対テロ戦争と南北朝内乱を比較して思うこと
長くホームページを更新せず、申し訳ありませんでした。ご存じの方も多いでしょうが、私は南大阪で民営霊園を経営しています。もともと繊維関係の仕事をしていたのですが、転業して15年の月日が流れ、お陰様で霊園内の墓地使用率が85%を超えるようになりましたので、昨年秋にその近所に第二霊園を開園することになりました。これも行政の許認可が必要なのは無論のこと。一昨年の春からずっとそういった土地の取得やら開発申請やら、準備にかかってきたものですから、精神的にすっかり疲労してしまい、正直、このような息抜きのことですら、しばらくは出来なくなっておりました。
さて私は年2回霊園新聞を作ってお客様に送付しているのですが、その中で「太平記時代の河内を探訪する」と題し、楠木正成、正行親子の時代の歴史紀行を連載させていただいています。今回発行した号で、丁度シリーズの真ん中くらいになりましょうか、「桜井の別れ」について書かせていただきました。この時代の歴史ドラマは、太平記という古典がありますので、それに書かれていることが、どうしても国民的な定説になってしまうのは仕方ないかもしれません。しかし他の記録に顕れた事実なども比較検討して行くと、その伝えられる国民的定説がどうも疑わしいことになることがしばしばあります。
それも歴史ドラマの大筋を変えない程度の枝葉末節な事なら、いちいち議論する必要はないでしょう。しかしそれが歴史ドラマに登場する主役たちがとった行動の意味するところや、またその新発見によって歴史の主役たちの人となりが、すっかり定説と違って見えることになったら、これは一大事だと言わざるを得ません。
楠木正成とその弟、和田正季とが、七生報国(七度生まれ替わっても、国家の敵を討つ)を誓って湊川の戦いで最期に刺し違えて死んだ、というのは、今も多くの日本人がそのことを歴史的事実だと、正成をそのような愛国論者だったと認識していますし、玉砕や特攻精神が究極の愛国だと教えた戦前なら「絶対的事実」だったのでしょう。
しかしながら少しでも楠木正成の兄弟たちがいつ死んだのか、を調査してみた人なら、あの日、湊川の川原付近の農家の中で正成と一緒に死んだのは正季ではなかったことぐらいすぐ分かることですし、私がおかしいと思うのは、戦前からそのことはちょっとした郷土史家なら皆知っていたことなのです。だから楠木正成がどんな最期だったのか、見た人は誰もいなかった、ということが正しいと思います。
即ち正成がどんな思いでこの戦いに挑み、どんな思いで自らの死を選んだのかは、太平記などの古典だけでは分からないことになります。だからこそ、戦後多数の歴史家、評論家、文学者などが、それぞれに正成のこの戦いに挑んだ思いについて想像し、それぞれの自説を展開しているのです。
さてこの時代相争った二つの勢力の言い分を比較するなら、現代人には武家方の言い分がよく理解できます。彼らは現実的な損得という価値判断でものごとを判断しているからです。後醍醐天皇方の、富を分配する基準も、官位を与える基準も、現代人にはまるで理解ができません。そこには合理的な物差しが見えません。だから戦後、吉川英治が「私本太平記」と題して、足利尊氏が主役の小説に書き直したとき、恐らく著者にすればそれは相当覚悟がいることだったとは想像するのですが、蓋を開けてみるとそれを非難する人は案外少なく、むしろ多くの国民が拍手喝采してきました。
もしも今の時代に、損得など何も関係がない、国民がもっと貧しくなろうとも、天皇陛下を国家の頂点に仰ぎ、もっと軍事的に強い国家にするのが望ましいなどと主張する人々がいたら、国民世論からも、日本人の価値観からも、かなり外れた思想の持ち主だと烙印がおされることでしょう。きっとその時代でも、同じことだったと思います。足利尊氏が天下を掌握し、京の室町に幕府を開いた後も、後醍醐天皇を支持してきた人は何世代にも渡って体制に抵抗し続けました。武家方の人々から見れば、損得抜きの原理主義を唱える彼らが、きっと奇異なる人々、理解できぬ人々に見えただろう、と思います。
しかし考えて見れば、価値観がまったく違う二つの世界、そのどちらが人間として正しい哲学なのかは、実はその中に埋没した人間には分からないことなのではありませんか。現代の日本人は、敗戦によって、政治的にも、経済的にも、文化的にも長く米国に支配され、いつのまにか価値観がアメリカ人と同じようになりました。まだ米国はキリスト教国ですが、現代の日本は、もう宗教など心の隅におしやられ、欧米以上に唯物論が跋扈する社会になっています。そして宗教も道徳も児童教育の現場から閉め出してきた弊害が今様々な社会問題を引き起こしているのだと私は確信するところです。
かつての国家社会主義を掲げて欧米の自由主義陣営と覇権を争ったソ連邦が崩壊した後も、また新たなる国際紛争が発生しています。ソ連邦に代わって新たに先進自由主義陣営の敵となった集団を、今日テロ集団と決めつけ、価値観相容れぬ人々と烙印を押してしまっています。誰も彼らをよく知ろうとはしていません。であれば、南北朝の内乱のように、きっと何世代にも渡っての憎悪が膨らみ、互いに破壊し合い、殺し合いをする世が続くのを覚悟しなければならないのではないでしょうか。
平成20年9月14日記