第六章(誰もいなくなる)その12

 

(筆者が経営する羽曳野の霊園のバラ園を、モデルさんを入れて池田厚司氏が撮影)

「野須川家の先祖の墓が傾いていることと、我が社が和議倒産したことが関係していると」
「いいや、そんなことは言わないさ。ただ得意先や銀行だけに感謝するのではなく、先祖や、仕入れ先や、従業員にも感謝ができる事業家でないと成功しないと言うからな。少なくとも、あんたのお父さんはご両親やご先祖には感謝しておらんようだ」
龍平には矢吹が言うことが理解できない。商売人や事業家が成功するには、目の前にいる人物が自分を騙したり、損をさせることが無いよう、細心の注意を払いながら、後は貪欲に儲けようと精一杯の努力をすることだと思っている。龍平の眼に映る、人間が相食(は)み合う世界、弱肉強食の世界に、感謝の念など入る余地も無かろうと、矢吹の言葉を聴き流していた。ひとそれぞれに考えがあるのだろう、くらいにしか、矢吹の体験から来る成功哲学を、素直に受け止めることは今の龍平にはできなかった。

昭和六十二年の四月になった。すっかり健康を取り戻した龍平を見て、俊平は昨年末の詐欺事件をそのままに放置するなと、あのパンチパーマ頭のヤクザと、老舗の家具メーカーを舞台に大胆な取り込み詐欺をして、のほほんと南森町で商事会社を続けるあの若い社長を、共に詐欺罪で告訴すべきではないかと言い出した。
俊平に言われるまま、龍平は告訴状の作成依頼に天満警察署を訪れる。初日は事件のあらましを聞きたいと、ヒヤリングだけが行われ、係官がメモを取ってその日は終わった。

十日ほど経って、龍平は天満警察に呼び出された。担当したのは、強面(こわもて)の刑事だ。
龍平が通されたのは、裸電球が吊され、その下に小さな机を置いてあるだけの狭くて暗い部屋だった。これはテレビドラマによく出て来る取り調べ室ではないか、と思ったが、何故そんな部屋に龍平が通されたのだろう。
刑事は龍平を、取り調べをする容疑者の様に睨み付け、告訴状の作成を断固拒絶した。
「野須川龍平さんだね。事件のあらましは聴いたけど、事件だという話はすべて、そちらの想像に過ぎないじゃないか。こんな何の証拠も無い想像物語で、ひとを、それも二人も、刑事告訴なんてできっこないぜ。一人はヤクザ者かもしれんが、片方は歴とした大阪市民、ここらでも評判の良い事業家だ」
「その経営者には裏の顔があるのです。警察がちょっとでも捜査してもらったら、すぐに化けの皮が剥がれるはずなのです」
「あんた、いい加減にしないと逆に名誉毀損で訴えられるぜ。それでも良いのかい、告訴は無理だ。もう話すことは無いから、今日のところは帰ってくれ」
龍平は刑事に強引に玄関に送られてしまう。

日を改め、再びその刑事を訪ね、南森町の経営者の告訴は諦め、パンチパーマのヤクザだけを告訴することにしたと龍平は言った。
再び、例の取調室に案内された。
刑事から、いくら刑事告訴は諦めろと怒鳴られても、龍平は納得できず、しつこく食い下がった。

刑事は遂に根負けし、「そんなに言うのなら、あんたが気の済むように告訴状を作ってやろうじゃないか。ついでにあの南森町の社長も告訴しようか。だが地裁はこんな告訴状、受付ける筈がないことは、最初から言っておくぞ」と前置きし、告訴状の作成にかかってくれた。
「さて告訴する相手だが、あんたにはそんな名前を名乗っていたかもしれないが、実は彼には本名があるのや。告訴状やから、本名を書かないとな」と、ヤクザの男の本名を明かした。どうやら刑事は、ある程度捜査はしていたようだ。住所不定の男の本名を警察が知っていたのは、前科があったのかもしれない。龍平が驚いたことに、このパンチパーマのヤクザは、外国人の特別永住者だった。しかもあの南森町の社長も同じだった。
特別永住者、こと大阪市内では、今やかなりの人口比率を形成する住民だ。行政は、彼らが日本国民から不当な差別を受けない様、国籍が違うことで不利益を蒙らないよう、戦後何十年と腐心し続けてきた。正に文字通りの特別なる永住外国人だった。
それを知ると、龍平は刑事に食い下がった。
「刑事さん、あの二人が告訴できないというのはそういう意味だったのですか」
刑事は顔色を変え、机を叩いて龍平を怒鳴りつけた。
「馬鹿言え。警察を侮辱するのか。告訴できないのは、何一つ証拠が無いからだ」
龍平は、この刑事が悪態をついてきた事情が、少しは飲み込める気がした。刑事はもっと捜査したかったのかもしれない。だが中途半端の段階で止められたのではなかったか、その憤懣やるかたない憤りを、龍平にぶつけていたのではなかったか、と思ったりもした。

ただ刑事をこれ以上怒らせると、告訴状を作ってもらえないので、龍平は黙るしか無い。
完成した告訴状に龍平は署名を済ませ、天満警察を後にした。見送る刑事が龍平にポツリと言った。
「言っておくが、地裁からの返事を見ても、気を落とすんじゃねえぞ。悪い奴がいつまでも栄えることはないのだから」

大阪地裁からの内容証明で、龍平が提出した告訴状は、証拠不十分で不起訴となったと知らせて来たのは、それから一ヶ月後だった。
天は悪を懲らしめず、野放しにするのかと、龍平は再び腸(はらわた)が煮えくりかえる。
門真の西日本健眠産業で、龍平がそのことを愚痴ると、社長の矢吹が慰めた。
「六百万か。それは大きな損失だなあ。大変だったな。悪い奴がいるものだ」
「あの二人、いいえ、あのヤクザより、南森町の商事会社の社長が絶対に許せないです」
「もうそんなことは忘れることだ。他人への憎しみや、恨み言ばかりを心の中に溜めていると、自分の運命は絶対に良くならないって言うぞ。そんなことはさっさと忘れて、気持ちを切り替えて、他の商売で六百万円を取り返した方が早いって」
「忘れるなんて無理ですよ。あの社長には仕返ししてやらねば」
「だから龍平君、そんなことを思い続けると、またどこかで落とし穴にはまるんだよ」
矢吹からいくら諭されても、龍平はこの詐欺事件を忘れることは出来ないでいた。


東京、荻窪の雑貨商(現金問屋)をしていた壺井が、高給羽毛掛布団と固綿敷布団セットの新しい企画を検討しろと言って来たのはこの頃だった。
末端の上代価格が六十万円、それに対して壺井に仕切る価格は十二万円と決まっている。壺井にそんな高給寝具の注文を打診してきた相手は、ベストライフという得体の知れない会社だった。
龍平が責任を負う製造上の問題は、恐らく五十万前後の値札を付けることになる超高給羽毛掛布団が、実際に企画可能なのかどうかだ。
例えばアイスランドに生息するアイダーという稀少な鳥の胸から摘んだダウンを入れた一枚八十万円の羽毛布団なら、確かにこの世にあることはあるのだが、原料自体が稀少で、製造コストも十二万円で出来るものではない。
次はヨーロッパ産の大型の鵞鳥の胸から手摘みでとったダウンボールが充填された羽毛布団だが、側地を最高の木綿のサテンを使っても、考えられる小売上代は三十万円台がやっとだ。
こんな高級な寝具をベストライフ社はどのようにして売るのかと尋ねれば、新方式のマルチ販売をするとのこと。新方式とはどう新方式なのかは、壺井には分かっていなかった。
家具や健康器具や高給寝具など、扱う商品の販売価格は、総て六十万円と決まっていて、仕入れ価格も決まっている。しかも最初はちょろちょろの発注でも、その内に月に数百セットを作ってもらうことになるから、量産体制を前提に商品企画してくれ、とも言って来た。
八幡工場の生産管理者である土田は、こんな反社会勢力に加担する仕事には絶対反対だった。マルチ販売は、ネズミ講販売と同じで、無限に販売が続けられる訳ではなく、販売組織が風船の様に膨らんでい

く内、どこかでその風船は破裂してしまう。その時点で多数の被害者が出る。手数料が貰えない代理店と納入した商品代金が貰えずじまいになる業者である。
そんなことはカシオペア・ファミリーの時も、心斎橋で健康食品をマルチで売ろうとした時も経験済みではないか、と土田が反対するのは道理に適っていた。だからそんなべらぼうな価格で売る羽毛布団は企画できませんと断ってくれと龍平に頼んだ。池田も土田と同意見だった。
だが龍平には、セット十二万円で仕切れる仕事は魅力的だ。しかも商品の納入と引き換えに現金が振り込まれるのだ。最初は百万足らずでも、やがては数千万円の現金が振り込まれることになる。その時は詐欺で失われた六百万の損失も取り返しているに違いないのだ。
ただ龍平の頭の中には、将来発生するであろう多数の被害者のことは無かった。
龍平は、自分もあの詐欺グループの連中と同じ様な精神構造になっていることにまったく気づかずにいる。
六十万上代の掛敷セットはどう作れば良いか、龍平は取り憑かれた様に考え続けた。与えられた時間は一ヶ月だ。敷き布団は特許の指圧敷布団を使うことにする。問題は掛布団だ。
側地はインド産超長綿を使ったサテン地を使うことにする。肌布団もセットに加えた。肌布団も掛布団も、充填剤はダウン率九十五パーセントのホワイトグースダウンにする。しかし掛布団の側は、単なる立体縫製では駄目であった。業界の誰かが、立体縫製を二重に重ねたら、最高の立体縫製になると言っていたのを龍平は思い出した。
最高の嵩が出て、それでいて人間の身体に布団の方から纏い付いてくる掛布団だ。それが幻の二層立体

と言われる羽毛布団だが、まだ誰もそんな手間な布団を作ったことがない。だから幻の二層立体と言った。龍平は、挑戦すべきはこの幻の二層立体なのだと思う。どうしたらそんな二層立体の羽毛布団を量産できるだろうかと、龍平は真剣に考え続けた。

ベストライフ社に商品見本を提示する日が迫ってくるある日曜日、龍平は、修理の終わった愛車コロナに家族を乗せ、明日香村をドラブしていた。
岡寺の山門を潜ると寺の事務所の前に行列が出来ている。理由(わけ)を尋ねると、西国三十三所の集印を押して貰うのに並んでいるとのことだった。
西国三十三所巡り、それを目的に休める休日に家族でドライブするのも良いかもしれないと、龍平は集印帖を求め、第一頁に岡寺の印を押してもらった。
本堂の観音様に手を合わせていると、二層立体の縫製方法のアイデアが龍平の頭にパッと浮かんだ。

第六章 誰もいなくなる その⑬ に続く