第八章(裁かれる者たち)その11

 

(筆者が経営する霊園の販促写真。ペットの個別墓を見つめるモデルさん)

俊平はがっかりした顔になった。
「本田君、それが絶対条件やったら、霊園事業の行政許認可は、永遠に降りて来ない気がするよ」
「野須川会長、会長は絶対に不可能と思われる調整区域解除にも果敢に挑戦されて来られました。そんなに勇敢で大胆な方が、霊園開発への住民の同意をとることにビビるのはおかしいじゃありませんか」
「だって儂の三千坪の山林の隣は帝急不動産が調整を解除して宅地にしたのだから、帝急不動産に出来たことが儂に出来ない筈がないと思った訳や」
「誰が調整区域を解除したって」
「だから帝急不動産がだよ。君はそのニュータウンに住んでいるのではないのかね」
「ははは、会長。会長は騙されましたね。帝急不動産の桜台ニュータウンは、なにも調整区域を解除して、宅地に開発されたものではありません」
「だったら桜台ニュータウンに造成された山は元々宅地だったとでも言うのかい」
「会長は不動産開発のABCもご存じないようですな。私の本業は不動産業ですから、今日は特別に会長に教えて差し上げます」
俊平は本田の言うことに真顔になって耳を傾ける。もしかしたら、黒田にこの一年間、すっかり騙されていたのかもしれない。

本田は話し続ける。
「野須川会長、調整区域であっても、建物は建てられる場合があるのです。例えば昔からある山の中の寺社。檀家や信徒に支えられる寺社は調整区域内でも、住職・宮司として家族と暮らして何ら問題はありません。増築は監督官庁に申請が要りますが、それも特に問題はありません」
「それは確かにそうやな。山の中のお寺に人が住むことを不思議に思ったことはないものな」
「次に農事小屋も許可されます。ただしこの建物に人は住めません。次に沿道サービスです。幹線道に限られますが、道に面した土地に、コンビニ、レストラン、道の駅、ガソリンスタンド等を建てるのも、申請すれば許可になります。但しこれも人は住めません」
「なる程、確かに調整には例外があるな」
「今後関係がある霊園の管理事務所も許可になります。但し人は住めません」
「霊園には管理事務所も建てなければならないのか」
「それはそうですが、管理事務所を建てるのは関西石材の仕事です。そして最後に『大規模開発』です。デベロパーが広大な山林をニュータウンに造成することを言います。デベロパーは、宅地や公園や生活道路だけでなく、周囲の街と繋ぐ幹線道路を造り、学校や、病院や、集会所などを建てる計画書を出して、監督官庁に申請するのです。帝急不動産は調整区域から外すのではなく、調整のままで『大規模開発』を申請したのですよ」
「桜台ニュータウンは調整のままの大規模開発だったのか。それを南河不動産の黒田会長は知っておられたのだろうか」

「当然でしょう。プロの不動産業者ですよ。そうですか、野須川会長は、黒田さんの南河グループの力を当てにして、あんな勇猛果敢な挑戦をされたのですか。黒田会長もそれを知っていて、野須川会長には一言も言わないなんて、ひとが悪いですね」
「素人が宅地開発に首を突っ込んだのが間違いだったのか」
「それで開発費と造成費をいくら払われたのですか」
「九憶円だった。それに一旦、黒田会長の紹介で楠木住建に売約していたのだ。それが原価割れになったから、五億円の違約金を入れて断った後に、府から調整の解除を断って来たという訳や」
「すべてがとんでもない金額ですね。バブル価格ですか」
「しかし今更それで黒田会長と言い争うことより、払った分は会長に仕事をしてもらうことにしようか」
「また黒田さんの力を今度は住民の同意取りに利用しようと」
「どうやろ、ええ考えとは思わんか」
「霊園開発に黒田さんの力を利用するのは、両刃の剣だと私は思いますよ。そんなが勢力が後ろにいる業者の申請なら、意地でも通さんという官僚が出て来るかもしれませんからね」
「しかし霊園開発なら、黒田さんのような政治力を借りようとする業者は多いのではないかな」
「何をおっしゃるのです。言っておきますが、関西石材の坂下社長の前で、霊園開発業を侮辱するような言い方はなさらないで下さい。会長は霊園事業を誤解しておられるのではありませんか」
「分かった。しかし儂に霊園開発の許認可を獲れと言われるなら、儂は儂のやり方でやらせてもらう」
「宗教法人はどうされますか。そちらは坂下さんに頼みますか」

「いいや、この件で責任とって町役場の助役を辞められた海原助役は、丹南町にあるお寺の住職に戻られた訳や。儂は海原助役にはお世話になったと思っているから、恨みに思うどころか、何かしてあげたいと思っているほどや。だから海原助役に相談してみる」
「しかし会長の財務状況なら、銀行はあの土地を海原さんの寺名義にする話など、乗る筈がないと思いますがね。そんなことを言ったら、詐害行為だと会長が銀行から訴えられることになりますよ」
「なかなか霊園開発も難しいな」と俊平は唇を噛んだ。

俊平からの霊園開発に海原のお寺の名義を貸してくれという申し入れには「お断りいたします」と即座に回答があった。またなみはや銀行も、たとえ申請中だけの一時的なことであっても、野須川俊平からこの物件の名義を変えることには同意が出来ないと回答してきた。結局は野須川俊平が既存の宗教法人を継承(買い取り)して、自身が代表にならない限り、申請中だけの名義変更と言っても、なみはや銀行は決して了解しないだろうと俊平は認識するに至った。
さて、息子の龍平だが、一月に光明の家の繁栄経営者会の新年会が中津の東洋ホテルで開催され、これに参加して、この会の参加メンバーは、光明の家の信徒ではなくても、ただ教祖高橋の著した「生命の光」が説く光明哲学のシンパというだけの、大阪府内大手企業の経営者が多く入会していることを知った。昭和六十一年、訪販事業が瓦解して、龍平が一人で、羽毛布団、固綿敷布団の製造卸の商売で八幡工場を稼働させなければならなかった時に、快く新規に口座を開設してくれた大阪の大手量販店の副社長も会員だった。二人は驚きの再会だった。

俊平は龍平に、金が要るようになったから、輸入した羽毛ポンチョはすぐに現金化してくれと指図した。小売業界ではシーズンたけなわでも、卸段階ではシーズンオフだった。
どこへ持って行けば、この羽毛ポンチョが現金化できるのか、まったく頭に浮かんで来ず、龍平は途方にくれていた。
そんな時に「困った時には儂の処に来い。その時は現金で払ってやるよ」と言い残して去って行った西日本健眠産業の矢吹社長を思い出す。龍平の肩を持つ矢吹は、俊平に取引停止を宣言されて久しい。
門真の健眠産業を訪ねると、矢吹はそのポンチョの全量を現金で買ってくれた。龍平はそのお金を俊平に渡したが、俊平はどこに売ったのかは、尋ねようとはしなかった。
さて、一月は八幡工場の前半分を借りて、中古自動車の販売店を始めた徳山康男だが、七百万の家賃を払うには到底通常の商売形態では無理だろうと考え、「改造車専門店」と謳って商売することにした。お客が車を購入する時に車高をお客の希望通り下げる改造をするのである。往時の若者に流行った改造だが、これは違法改造であった。
発想は良かったが、場所が悪かった。店のすぐ北にには八幡一ノ坪という大きな交差点がある。その北側は大阪と京都の県境である洞が峠である。この八幡一ノ坪を北西に入った道をポンコツ街道と言って、中古自動車の解体業者や販売業者が並んでいる処だ。新年セールを始めて一週間もしないうちに警察が乗り込んで来て、徳山は書類送検になった。
徳山はこのことに懲りずにこの場所で暫く中古自動車の販売を続けたが、七百万の家賃が払えたのは一月から三月までの僅か三ヶ月だった。

二月には東洋ホテルで光明の家繁栄経営者会の法人会員向けの繁栄ゼミナールがあったので、龍平も時間を作って参加した。
ゼミナールが終わって、百名くらいの受講者が一斉に出口に向かった時、龍平は過去にあったことがある女性の姿に気づいた。
しかし名前が覚え出せない。だから彼女を呼び止めることができなかった。
龍平は電車で奈良の菖蒲池に帰る途中で、彼女が誰なのかを思い出した。彼女こそ、ご主人を心労で殺したことを詫びようと、ずうっと探していた大村淑子だった。
明くる日は土曜日だった。会社の机の抽斗に閉まっていた繁栄経営者会の名簿で、彼女の名前を探した。
あった。彼女は吹田でエステの店を開いていた。
事務処理を午前中に終えて、昼前になって、龍平は大村淑子に電話をいれた。
「えっ、野須川龍平さん? あなたどうして私の店の電話を知ったのよ」
「昨夜、繁栄経営者会の繁栄ゼミナールであなたらしき女性を見かけ、名簿で調べてみて分かったのです」
「えっ、そうなの、龍平さん、あなた、繁栄経営者会にいつから入ってるの。支部はどこ」
「二ヶ月前に入ったばかりで、まだ支部にも属していません。大村さんには以前から会ってお話ししたいと思っていました。ご主人のことはお聞きしています」
「そんな話はいいのよ。あなた、今日の午後、身体空けられる。ちょっと私に付き合って」
「いいですが、どこへ行けば」

「十三時に千里中央駅に来なさい。赤いポルシエで迎えに行くから。駅から外に出て私の車を探して」
龍平が知っていた専業主婦の淑子とはまるで変わっていた。夫の死後、ひとりで商売をして生きていかねばならないのだから、人が変わっても仕方ないだろう。
いや、彼女は夫と出会う前は新地のクラブホステスだった。身体は女であっても、心はビジネスに生きる男、その頃の本性が戻って来たのだ。
龍平は彼女にどこに連れて行かれるのだろうと、ちょっと怖くもなった。だが相手の気が済むようにしてもらうしかないとも龍平は思うのだった。
総ては自分が悪いのだからと。

第八章 裁かれる者たち その⑫に続く