第七章(終わりなき闇夜)その5

(筆者の前の会社があった大阪市西区北堀江付近。四ツ橋筋は近年おしゃれな街になった)

龍平と大村が台湾から羽毛を輸入する商談をしていた平成元年一月、なみはや銀行東京支店長から大阪市西区の浪銀ファイナンスの社長になった秦田が、四ツ橋の事務所に俊平を訪ねて来た。俊平とはなみはや銀行城東支店長の時代以来、十年ぶりの再会だ。
秦田が帰阪したのは数ヶ月前であり、しかも今は同じ西区にいながら、俊平に会いに来るのが遅くなったのを秦田は詫びる。俊平は今の時代、一番忙しい筈のノンバンク経営者の秦田を労った。
「秦田社長は、新しいファイナンス会社の立ち上げでお忙しかったのでしょう」
「私のような金融会社を、世間ではノンバンクと言うそうですが、毎日、毎日、殆ど私ひとりで何十億、時には何百億の金を動かしているのですよ。なみはや銀行の本店営業部でも、これほど日々の資金出入りは無いでしょう。昨年一年間で、東京都内の地価は何倍になったでしょうか。俊平会長も新聞などでご存知かと思いますが。関西はこれからですよ。まだまだ安い関西の地価は、きっと今から三倍、いやもっともっと上がるでしょうね。都市銀行も、地銀も、第二地銀も、揃ってノンバンク作って、これから関西の土地を買いまくって一儲けしようと、てぐすねひいています。公定歩合も当分三・二五パーセントのままでしょうからね」
「あの時に今の様な公定歩合なら、和議を出すことも無かったでしょうな」と俊平は照れ笑いする。

「少なくとも、あの鶴見工場を手放されることは無かったでしょう。今あの工場をお持ちなら、どんな含み益になっていたことか。あれを売るだけで五十億には成ったでしょう。毛布の二十億の粉飾損失なんて、ちょろいものだった」
秦田が、土地値上がり神話を極端に崇める銀行マンだとしても、それはないだろうと俊平は当惑する。
「秦田さん、そんな、たら、れば、の話をしたって仕方ありません。それに郊外の鶴見区の土地が、坪二百五十万で売れるだろうなんて、それは流石に強気過ぎます」
「俊平会長は、今の経済の動きを全く理解しておられませんよ。鶴見区茨田(まった)横堤には、今都心から地下鉄が延伸され、横堤駅まで出来るのです。来春の地下鉄運行を見越して、周辺は開発ラッシュなのですよ。鶴見緑地にて、国際花博が開催される来春には、横堤駅付近の二千坪の土地なら、五十億どころか、百億円にはなりますから」
「それはいくら何でも、ははは。そんな秦田社長の夢が叶えば良いですね」
「夢なんかではありません。現実の話なのです。関西の地価を東日本並みに上げるために、一兆円くらいの資金をこれから集めて、関西に投資しようという話です。共同事業者になってくれる大阪の不動産屋、住宅建設会社、ビル賃貸会社など、私が昔からよく知る相棒はいくらでもいますから」
「なみはや銀行が一兆円を、それらの会社に融資するとおっしゃるので」
「違いますよ。なみはや銀行ではなく、東京支店長時代に、政府系三銀行との深いパイプを作ったこの私、秦田が、大見栄切ってひとりで一兆円を集めてみせようと言うのです。大蔵省に雁字搦めに監督されているなみはや銀行などが、そんなこと出来る訳ないでしょ」

「秦田社長、それは楽しみですね。お手並み拝見だな」
秦田はテーブルに置かれたお茶を一気に飲むと話題を変えて来る。
「俊平会長、さて本題なのですが、私はボスの山村に言われました。未だに和議の大口債権者にせっつかれ、苦しんでおられる野須川会長の悩みを解消する為に、お前さんがひと働きしてお上げなさいとね。それで問題は、当行以外に八幡工場を担保に取る地銀と商社ですか。確か阪神信用金庫が担保を付けていた丹南町の山林はどうなりました」
「あれは御行に肩代わりをしてもらいました」
「それは良かった。それでは八幡工場の担保権者の要求をどう解決するかを考えると共に、なみはや銀行だって、そろそろ肩の荷を下ろさせないと、何時までも『おんぶにだっこ』という訳には参りませんよね」
「その通りです。しかし調整区域の土地を買ってくれる人は現れませんし、現八幡工場を稼働して、息子の龍平が本業を続けておりますので、これもまさか売却とは参りません」
「龍平さんの事業はうまく行っているのですか」
「さあ、どうでしょう。仕入代金の延滞が二千万以上溜まったような気もします」
今は全額払われて消えているが、三年前の龍平による製造卸業の出発時点で、訪販時代の仕入代金の三千数百万円が未払いのまま残っていたのを、龍平が新しい仕入先の支払いを遅らせてでも、旧い買掛金を総て消して来た事実を、三年経てば俊平はすっかり忘れていた。
「会長の二代目教育は甘いようですな。二代目と創業者は、やっぱり違いますか」

「お恥ずかしいです。和議だけでなく、そんな支払いも考えないといけません。あいつは数字だけ見て儲けているつもりですが、本当に儲かっているのなら、資金は余って来る筈ですから」
「紙面に書かれた損益よりも、資金の収支を見れば、一目瞭然ですからね。さてと、俊平会長、来月ここに来させて頂くときには、きっと良い解決策をお持ち出来ると思います。心配なさらず、私、秦田に総てお任せください」
なんとか解決策を見つけてみましょうと事態を脳天気に楽観視して帰った秦田の胸の内は、この時、俊平にはまったく想像もつかなかった。

一月の月末が一週間後に迫ったある日の晩、龍平は北新地のカウンターバーで徳山康男と飲んでいた。
「兄貴、変なことを池田君から聞いたんやけど、俊平会長には内緒で、東京の闇金融から運転資金を借りているんやて」
「君だから正直に言うが、それは本当の話だ」
「闇金融は菊花組関係かい」
「金を貸してくれている壷井という男が、本当に神戸の菊花組の構成員なのかどうかは確認できない。本人がどうであれ、菊花組と繋がりがあるのは間違いないだろうが」
「利息はいくら」
「月六パー」
「ちょっと待って。月六パーって、七割二分の金利ですか。そんな高利でいくら借りたんかいな」
「二千万円」
「ええ、二千万円。兄貴何言うてるのや。そんな大金、返せる訳ないやろ。えーっと、六パーやから、月に百二十万円ずつ金利がついて行くんやで。何も払えなかったら、僅か八か月で、三千万の借金になってしまうんやで。兄貴、分かっているんかいな。これは一大事や。会長に言うしかないでしょ」
「すまないが、僕にも考えがあって、その残高はきちんと自分で減らして行くのだから、親父さんには言わないで」
「本当に兄貴が返済して行くのなら、内緒にしておくさ。減るのじゃなくて、もしも増えるのなら、やっぱり親父さんには内緒にできないよ」

「減らして行くのは約束するから、親父さんには絶対に言うな」
「問題は壺井が、あるいは壺井の背後の組織が、何を目的にしているかだよ。三千万の残高になれば、連中は工場に担保付けさせろと言ってくるやろ」
「そうなったら、こっちがあの白鳥木工の二の舞になるな」
「白鳥木工って何だっけ」
「六十一年の暮れに、在日の外国人の二人に詐欺にあったんだよ。彼らは老舗の家具メーカーを乗っとって取り込み詐欺を働いた。その家具メーカーが白鳥木工だ」
「兄貴はそれから在日の外国人全部が嫌いになったのかい」
「まさか、それはない。日本人でも悪い奴は悪いのだからね」

 

第七章 終わりなき闇夜 その⑥ に続く