第四章(報復の応酬) その4

(これも堺市の筆者の霊園で開園十三年後に撮影した写真。此処は筆者が設計した、何時も花咲くガーデニング墓地とした処。)

「そんな卑怯なことを、当社が指示する訳ないでしょ」龍平は冷静さを失い、声が上ずっている。
「やはり一ヶ月でも同じ釜の飯を食って下さっただけあって、それは卑怯だと思って下さるんですね。だったらこれらのお客さんの処に行って、そちらの商品を引き上げて元に戻して下さいよ。それがせめてもの誠意というものではありませんか」
「そ、それは出来ない相談です。お客様はこちらの商品の方が良かれと思って、そちらを返品し、こちらを買って下さったのですから、お客様の意志を無視して商品を返して下さいとは、常識的に考えても、出来る訳ありません」と言いながら、龍平には対案が出せない。

「じゃ、仕方ないな。百歩譲って、代わりに大神を懲戒解雇にするんだな。おっと、これだけは最低でも聞いてくれないと本当に両社の戦争になるぜ、それでもいいのかい」
「それは、」龍平は喧嘩にならぬ様、言葉を選ぼうとする程、適当な言葉が見つからない。
「できないんだったら、やはりそちらがやらせたと解釈するぜ。実は遠藤会長の命令で、うちの横浜、小平、足立、船橋、千葉の店では、既にカシオペア一掃作戦の戦闘準備に入っているんだ。それを止めるのは大神の解雇しかねえんだからさ」
「分かりました」と龍平が小さな声で言うと大山が猛反発する。龍平は大山を必死に制止した。
「約束だよ。何度も言うが、同じ釜の飯を食った仲だと思って信じてやるが、転勤なんかで誤魔化そうたって駄目だぞ。うちは全国ネットで、そちらが約束を守るのか、ちゃんと見てるのだからな」
「念を押されなくとも、それは実行します」
「よし約束だぞ。そこでだ、もうひとつ、頼みたいことがあるんだ」と瀬川はにやっと笑う。
「まだ何かしなければならないのでしょうか」
「あんたは今回の件、会社は一切関わっていないと言ったな。この俺からそう言ってもね、疑り深い遠藤会長は信じねえんだ。会長は戦争が大好きさ。大阪での『お布団屋』との戦争も、そろそろ決着がつく頃かな。寝具訪販でうちと競争しようなんて、百年早いって。あんたはどうなんだ、藤崎みたいに戦争やってみるか。それじゃ、お宅も会社持たんだろ。東京での戦争は避けたいだろ。だから、何でも良い、一筆書いてくれないか。それでこの俺が責任持って血の気の多い会長を抑えるからさ。内容はあんたの好きなように書いてくれたら良いんだ、何も詫び状を書けと言ってるのではないからさ」


書かなければ瀬川はここから帰らないだろう。仕方なく一枚のコピー用紙に、龍平は次のように書いた。支障が無いように、後顧の憂いが無いように、カシオペアに傷を付けないように、考えて、考えて書いたつもりだった。

今回大神が起こしたことは、一切弊社が指示したものではありません。
右、念の為、申し上げます。
                                 昭和五十三年十月三十日
                                                      株式会社カシオペア 南関東販社
                                                           代表取締役常務 野須川龍平 認印
株式会社ミツバチ・マーヤ 殿

龍平が肉筆で書いた紙を遠藤会長の土産として大事そうに受け取ると瀬川は大人しく帰って行った。
出入口に塩を巻きたい気分だ。敵に一冊獲られたことが、龍平には得たいの知れない不安感が残る。
大神がこの件を知らされたのは、本部の引越が落ち着いた、木曜日の十一月二日だった。
大神は解雇を宣告されると、泣いて龍平に詫び、なんとか考え直してもらえないかと懇願した。
それを止めたのは、大神が連れて来た、大神より年長の二人だった。
大神の起こした事件で、会社の代表取締役が敵の会社に一冊獲られることに繋がった責任はあまりに大きいと、自分たちは開店の準備に入った八王子店で予定通り働くが、大神には済まない
が外れてくれと諭したのだ。
大神だけが解雇され、後の二人の一人が、臨時の八王子店長代行となった。

その翌日の、龍平が銀座京橋ビルから浜松町店の四階に移った三日目のお昼前のことだった。
統括事業部の牛山から電話が入る。
「龍平君、君はミツバチ・マーヤに一体何を書いて渡したんや」
「報告しました大神君の事件を調査に来た、ミツバチ・マーヤ新宿本部の瀬川調査役に、当方は一切無関係だと書いたまでなんですが、それが何か」
「なんでそんな大事なことを報告してないんや。僕はまったく聞いてないで。君はほんとうに軽率な奴やな。野須川寝具は君の軽率な行為で世間に大恥を晒したんや」
「なんですって、本部長、それはどういうことですか」
「龍平君、よく聞けよ。ミツバチ・マーヤは、君たちの一年前の関西支社潜入事件を業界に改めて公表するとともに、事件の首謀者の野須川寝具の御曹司が、大変申し訳ないことをいたしましたと、遠藤会長に一昨日になって詫び状を入れたと、一斉に業界に公表したんや。嘘だと思うなら、新宿本部に来てくれたら何時でも詫び状をお見せしましよう、とまで言っているのや。大恥をかかされた野須川会長は、なんという大馬鹿者だと、君のことを烈火の如く怒っておられ、君の取締役も、東京支店長も、総て剥奪せよ、と言い出されたのを、役員皆で『野須川会長、早まらないで下さい。そんな詫び状なぞ、あの慎重な、頭脳の切れる龍平さんが出す筈ありません、隆平君を信じてあげましょう、きっと総てミツバチ・マーヤ側のでっち上げに違いありませんから、となだめて、今やっと収まったところだ。そら、元はと言えば、あのおしゃべりな日寝の東川社長に、会長が言わいでものことを仰るからこうなったんや。まあ、いずれにせよ、文書を渡したのが本当なら、君もえらいことをしでかしたものだ。寝具業界で、

君は二度と立ち直れないかもしれないぞ」
龍平はまんまと瀬川にしてやられたと気づいた。調査役という仕事上、世の裏の裏まで見て来た瀬川なら、いくら慎重に生きているつもりでも、所詮ぼんぼん育ちに過ぎない龍平を騙すことなど、赤子の手を捻るより簡単だったろう。龍平は自分の未熟さが悔しくて、その悔しさで胸が張り裂けそうになる。
龍平は嘗て挑んだ夢は総て叶って来たし、他人との勝負で敗れたと思ったことは一度も無い。自分をあたかも天に護られた常勝将軍のように思い、何の根拠も無いけれども、兎に角自信を持ち続けて来た。しかし龍平の高慢な鼻は今ミツバチ・マーヤにへし折られたのだ。
ミツバチ・マーヤの遠藤虎二会長にまんまと報復され、完膚なきまで叩きのめされた。遠藤虎二会長との勝負では完全に一本獲られたのだ。であれば、自分は常勝将軍などではなく、もしかしたら会社を潰す可能性だってあるのでは、とそんな不安が龍平の胸によぎり出すのであった。

第四章 報復の応酬 その⑤に続く