第一章(家族、夫婦の絆)その12

(商社に入って一年後の三月に、冬山の単独行に魅せられていた筆者が、社会人の使命と責任感を自覚するようになって命が惜しくなり、最後の雪山単独行にした明星山の登山。セルフタイマーで撮影。向こうは百名山の雨飾山)

龍平が日本の四大商社のひとつ、太平洋商事大阪本社に入社して、編物本部、編物生地製品部に配属された昭和四十五年(一九七○年)は、三月から八月にかけての五ヶ月間、大阪の千里丘陵で、世界の人々を招いての万国博、EXPO七○が開催された年である。
このビッグ・イベントに向けて、大阪市は交通インフラの拡充に努め、阪神高速道の整備に合わせ、市内を縦横に結ぶ地下鉄網を完成した。また伝統産業である繊維卸業の中心地、船場(せんば)の中心を東西に貫通させる道路疎開を強行し、出来た広い道路の中央に高速道を屋上に乗せた船場センタービルを造り、道路疎開で立ち退いた繊維問屋を中に容れ、繊維卸業の近代化と発展を期待した。
太平洋商事もこの年の三月から、手狭になった本社を、船場の西から、御堂筋に面して新築した十三階建てのビルに移した。
龍平が所属する編物本部は、経理本部の出先機関である編物営業経理部と共に、新築ビルの三階全部を使用する。二階には織物本部が、四階には繊維原料本部が、それぞれの営業経理部と共に入っていた。
龍平が配属されたのは長繊維加工編立課であった。以後略して加工課と呼ぶ。加工課は、三階の陽当たりの良い一番御堂筋側に、課長以下七名の課員が座る机が向かい合わせに詰められていた。

営業戦略を練り、課の全体を管理監督する課長と、課長代理を含め、合繊メーカー各社から加工仕事を取ってくる営業が三名、そして商品の入出荷と在庫の管理、約定の集計、売上・仕入の計上、営業経理部と責任を共有する月次決算をする受渡(うけわたし)と総称される営業補助の男子が、龍平を含む二名、女子が二名、合計八名で加工課は編成され、月商のノルマは本部内では断トツの三十億円だった。
各課の営業方針は、総て課員の意志に任され、会社からの干渉は無い独立商店である。独立商店を別の側面から見れば、「課」の赤字が続けば、独立商店であるため、社内どこからの助けも得られず、課は自然消滅を待つだけとなるのだった。

さて時代は無尽蔵に生産が可能な合成繊維の時代となって、石油から合成繊維を造る合繊メーカーは、大手の七社に絞られ、中小の加工業者の総てが、そのどれかの「系列」に組み込まれるようになった。旧財閥系の二社を除く五社は、総て太平洋商事の取引先である。
加工課の業務は、合繊メーカーが系列の加工場を使って、ナイロンやポリエステルなどのフイラメント(長繊維)を、風合や伸縮性のある生地に変える為に、機械で撚(よ)りをかける加工工程での、そしてもうひとつ、トリコットと言われるニット生地を、合繊メーカーが系列の加工場にて編み立てる工程での、生産管理を代行しながら、合繊メーカーと加工場の原料・製品の売買に割って入る仕事である。
商社が合繊メーカーの系列内の取引に割って入るという意味は、両者の規模の格差が拡大したことを示している。相手を信用する度合いを示す債権の上限枠を「与信枠」と言ったが、一流会社である合繊メーカーが無制限に与信枠がとれるのは、同じく株式を上場する大商社しか無かったからである。


年度末決算の経理処理を終えた四月の三週目のある日、本社三階の営業が、できれば外出を控えたいと思う日がやって来た。北陸支社(金沢市)と福井支店の編物課の両課長が、それぞれ受渡の責任者を連れて、年度替わりの挨拶に大阪本社にやって来るのだ。営業たちが外出したがらないのは、北陸支社からやって来る三条俊子を一目見たいからだった。
三条俊子、北陸支社編物部の、入社して四年が経つ、ベテランの受渡である。編物本部は大阪本社、中京支社、北陸支社、福井支店で構成されていたが、数百名もいる女子社員の中で、彼女が一番の美人だと本部内の誰もが認めているからだ。
太平洋商事に勤務する女子社員は、往時は女性の結婚時期が早くて、結婚するまでの僅か数年だけ働けば良いとする者も多く、職場で相手を見つけようと入社して来る者もいた。
新入社員の龍平にも複数の女性が近づいて来た。しかし桂綾子のことが忘れられない龍平は、新しい女性と交際を始めようと思う気持ちにはなれなかった。
四ヶ月前のあの夜、学園前のレストランでの、レースがついた白いブラウスの上に、ネイビーブルーとグリーンの糸を交織したジャカードのツーピースを着て、外巻きに先端を左右に上げたヘアースタイルで、幸福の絶頂を示す満面の笑みを見せる桂綾子の面影は、消し去りたいと思えば思うほど鮮やかに龍平の心に甦って来る。
自分の本意を伝えず、祝意を示したのは誤りだった、再度彼女に会わねばと、翌日から様々なところで会社帰りを待ち伏せたが、不思議なことに縁が切れるとはこういうことなのか、ぷっつりと逢えなくなり、そのまま時は無情に経過して行った。


桂綾子より美しい女性がいるとは信じたくも無く、編物本部一の美人と噂される三条俊子が大阪本社にやって来る日でさえ、営業マンに頼まれ、代わりに外出の仕事を喜んで引き受ける龍平だった。

さて高校時代から文通を続けて来た谷川淳子だが、龍平とは生涯友達でいたいというあの大学三年生の六月の宣言通り、彼女は一年後の夏休みにも、中学時代の級友たちと龍平の自宅を訪ねていたし、また半年後のこの四月にも龍平の職場を一目見たいと大阪に来たりして、いつまでも変わらない天真爛漫さを見せていた。
龍平も幼馴染みとして接している。しかしそれは彼女に最早恋情を持つことはならぬと、自分に言い聞かせて我慢していたのではない。
あの日の彼女の言葉が、龍平の心を深く傷つけ、心のトラウマとなったので、龍平は心の苦痛を取り除こうと、無意識に彼女への想いを潜在意識の奥の奥の鍵がかかる部屋に閉じ込めてしまって、嘗て自分の持っていた彼女への恋情を忘却してしまったのだった。

 

(第一章 家族、夫婦の絆⑬に続く)