美原東新管理棟の竣工(仕事と宗教)その1

私の誕生日が今年もやって参りました。この歳まで生きられたことには感謝しておりますが、それだけ老いたことにもなり、誕生日を迎えての心境は複雑です。今年はフエイスブック(FB)の仲間から誕生日を祝うメッセージを多数戴くことになりました。その日になるとFBが私の誕生日の到来を、“友達”と登録された人々に、スマホやPCで機械的に知らせるからです。FBで戴いた祝辞の中には、私の宗教観を尋ねるものがありました。


私は幼い時から神社等で祈れば願いが叶うと言った事象に深い関心を持ち、又縁あってキリスト教にも触れ、教会の日曜礼拝にも通い、学生時代は生活指針を説く哲学として仏教を独学しましたので、信仰対象をなかなか絞りきれなかったところ、今から二十数年前、谷口雅春先生が昭和の初めに創始なさいました「生長の家」の教えに出会い、「世界の正しい宗教は唯一つの真理、人間は神(仏)の子であると説く」という信仰に深く傾倒することになったことは誰にも包み隠さず公言しておりますので、この私の宗教観を今更何故問い直されるのか?と不思議に思ったものでした。


 そこで私ははっと気づきました。私の仕事上での役職は、宗教法人宙畍教(ちゅうかいきょう)の教主であり、その公益財団の財産を管理する代表役員でした。もしかしたら、質問者は、この宗教法人についてお知りになりたかったのではないかと。例えば、「生長の家」では人間には本来罪は無いと説きますが、宙畍教はどうなのか? 世間一般の宗教のように自分の罪の深さを自覚することから出発する宗教なのか? そのように教義が違う場合、宙畍教代表である私はどちらをとるのか?と疑問を持たれたのかもしれません。


 この八月二日、三日と二日間に分けて、宗教法人宙畍教が施主となる美原東ロイヤルメモリアルパークの「新管理棟お披露目会」を多数のお客様をお呼びして開催いたしました。初日の八月二日には父の時代から懇意にしている自宅近くの奈良、菅原天満宮の中村宮司様にもお手伝いいただき、新管理棟の竣工式の神事を行いました。出雲の大国主命を祭神とする宙畍教も他の神社と同じで、日本古来の言霊信仰の神道に違いはありませんから、宙畍教として何か特別に際だった教義がある訳ではありません。言うならば、法律上、宗教法人でないと霊園の経営ができないから、霊園施主としての存在理由があっただけなのです。


 こんな風に言ってしまうと身も蓋もありません。寧ろ我が国で霊園経営者の資格を宗教法人に求める理由については真摯に考えるべきでしょう。ひとつは当然ながら事業体の永続性が求められることです。株式会社では、株主の都合で解散や売却が行われるかもしれないし、他の事業の失敗から倒産もあるかもしれません。尤も最近ではお寺が手を出した事業に失敗し破産した例もあるにはあります。霊園経営を宗教法人がすべき理由は、こちらがその理由の第一かと思いますが、それは霊園の経営とともに埋葬者の霊供養をすること、それこそが世間から霊園経営者に求められる使命なのではないでしょうか。
(画像の④は主賓の大阪府会議員、府議会副議長の岩下学先生、画像の⑤は記念講演をされたインデックスの北川雅夫氏)