恩師の「みささぎ巡拝の記」を拝読して

私は二つの霊園の「霊園施主」である神道系宗教法人の代表者であると同時に、「生長の家」の信徒であり、この教えに共鳴する産業人の団体「栄える会」の会員であることは既に述べた通りです。20年前に入信した私を出講ができる講師とするまで導いて下さった女性の先生が、霊園近くの北野田に住んでおられます。数ヶ月前、先生のご自宅で開かれた相愛会誌友会への出講で、久しぶりに恩師を拝顔させていただくことになりました。

私はその日、先生が昨年夏に著され、印刷された、「みささぎ巡拝の記 ―飛鳥・奈良時代の天皇―」と題する一冊のご本をいただいて帰りました。古代史好きな私には興味ある内容でしたが、美原東の府の完了検査を控え、気の許せない時期でありましたので、誠に申し訳ないことながら、ご本のページを開く心のゆとりを得たのは、それから数ヶ月も経ったごく最近のこととなりました。私はご本を開くなり、思わず息を呑みました。

 その本には飛鳥時代の始まりから奈良時代が終わるまでの歴代の天皇の御陵を自分の脚で廻られて書かれた紀行文に加え、それぞれの天皇の統治理念や業績を丹念に調べ上げられ、纏められたのがあまりに理路整然なのに、私は脱帽感服いたしました。国家の中心に天皇をおく「天皇国日本」の理念が確立されたのは飛鳥・白鳳時代であり、聖徳太子を初め、それに関わられた歴代の天皇の偉業を称賛された故山口悌治(やすはる)先生の思想がベースとなっているようですが、ご皇室への崇敬の念溢れる先生の日本国家実相観がよく表されていました。

かつて恩師が教団の大阪教区の要職を拝命しておられた時に、私が編集委員を勤める栄える会の機関誌にご寄稿下さったことがありますが、その中で先生は次の様に述べておられます。

古代日本民族は、天を仰いで地に伏して、万象の根源を「一」として捉え、そればかりか山川草木等、感覚的には別個に見える一切の中にも「神」を見出し、すべての創り主は一つの神であると認めたのであります。」(「輝くなにわ」平成13年新年号8頁)

 即ち多の根源には「一」があり、それが中心であり、そこに理念が集約され、それ故に中心こそが崇敬され帰順されるものである、と論理が展開し、故に神意あるいは真理に沿う国家形態とは、神意が天降る王として即位された天皇から代々その神意を継承なされた天皇が、神意や仁徳によって統(す)める国、治(し)らす国である、という主張です。このことは昔生長の家で良く言われたことなのですが、最近は否定しないものの、あまり口に出しては言わなくなりました。教団が今や南米、ヨーロッパ、北米、東アジアと世界に拡がりつつあることや、今は一国のことよりも世界平和を希求する時代からなのでしょう。

しかしそれでも、否それだからこそ、今の日本の若者にはこの日本国の生い立ちと歴代の天皇様がそれにどのように関わって来られたかをよく知ってほしいものです。自らの国のこと、自らの民族のこと、それをよく知り、その誇りを持つことで、初めて世界の諸国のこと、諸民族のことが理解でき、それぞれの人々のそれぞれの誇りをも認めることができるのだと、そして、それこそが真の世界平和に繋がる道なのではないのでしょうか。
(画像は平城京跡で開催される「平城遷都1300年祭」 4月28日撮影)