献血を通じて感じる我が国の将来への憂い

 3月22日木曜日、松原ライオンズクラブは、松原の商工会議所ビルの二階にて、6月末が年度末であるライオンズ年度、第四回目の赤十字社の献血のお手伝いをいたしました。毎年この傾向は変わっていませんが、建物の中に入って行う分、街頭に目立つようにバスを並べるのに比べて、献血受付者はどうしても少なくなりがちです。受付者はライオンズメンバーの家族や従業員まで入れて73名、その内健康に問題なく採血ができた人は50名でした。

 この献血活動に奉仕活動の重点をおいているライオンズクラブでも、最近やかましく議論され、深刻な問題意識がもたれることは、献血に来る若い人が減少してしまったことなのです。実際、この日の商工会議所での献血にも若い人の姿は殆ど見られませんでした。集団なら、東北の被災地でも、あれほどボランテイア活動に行く今の若い人達が、なぜ輸血用の血液が必要だと理解しながらも、自分の血は献血したがらないのか、疑問に思います。血液は長期保存ができません。このままでは、何時の日か、我が国ではきっと輸血用の血液が不足することになるでしょう。

 今お隣の中国では、交通事故にあった少女を通行人が見殺しにしたことや、暴漢に襲われ負傷して倒れていた少女を、警察官が瀕死の浮浪者だと勘違いし、面倒だからと管轄外の隣の町に運んで側溝に捨てた、という非人道的な事件が起こって、世界の人々を驚かせています。考えて見ますと中国人民は長く共産党の下で教育を受けて来たのですから、労働者を搾取する資本家と戦う「階級闘争」の世界観を前提とするなら、余裕ある者が無き者に分け与える慈善行為や人助けなど、搾取して余裕を作った者への階級闘争を妨げる思想と認識されてしまうかもしれません。ですから私達日本人の自由主義社会の倫理観で、中国の人の行動を推し量るのは間違いなのかもしれません。ただ人間の人格形成に学校教育が大きな影響を及ぼす一例として中国のことを申し上げました。

 今の日本の若者たちに話を戻しますと、ボランテイア活動はするのに献血をする人は少ないのと同じように、今の若者についてアンバランスを私が感じるのは、例えば性体験は豊富なのに、将来の人生設計を語り合う恋人はいないとか、仕事が無いと歎きながら、自分で事業を興そうとする若者がいないことです。又人材が求められる発展途上国で自分の力を試そうとする若者もいません。そして世代間格差が問題になりながら、それに抗議して政治活動に立ちあがる若者も無く、投票に行く若者も少ないのが現状です。このような社会性が無く、世の向かう方向にも関心なく、自立心も無い若者を作ってしまった、私のような親世代の責任や、学校教育の責任が、非常に重いのではないでしょうか。私はこの国の将来を憂慮します。