妻と歌舞伎を観る

 9月7日水曜日は仕事休みの日だったので、大阪の松竹座に前々から券を買っていた「九月大歌舞伎」夜の部を妻と二人で観に行きました。演目は「西遊記」に材を取った「華果西遊記」に始まり、中幕には、歌舞伎十八番随一の人気作である「勧進帳」を、團十郎の富樫、海老蔵の弁慶という配役で、そして切狂言として松竹新喜劇の名作を歌舞伎に仕立て直した「幸助餅」が演じられました。

 「勧進帳」では海老蔵の目力と演技の迫力にも感動しましたが、私は三幕目の「幸助餅」には思わず目頭が熱くなったものでした。それはどんな話かと言いますと、今の大阪が商人の町大坂として賑わった時代、以前は指折りの餅米問屋の主人だった幸助が、雷(いかづち)という力士を贔屓にした為に、店の金から家蔵まで売り払って入れ揚げた末、長屋住まいにまで落ちぶれてしまいました。見栄に踊らされたかつての生活を反省して、妹を郭の下働きに出して受け取った30両を元手に、幸助は店の再建をもくろむのでしたが、江戸に出た後に大関に迄出世した喜びを幸助と分かち合いたいと大坂に戻った力士の雷にばったりと出くわし、元の悪い癖が出て、昇進への祝儀として大事なその30両を雷にやってしまうのでした。

 そこへ女房と叔父が現れ、幸助から仔細を聞いて、雷には金を返してほしいと三人で土下座して頼むのだが、これまでの恩を忘れたように、雷はこちらも芸人なら、嫌な思いも腹蔵し、客に頭を下げ、顔で笑って貰った金は返せない、と冷たく拒絶するのです。結果、あの鬼畜生、必ず見返してやるぞ、と頑張り抜き、幸助は妹の身を売った金も返して、夫婦と妹三人が必死に働いて、大坂でも名の知れる餅屋の主人になるほど商売に成功いたしました。そこで再び、大坂切っての人気力士の雷に逢い、雷の自分へのかつての冷たい仕打ちの真相を知ることになるのです。勿論、雷は、幸助の恩を忘れたのではなく、恩に報いたいが為に、心を鬼にして、幸助を突き放したのでした。

 この話は、亡くなった父のことを私に思い出させました。父親は寝具関係の総ての商品を製造する企業を創業しましたが、毛布事業の失敗から端を発し、それまであった様々な事業部が順番に廃業となって、幹部社員が次々に会社を去って行き、昭和61年頃から今の霊園事業に転業する平成6年まで、会社の代表である父が高い所から采配を振るだけになって、幹部では一人残った私が会社の再建を目指して孤軍奮闘で頑張らなければなりませんでした。だがあまりに商売環境が逆風の中、厳しかった上に、父からは助けられるどころか、逆に私は父からも虐め抜かれたのです。父の親心が分からなかった私は父を酷く恨んだこともありました。父という経営の相談相手がいなくなった今、次々に遭遇する思わぬ難局にも、心を動じることなく勇気をもって対応できるのは、父の自分へのあの厳しい教育の賜物だったと歌舞伎を観て思い起こした、という訳なのです。

画像の下二つは、父野瀬文平が開園した美原ロイヤルメモリアルパークの現況、その下は同霊園にある父の墓です。