善き願いは必ず叶えられる (その2)

平成16年9月、あと数カ月で美原町が大阪府の許認可権が及ばない政令指定都市の堺市に移行するのだからと、府から美原町での霊園開発申請の受付を来月月末で締め切りたいと言われた丁度その頃、松原市内の設計事務所に作成をお願いしていた府に提出用の霊園開発申請の為の「事前協議書」が上がって来ました。その中には私の基本設計に沿い、設計事務所によって完成された500区画余りの精密な霊園完成図面が添付されていました。私はその霊園を「南阪奈吉祥霊園」と名付けていました。

 懸案の南阪奈道から開発地への進入路の提供は府の公社からなんとか了解を取り付けたものの、土木事務所がいつから工事にかかれるのか、すぐのことなのか、まだまだ先のことなのか、まったく予想しかねました。美原ロイヤルの開発以来、懇意にしてきた設計事務所の所長さんは「許可がおりる要件さえ充たせば、実際の進入路取り付けなど申請の後になっても大目で見てもらえるように、そして更に時間が掛かりそうなら将来堺市から許可がいただけるよう前向きな引継をしてもらえるよう私から府にお願いしてみます」と、不安げな私を励まして下さるのでした。

しかしながら今出来上がったばかりの事前協議書は、府の行政官がまだ1ページも目を通しておられません。これまであまりにも進入路のことばかりに気をとられていました。この書類が開発許可の要件を完璧に満たしているのなら、行政にそのようにお願いするのも検討に値するでしょう。しかしこの協議書を紐解いた途端、どんな解決困難な問題が発生するかも分からず、そんな時私を信じて設計事務所や行政官が私の霊園開発に特別な配慮をされていたりすると、後で大変なご迷惑をかけることになるではありませんか。

 加えて大きな問題は、霊園事業のパートナーである石材店の丸長さんと一向に新霊園を販売する為の打合せに入れなかったことです。丸長さんと言えば、この葬祭ビジネスに私を導いて下さった恩義ある会社です。丸長さんは、「付近に第二霊園、それは良い。お手伝いできることがあれば何でも言って下さい。」とはおっしゃるものの、開発や企画には今一つ参画して来られません。ですから私は大事なパートナーの意見を殆ど聞かずに、霊園の名称も、墓地や諸設備配置のデザインも、一人で決めてしまっていました。互いに共同事業者である筈なのに、この霊園開発については気持ちが一つになりません。南阪奈吉祥霊園の開発行為は私が一人で相撲をとっている気がしてきました。

私は大切な「願い事」をするとき、その気持ちを強く私の心の奥底に刻み込むために、又そうすることでその願いが成就するのだと信ずるが故に、静かな早朝に神棚などを前にして瞑想しながら精神を集中させるのです。私の願望が私だけの願望ではなく、私の周りの総てのものの願望であることを、瞑想しながら直感で確かめてみるのです。しかしこの「南阪奈吉祥霊園」の開発成功への願望を改めて見つめなおしますと、どうもそれは私の我儘であって、私の周囲一般の心とも、宇宙(神)の心とも調和していないように見えて参りました。しかしあの地主さんが無欲な善い方でも、これだけ待たせれば、そろそろご自分の土地がお金に変わる頃だろうと期待されているに違いありません。私は霊園の代表者として、ここで苦しく辛い決断をしなければなりませんでした。(上掲の航空写真は南阪奈道開通当時のもの)