序章(廃業の決断)その1


平成五年(一九九三年)七月某日、その日は雲一つない好天の夏日であった。昔から大阪の副都心と言われながらも、大阪都心の発展に比べれば、次第に地方都市になって来ている堺市だが、中心地である南海高野線堺東駅の付近だけは今も大阪都心に負けない賑わいを見せている。
駅西口の前の銀行ビルにある堺公証人役場に、南河内郡丹南町桜台西自治会の役員数名と、同地区に二年前から霊園開発を大阪府に申請している業者関係者数名が集まり、半年前に交わした墓地造成工事等に関する協定書を公正証書にする作業を終えた。
内容は自治会の同意を得る条件として、申請地の二十五パーセント、約七百坪を公共の公園用地として自治会に引き渡すことや、自治会に接する東西百メートルの境界に沿ってダムの様な擁壁を造り、中を盛り土にして住宅の二階の窓から見えない高い位置に墓地を造れ、という自治会側の希望を百パーセント呑んだものだった。もしもこの協定に従って業者側が造成工事をしたら、造った墓地全部売っても利益は出ないだろうと誰もが思っていた。
(写真は筆者が経営する堺市美原区の霊園の南側にある敷地700坪の公園、貸し農園である。擁壁の向こうに霊園がある。)


だからこんな条件を突きつけたら、業者側は事業目的が叶わないのだから、申請は取り消すのかと思いきや、それでも霊園を造りたいから協定書を交わそうと言って来たのだ。こいつらは信用ならない。協定書にいくら実印を押そうが、一旦同意書を渡してしまったら、約束など反故にして工事をするに違いないのだ。だから自治会は公正証書の作成を要求したのだった。

関係者の署名が終わると誰もがテーブルの上のお茶には手をつけず、そそくさと席を立った。なんという暑い日だ。ハンケチで拭いても吹いても、額からにじみ出る汗が、お互いに相手側への腹立たしさを一層高めるのであった。
自治会の役員連からは憎悪の対象であったこの業者、霊園開発を申請している「丹南メモリアルパーク」の霊園施主予定者、宗教法人香川大社代表役員、野須川俊平(六十九歳)、本業は寝具製造業、野須川寝具産業の代表者であるが、二年前に野須川俊平が府に霊園開発を申請した新興住宅地、桜台西一丁目に隣接する三千坪の山林とは、彼が住宅地に開発しようとして巨額の資金をつぎ込んだ挙句に宅地開発に見事失敗した土地なのである。
宅地開発に失敗した山林、地目こそ山林だが、調整解除の許可も待たずに、それを止める他人の意見も聞かずして、地域の有力者や政治家に頼んでいるから何とかなるだろうと、見切り発車で造成工事までして、電気・水道・ガス完備の四十五軒分の宅地を造ったのだった。
しかし結局は行政から調整区域の解除が得られず、開発は失敗に終わり、今は住む人の無い宅地のまま放置され、以後二年間夏草の茂るままに任せている。


「あの野須川という男は、宅地開発に失敗したら、それに懲りずに次は宗教法人で霊園開発か!」
霊園開発! それは隣接の新興住宅地の住民には罵りたい「悪魔の企て」であった。関東の鉄道会社がこの付近一帯の山林を、道路、学校、水路、病院などを計画的にセットされた一大ニュータウンとして法令に則った大規模開発をし、この丹南町桜台住宅地の分譲を開始したのは、正にバブル景気の真只中であった。いきなり宅地やビル等の価格、そして上場会社の株価も何倍にも跳ね上がった時代である。不動産屋に加えて銀行までもが、それでも今買っておかないと一生買えませんよ、などと口を揃えて言うものだから、泣く泣く背伸びして高額な住宅ローンを組んだ人が多かった。
ところがバブル景気はすぐに弾けてしまった。宅地もビルの値段も、株価も、急速な下落が始まった。買ったばかりの自宅を他人に売ろうとしたら、二割三割値引いても売れなくなったのだ。それでも一旦組んだ住宅ローンの額は相場では動かない。そんなときに自分の棲む住宅地の隣に更に不動産価値を下げる霊園の新設に、誰が同意するだろうか。平成五年とは資産価値暴落に多くの人が悲鳴を上げる時代であった。

宅地開発に失敗した野須川俊平が、今度は同地で霊園開発を申請した平成三年の春から翌年の夏までの一年以上、桜台西自治会の住民は誰一人彼を相手にしなかった。なぜなら往時の大阪府の墓地開発の許認可の前提条件として、申請地から半径三百メートル内に住む全住民の同意書の提出が義務付けられ、住民には拒否権が公認されていたからである。
ところが大阪府が野須川の度重なる陳情や、彼が寄越した交渉人の詭弁に負けたかのように、翌年平成四年六月、遂に事業の許認可を降ろしてしまった。申請から一年後ののことだ。しかしだからと言って野須川が直ちに墓地の工事や販売を開始できるものではなかった。この許認可は条件付きの許認可であったのだ。誰にも忖度しなかった府の窓口は見上げたものだ。

つまり付近住民の同意書を得るまでは、工事も販売も致しませんとの誓約書と交換に出された許認可だったのだ。それでも府の事業許認可は、桜台の住民をして申請者との折衝のテーブルに無理矢理でも着かせる力はあったのだ。以後毎月この件についての住民集会が開かれることになった。

野須川俊平は帰ろうと背を向けた桜台西自治会の下村区長を後ろから呼び止めた。
「区長、気が済んだかい。これであんたの言うことは全部聞いてやったんだ。後はあんたが自治会の同意書を俺に持って来る番や。一日も早く頼むぜ。」
下村区長は野須川に返事もせず、自治会役員たちに、先に行って駐車場で待つように指示してからゆっくりと俊平を振り返った。
「野須川さん、分かってるでしょ。私はね、地区長として自治会に所属する住民の意見を纏めるのが仕事なんです。それは会長のこれまでの努力も、忍耐もよく分かります。しかしね、私を怨むのは違いますよ。私も結果的には会長の希望に添って動いて来たんです。ほんとうにようここまで来ましたよ。」
「それがどうした」
「ところが役員連中は私に言うのですよ、区長、絶対、隣の丹比(たんぴ)自治会より先に同意書出さんといてってね、そりゃそうですよね、丹比自治会って、申請地の傍には殆ど人住んでませんものね、丹比地区の同意書、貰えない理由でも何かありますのか?」
「そんなもん、あるはずないやろ」
「それなら、是非ともそっちから先にもろうてきておくれやす」
(序章の②に続く)