第三章(東京と大阪)その7

(筆者の前の職場の、東京の訪販拠点の池袋店があった板橋区南町は、往時の姿を全く残していない。店があった場所する分からない。もしかしたら写真の敷地いっぱいに、コンクリート打ち放しの二階建ての駐車場用の構造物が建っていたのではと想像する)

翌日龍平は、求人広告掲載絡みで知り合った東京の広告代理店が紹介する、横浜の不動産業者、東横商会を訪ね、倉庫や駐車場がある事務所物件に空きがあるかを尋ねた。
紹介された物件から三件ばかり選定して、東横商会の車で案内してもらう。
池袋店に戻るや、大阪の俊平社長に電話で見たままを報告し、選択を俊平に委ねた。
俊平は横浜の都心から西に離れ、保土ヶ谷に近い、国道一号線沿いの権太坂にある、一番広い物件が良いと思うと言いながら、実際にその物件にするのかどうかは、龍平が中川や、池上、小野原とよく相談して結論を出せと言って来た。
俊平が選んだのは、権太坂の峠を挟む鬱蒼と木々が茂る山を背後にして、敷地の国道沿いに、二階建ての木造建築が建ち、二階だけで事務所と倉庫がとれ、建物の一階と裏の空き地に合わせて、十台は営業車が置ける物件だ。将来、高額な羽毛布団の取り扱いさえ増やして行けば、この店だけで月商二千万円、あるいは三千万円が可能になるだろうと思われた。
龍平は中川には相談する気がなかった。富山の件以来、二人の間は口をきかない程に冷え切っていた。

その夜、智代がマンションに戻ってからは暫く顔を見せなかった池上、小野原の両名が、龍平に呼ばれ、夕食時間が終わる時刻を見越して、久しぶりにマンションを訪れた。
二人は赤ん坊を抱いた智代に申し訳なさそうに低姿勢で挨拶する。
「奥さん、こんな時間に本当に申し訳ないです。どうか僕らにはお構いなく」
「池上さん、小野原さん、お久しぶりです。会社に慣れて来られたみたいで、お二人共頼もしくなられましたね。主人を宜しくお願いします。お仕事の話でしょうから、私は隣の部屋に行ってますわ」
「早く済ませますから、どうも済みません」
智代が台所に行くと、狭いリビング兼寝室に二人を座らせ、龍平は横浜店の物件選びについて、彼らの意見を質した。
彼らも口を揃え、俊平社長が薦める物件が一番だと言う。
ミツバチ・マーヤの関東戦略を、同社を辞めて来たセールスから聞き出していた池上は、この大型物件がカシオペア南販社に絶対必要なのだと主張した。しかしこれを選べば、最初から大きな経費と共に、それを回収すべき大きな売上目標を立てる必要が発生する。
ミツバチ・マーヤは、営業戦略を練ったり、南関東全店を統括する拠点が新宿にあって、そこで年中、東京都下で働く営業の募集をしているが、営業の拠点は新宿ではなく、多摩丘陵にある相模原店だとの情報を池上は掴んでいた。
ミツバチ・マーヤは、大規模な相模原店に営業車数十台を集結させ、多摩丘陵の各所に今造られつつあるニュータウンを、ここ近年の月商億単位の売上を狙うテリトリーにしていたのだ。

その大部隊を統括する本部長は、セールスからカリスマ的なボスとして恐れられ、かつ慕われる、谷川という男だと龍平は池上から聞かされる。
だからミツバチ・マーヤとは都心で遭遇しなかったのだと龍平は納得した。と同時に、未だ見ぬ多摩丘陵という市場に、龍平は期待感が膨らむのだ。そこでいよいよミツバチ・マーヤと正面衝突だ。
池上は横浜の出店計画について、自分の考えを龍平に提案した。
「今は契約金だけ入れておきましょう。来月に入ったら正式契約し、すぐに常務は横浜で開店の準備に入ってください」
「分かった。社宅の準備もあるから、何名こちらから行かせるのか、決めてくれ」
「言っておきますが、この横浜店をミツバチ・マーヤ相模原店に対抗する店にするのですから、暫くは常務ご自身が責任者として単身赴任していただきたいのです」
「分かった。そうしよう。で、誰が来てくれる?」
「常務が責任者となられるなら、私も小野原君もついて行きます。そして後三名人選しましょう」
「それでは池上君、僕の後任の池袋店店長は誰にする?」
「中川さんで良いでしょう、彼は営業マンから慕われていますからね」
「僕も中川君しかいないと思うが、あんなに彼を嫌っていた君が、彼を本店の店長に推挙するとはね」
「中川さんを嫌うのは、私ではなく、常務ではありませんか。確かに彼は時々、労働組合の委員長みたいな発言をするから、経営陣から顰蹙(ひんしゅく)を買う人間ですが、管理職になれば、そこは変わるのではありませんか?」

「そうあって欲しいな」
「それよりも常務、横浜店の営業募集ですが、常務はまさか開店してから権太坂で面接しようなどと悠長に構えておられるのではないですよね?」
「そうだな、開店前から集めにかかるか、池上君はよく気がつくな。それに権太坂で面接してはならないか。腕に自信がある営業マンが、わざわざタクシーに乗って、権太坂まで面接に来ないよな」
「横浜駅西口ビルに面接の為の部屋を一時的に借りましょう。来月後半には求人を実行して下さいね」
「分かった。それは僕が責任を持って手配しよう」
「常務、それにもうひとつ、提案があります」
「池上君、何だ?」
「来月十一月は、池袋店の中に横浜店をつくるのです。横浜に行く精鋭五名で、七百万円の目標を立てますから、残りの中川店長率いる十二名で、一千三百万円はやらせて下さい」
「池上君、横浜と池袋はずいぶん一人単価が違うようだが」
「大丈夫です、私と小野原君の二人が責任持って横浜店の目標を達成します。横浜店では掛け布団は羽毛布団しか売らないことにしますから。その内にカシオペアでは、羽毛布団によって、一人月に二百万円を上げる者がずらりいるということになるでしょう。未だに木綿布団の掛敷を売っているミツバチ・マーヤなんか、敵ではなくなりますよ」
そこへ、小野原が怪訝な顔をして口を挟んで来た。
「常務も、池上さんも、考え落ちがあるように思います」

「えっ、小野原君、それは何?」と龍平は身を乗り出す。小野原は続ける。
「私たちが出て行った十二月以降の池袋店のことです。中川さんは営業に出ず、きっとこれまで常務がされていた仕事を昼間からやるでしょう。すると私たちは、二人のヘッドを抱くことになりますよね」
「小野原君、僕もそれを心配している。もしかしたらと。池上君だって同じだろう?」
「常務、私もそれを危惧しています。きっと中川さんはその内、大阪のカシオペア事業部の牛山本部長などと直接話をするようになる。そうなると少しやっかいなことに」
「池上君、頼みがあるのだが、君の息のかかった人間全員を横浜に連れて行くのではなく、必ず一人や二人は池袋に残しておいてくれるかな、彼らと連絡を密にしてくれ。何かが起こるのも、それはそれで良いかも知れない。雨降って地が固まると言うからね」
「分かりました。常務はなかなか人が悪い。なるほどそこまで先を読んでおられましたか」
「池上さん、僕には分からない。常務は何を考えておられるのだ」
「小野原さん、今知らなくとも先になったら分かること。あなたは横浜の次の店の店長になる人です。社内の勢力争いなど興味を持たず、一心不乱に頑張って下さい」

 

第三章 東京と大阪 その⑧に続く