第一章(家族、夫婦の絆)その10

(昭和四十三年八月、筆者が大学の三年生部員として、ひとつの班のリーダーを勤めたワンダーフォーゲル部夏合宿、場所は東北の飯豊山)

ひとりは中学時代に同級生だった谷川淳子、もうひとりは高校時代に同学年だった桂綾子である。
ただし龍平が大学に進学してからの二年間、日常的に付き合っていたのは、この春に兵庫県の短大を卒業し、大阪の貿易商社への就職を決めた綾子だけなのである。
桂綾子とは、高校時代は互いに顔と名前を知るだけの間柄だった。
それぞれの通学方向が同じだったから、朝の電車の中で、偶然に出会ったのがきっかけだ。以後毎日同じ電車に乗り合わせることになり、親しくなったのである。
最初はどちらから声を掛けたのか。意外にもそれは大人しそうに見える綾子の方であった。
地方育ちで大都会を知らず、無垢で無邪気な綾子を、龍平は兄妹の様に接し、月に一度くらいだが、綾子の求めに応じて、自分の大学や、神戸や大阪の街を案内したりした。
龍平が自分にしてくれることはどんなことにも、綾子は精一杯喜びの表情を示し、丁寧に礼を言った。
そういう綾子の性格の良さは見ずに、若さ故か、人間としても男性としても未熟だった龍平は、ただ彼女の容姿を見ていたに過ぎなかった。実のところ、綾子は本命の女性ではなかったが、定期券入れにはいつも綾子の写真を入れ、龍平のことはよく知らない上級生や同期生から、恋人の写真を見せろ、と言われた時には、決まって綾子の写真を見せていた。
「おー、凄く可愛い女性じゃないか」などと驚かれ、妬まれるのを喜んでいたのだ。
結果、周囲から龍平の想う女性は綾子なのだと誤解されるのだが、その度に、詰まらぬ見栄心に踊らされる自分を嫌悪する龍平だった。


一方、龍平の心の中で既に本命の女性だったのは、中学の同級生の谷川淳子である。
彼女は中学を卒業すると東京へ移住したから、それからの交信手段は手紙だけとなったが、それでも様々な機会によって、年に一度ずつは逢うことができた幼馴染みだ。
しかし彼女は奈良県人ではなく、東京生まれの東京育ちだった。それが父親の転勤事情で、奈良市内に住んだのは、中学三年生の僅か一年間だけだった。
つまり彼女は龍平と出会う為に、長い人生のほんの一瞬を、奈良に住んだことになる。龍平と淳子は同じクラスになり、龍平は級長、淳子は副級長を務めた。
また彼らは勉学でも良き競争相手であった。全校試験がある度に、互いに意識して学年の主席の座を競い合った。
今の時代なら考えられないが、学校から全校生徒に、成績優秀者十人の氏名を試験の都度公表したのだ。その十名の成績優秀者は、名誉税だと諦めるしかない。
昭和三十年代の奈良県の学校は、同じ関西の大阪で育った龍平から見ても、男尊女卑は旧態依然のままだった。男子生徒は常に女子生徒に優先され、掃除当番やお茶当番をいくら決めても、当番が男子生徒に廻るとサボタージュを決め、代わりに女子生徒が義務を果たさなければならなかった。
級長という職務から、サボタージュした男生徒たちの代わりに龍平が掃除をしようとしたら、複数の女子生徒が一緒に手伝ってくれた。するとそこに谷川淳子が現れ、女子生徒たちから清掃用具を取り上げると、龍平の足下にそれらを投げつけたのだ。淳子の目は龍平を睨み付けていた。
「級長の仕事は、サボった人に代わって清掃すること? 違うでしょ!」と訴える彼女の目を、龍平は生涯忘れることができない。


中学卒業後、毎月一回程度、東京・奈良の間を往復する二人の文通が始まった。三年後には、龍平は兵庫県の国立大学の経営学部に、淳子は東京の有名私立大学の文学部に進学する。龍平は体育会ワンダーフォーゲル部に、淳子は文化クラブのESS部に入部し、それぞれクラブの中心メンバーに成った。
文通では、それぞれの大学で、クラブで、こんなことがあった、あんなことがあったと、たわいも無いことを交換日記の様に綴っていたのが、その内に二人で議論をする共通のテーマを決めたりして、それについてそれぞれが、便箋三十ページにもなる議論を交換する様になって行く。
龍平の心の中には淳子の存在が大きくなって行く。淳子こそが、自分の生涯の魂の友なのだと。
そして龍平は将来の自分の結婚について考えるようになった。
父俊平の様な中小の企業家を目指す様になった龍平には、夫婦生活はその重要な基盤であって、最も恐れるのは途中で離婚することだった。全身全霊を仕事に打ち込まなければならない中小の企業家にとって、夫婦別れは致命傷になるからだ。
また将来の離婚に繋がる原因として龍平が恐れたのは、「生殖の罠」に墜ちた結婚をすることだ。この女性は見目麗しく、一生の伴侶だと思っても、それは恋の一時的な情熱ではないかと、子孫をつくろうとする本能に誘導された「生殖の罠」に自分が墜ちているのではないかと自分の心を冷静に分析しなければならないと、若い龍平は穿(うが)って考えていた。
決して綾子の魅力を「生殖の罠」だとは思わないが、それでも二人の女性の中でひとり選ぶなら、永く付き合えそうな淳子だと龍平は考えたのだ。
たまたま淳子が、またそろそろ懐かしい奈良に行ってみたい、龍平にも逢いたいと言い出したので、それを受け、龍平は自分の自宅に来ないかと、こちらの両親に会って欲しいと提案した。


それに対する淳子の返事はまだ来なかったが、翌月の昭和四十三年五月、龍平は綾子の就職祝いがしたいと、風薫る季節の京都の寺院巡りに誘う。その日の別れる時に、これからクラブ活動も、執行部の一員となったので忙しくなり、会計学のゼミでの研究活動も忙しくなるので、神戸市内に下宿することになったから、すくなくとも夏休みが終わるまでは逢えないと思ってくれ、と綾子に言い聞かせた。龍平はこれで生涯、綾子とは逢うまいと心に決めている。
そして月末に、龍平は飯豊・朝日連峰で予定されている夏合宿の予備調査の為、クラブから東北に出張し、その帰りの東京で淳子に会った。
(第一章 家族、夫婦の絆⑪に続く)