸の美原ロイヤルでのスナップです。)