季節・季節の奈良公園を散策します  ― 春 編 ―

1)散策の前に奈良の町の生い立ちを考える。

長く奈良に住んでいるのに昼間はずっと生国の大阪にいるからか、正直未だ自分が奈良市民だという自覚が足りません。それでも昔から奈良公園の木々の下での読書や、他府県の友人を公園に案内することが大好きでしたし、間違いなく奈良は一番好きな処です。ただしそれは他国者だからこそ持つ興味や関心なのかもしれません。
さて奈良の町は、小さな地方都市、発展から取り残された田舎の町かもしれません。しかし江戸時代には江戸、京、大坂と肩を並べるほどの人口が集中した地域だった訳で、だからこそ藩には任せず幕府が直接支配した「町」だったのです。奈良は一大宗教都市として町奉行の支配下にあって、お寺や神社の参詣人で賑わうだけではなく、封建制の藩の支配を離れて比較的縛られない「町」であったからこそ、今日に継承される様々な伝統工芸の技能を持つ職人たちが多数集ったのだと思います。
ずっと大昔に遡れば、数十年前まで奈良町の西に広がる水田地帯だった盆地の平野部に、平城京という唐の都にならった広大な都市があった訳で、ここが間違いなく8世紀日本の国政・外交・文化の中心地だったのです。そこに建ち並ぶ竜宮城のようにまばゆい青瓦、丹塗柱の王宮の建物群は、やがて平安遷都とともに京の町に移築されて行きました。そして国の都を鬼門の災いから守る「東の外京」として寺社(東大寺、興福寺、元興寺、新薬師寺、春日大社等)を集めていた一角だけが門前町奈良として残りました。

(2)名園や神社の杜に奈良らしさを見る

もしも散策するのに4、5時間の時間がとれるのなら、例えば奈良県庁の辺りから出発して奈良公園を時計回りに歩くのをお薦めします。県庁から依水園、吉城園、東大寺戒壇院、東大寺大仏殿、県公会堂の順に歩いて、春日大社の参道から杜の中を高畑に抜ける道、浮見堂、大乗院庭園を経て、最後は「ならまち」に戻って来るのです。この逆に回ってもいいでしょう。時計回りに歩けば昼食まではちょっと歩きますが、県公会堂の中のレストランがお薦めです。逆に回れば、ならまちにて食事がとれますが、最近は高畑の住宅地にもおしゃれな食事ができるようになりました。

依水園も吉城園も奈良を代表する名園ですが、京都の庭園とは似て違うところがあるようです。奈良に都があった時代と、都が京に移った以後の時代とでは、日本人の「自然観」が微妙に違って、それが植栽の違いにも現れているのではないかと考えます。そしてそれこそが京都とは違う奈良らしさではないかと。たとえて申しますと、京都の名園に数日降り続いた雨でもしも雑草が伸びたなら、直ちに抜き取られるだろうと思います。しかし奈良の庭園には雑草も自然美の一部として溶け込んでいる場合もあるのです。そこで一番奈良らしい自然に触れる場所は、春日大社の太古さながらの鬱蒼とした杜の中のプロムナード、つまり春日参道の各所と高畑の住宅地を結ぶ数本の「禰宜(ねぎ 神官)の道」だと私は考えています。だからこの道を是非歩かれるのをお薦めします。ここを歩かずに奈良公園の良さを語ることはできないと思うのですが、いかがでしょうか。

(3)野外でコーヒーが飲める喫茶店

 さてここで奈良でなければの喫茶店をご紹介いたしましょう。奈良でなければ、と言うのは、野外でコーヒーを飲ませる店のこと。大阪では見たことがありません。京都ではどうでしょうか。私が奈良で知るのは次の3店です。先ずは依水園の近くにある喫茶店「ときわ」。入ってずうっと奥に進むと野外でお茶を飲むところがあり、そこから東大寺南大門や若草山が見えます。次は春日大社の参道から杜の中を一番西の禰宜の道を5分くらい歩くと文豪の志賀直哉の旧宅に出ますが、その横の「たかばたけ茶論」、庭の中に植えられたヒマラヤ杉の下で飲むコーヒーの味は格別です。次は「ならまち」の「黄花(おうか)」。この店もずうっと奥に進みますとガーデニングがある庭でお茶ができるようになっています。このような野外喫茶店で5月の薫風に頬を撫でられながら、コーヒーの味を楽しむのも、散策の脚の疲れをとるのにはとても効果的ではないでしょうか。

(4)奈良公園の桜

 私が説明することではありませんが、奈良公園には幾種類もの桜が植えられており、種類によって開花の時期が微妙に違いますので、4月はいつ奈良公園に出かけても桜の花を見ることができます。早く咲くのは国立博物館前の氷川神社のしだれ桜。氷川神社のしだれ桜が満開になりますと浮見堂付近や、県公会堂前の広場の染井吉野が七部咲きになります。年によっては染井吉野が一 旦散った後で若草山山麓付近の八重九重桜が満開となることもありますが、今年の4月は寒い日が多かったからか、八重九重桜が咲く頃も、遅咲きの山桜は勿論、染井吉野までもが散らずに咲いていました。この時期の散策に、桜の花の薄いピンクの色が、どんなに仕事に疲れた心を癒してくれることでしょう。

(5)ならまち散策

 江戸時代の末頃から明治時代にかけての町屋の面影を今に伝える「ならまち」のことを私が説明することもないでしょうが、少なくとも私は何度訪れても飽きるということがないほど好きな町です。そしてこの町の散策で私の奈良公園散策はピリオドが打たれるのですが、最期に「なら工芸館」の前にあるおしゃれな喫茶店「テン・テン・カフェ」で中国茶を楽しむことが多いことを付け加えておきます。ご存知の方も多いでしょうが、今は故人となられた歌手の河島英吾さんのご家族が経営なさっているお店です。

次は季節を夏に変えてまたこの散策コースの知られざる魅力について書かせていただきたいと思います。

(平成18年5月8日)