第一章(家族、夫婦の絆)その13

(筆者が商社時代に過ごした大阪市中央区北久太郎町の現在の風景)

龍平が太平洋商事に勤務した一九七○年からの三年間は、凡そ二十年前に始まった高度経済成長時代の最後の三年に当たる。その始まりの一九五五年(昭和三十年)は、吉田茂率いる自由党と、鳩山一郎率いる日本民主党が合同して自由民主党ができた年だ。元はと言えば、朝鮮動乱が好景気の導火線になったのは間違いない。

龍平がいた加工課でも、その恩恵を受け、毎月右肩上がりに売上が伸びて行った。合繊メーカーが、原糸の生産量や、委託加工での加工糸や、経編(たてあみ)生地の生産量を増やせば、加工課の売上も自動的に増える訳なのだ。
毎日、机の上に出荷案内書が山の様に積み上げられ、その日の売上がその日の内に処理できなくなり、受渡や営業経理が悲鳴を上げるようになった。御堂筋を歩く若い女性に声をかけてまで、電算機に読み込ませるカードをパンチするアルバイトを、編物本部の負担で独自採用したほどだ。
基本給三万八千円で承諾サインをした龍平の給与は、六月から全社社員の給与更改に合わせ、四万二千円に跳ね上がった。それも四月に遡って訂正支給され、それに加えて龍平には本給の二倍以上の残業手当が、毎月加算される。以後基本給は毎年、何割というペースで跳ね上がって行く時代だった。
今日なら流石に違うだろうが、龍平がいた時代の商社では、計算には自前の算盤を使った。龍平は卒業前の三ヶ月間、算盤塾に通って、小学生に混じって練習を重ね、かけ算を暗算できるところまで算盤術を身につけた。またついでに言うなら、同時に自動車学校にも通い、運転免許証も取得した。
龍平の大学の専攻が会計学だと、同階の営業経理部にまで知れ渡るようになると、会計処理や仕分けの方法をこっそり聞いてくる営業経理の年長社員がいた。経営管理会計学の学習と共に、商業簿記から工業簿記、原価計算まで習得していた龍平には、商社の決算で使う商業簿記は基本の基本で、どんな質問にも難なく答えられる。
だがその年の秋のある日、得意面した龍平の、高慢な鼻がへし折られる事件が起こった。


「野須川よ、ちょっと来い!」と白川課長代理が顔を真っ赤にして龍平を呼びつける。
机の上には、本支店の取引伝票が山積みにされ、その内のかなりに付箋が付けられていた。
「野須川、これを見ろ。最近うちの使用資金が急に増えだしたので、おかしいと思って調べてみたらこんなことだ。北陸支社が決済期日を勝手に短く変えていやがったのだ」
「えっ、まさか、そんなことが」と龍平は伝票を手にとって確かめると、白川の言う通りだ。
「国立大学経営学部ご卒業の先生よ、お前さん、北陸支社の高卒の女どもに舐められているんだぜ、北陸支社の連中と談判して、この落とし前を付けさせろ。どんなに謝ってきても、それで済ませるんじゃないぞ、どう決着を付けたのか、俺に報告して来い!」
使用資金とは、各課毎の日々のバランスシートから計算された会社の資金使用残高である。加工課は本部の中でも売上が桁違いに多い。だからこそ売り先からの入金日に合わせて、仕入れ先(この場合北陸支社)に支払わなければ、大きな資金を被って会社に大変な金利を払うことになるのだ。
龍平は途方に暮れた。北陸支社に電話で抗議しても、白川課長代理の期待通りの決着は得られそうにもなく、そうなれば本社加工課の恥の上塗りだ。電話で埒があかないからと、龍平が北陸支社まで出張するのも、更に本社加工課と龍平が笑われることになるだろう。龍平は八方塞がりに陥っていた。
兎に角、電話するしかない。電話には向こうの編物課の若い女性の受渡が出たが、案の定、経理の新人の不慣れによるパンチの打ち間違いだと言い訳してくるだけだった。


龍平は悲鳴を上げるように、話にならないから、責任者を出せ!と叫んでしまう。
暫く待たされた後、電話口に出たのは、編物課の受渡責任者、三条俊子だった。
「お待たせしました。野須川さんのお名前はよく伺っていたのですが、ご挨拶が遅れまして、私が三条です。今後とも、うちの子たちのご指導を宜しくお願いいたしますわ」
電話の向こうでニコニコと話しかける俊子の様子が伺え、龍平の怒りはトーンダウンした。
「でも三条さん、合計すると何億にもなる決済期日の書き換えなんですよ。それをそちらの経理の新人のパンチミスですから、訂正してお詫びしますと言われても、ハイそうですか、と済まされる訳ないでしょう。かなりの金額が既に決済が済んでしまっているのです。一体どうしてもらえますか?」
龍平は立場を逆転させ、縋るように、相手に解決策を委ねていた。
「では野須川さん、北陸支社はどうすれば良いとお思いなの?」
「ええっと、それは」龍平は何の解決策も持たずに電話したことを恥じて、言葉が続かない。
「もしもそれで本社の顔が立つのなら、そちらからの売上伝票の期日を短く書き換えていただいたらどうかしら。北陸支社の誰かが気づいても、私が見て見ぬふりをさせますから安心して。金額はあなたにお任せします。でもいいこと、一度に何億円も資金を吸い上げたら支社はひっくり返ってよ」
「分かりました。それなら本日のそちらへの売上伝票の中で、一千万円くらいのものを一枚、決済条件の出荷日九○日を、わざと九日とパンチさせてもらうことで、こちらの課の了解を取り付けようと思います。三条さん、ありがとうございました」
「まあ、叱られなければならないのにお礼だなんて、今後とも宜しくお願いいたします。何かありまし

たら又私に、いえ、何もなくても、一日一度はお声をお聞かせ下さい、それではご免下さい」
電話を切って、流石にベテランの受渡は決断が早いと感心する隆平だったが、そこに三条俊子の底知れなさ、あるいは怖さがあるとはまだ気づかずにいた。それこそが父俊平が、男性社員と対等に肩を並べて仕事をこなす商社の熟練OLという女性たちのことを、龍平の嫁にするのを警戒した理由でもあったのだ。

以後二人は、電話で一日何度も語り合うほど親しくなる。これは本社の人には内緒よ、とか、これは支社の連中には内緒だよ、とか言いながら、仕事上で知り得た秘密を、二人で共有しては楽しんだ。
その内に二人の親密さは、大阪本社の社内でもぼつぼつ噂になり始める。しかし龍平には迷惑な噂だった。彼はいつまでも桂綾子の面影を追っていたし、二人はまだ互いに姿も顔も知らない間なのだ。
翌昭和四十六年二月、龍平は、高校時代の親友が、一年遅れで東京の私立大学を卒業し、都市銀行に就職することになったので、それを祝うために上京し、彼がいた奈良県の学生寮に泊まった。この時、龍平は谷川淳子とも逢っている。
四月になった。しかし恒例の支社支店の課長や受渡が本社に挨拶に来るのは中止になる。人事の異動が無く、昨年と同じなら、それは良いだろうということになったのだ。
だが三条俊子はひとりで大阪本社にやって来る。本支店の帳簿が合わない、が出張の理由だ。そんなこと本社側の受渡の龍平も聞いてはいなかった。
この日、初めて龍平は三条俊子に出会う。その姿、その顔立ちに龍平は息を呑む。ずっと逢いたかった女性が、更に美しくなってそこに立っていた。

(第一章 家族、夫婦の絆⑭に続く)