第九章(祈りの効用) その12

(筆者が経営する羽曳野市の霊園の一コーナー。此処は一般的に「ウイズペット墓地」とも言われ、当社では「ペットとともに 虹の橋霊園」と呼んでいるが、同じ墓地に親愛家族だったペットを葬ることができる。納骨室は人間とペットは別になっている)

霊園丹南メモリアルパークに出た大阪府の事業許可が、何ら霊園の開園を早めるものではないことが分かって以来、龍平は霊園開発の前進を祈って一緒に神事をした宮本まりあとは、すっかり気まずくなって何日も逢えずにいた。
いくら自治会を挙げて陳情しても、大阪府の同霊園の事業認可が撤回されないと分かった桜台西自治会が、霊園の造成工事について、事業者から説明を聞く住民集会の日取りを言ってくる一週間前の六月の月末、龍平は珍しくまりあから呼び出しを受けた。
「お久しぶりね。その後の霊園開発の様子を聞く権利が、私にはあると思うのだけれど。野須川君、ちょっとこちらに顔を出してほしいな」
「分かりました。すぐにそちらに伺います」と龍平は事務所を飛び出した。
まりあの会社まで長堀通りを渡って徒歩十分と言うところだ。
まりあの会社に入ると、彼女は龍平を厳しい目で睨み付けた。
「あなたは何故こんな結果になったのか、分かっているの。分かっていて私に知らんふりする訳」
「何のことでしょう」と龍平にはまりあが怒っている理由(わけ)が分からずにいた。
「とぼけないで。私があの日、一日も早く近隣自治会が野須川家の申請する霊園事業を理解され、それに同意していただきますようにと祈っていたあの時、野須川君は神様になんて祈っていたのかな。あの日からずっと考えていたの。あんなに真剣に祈ったのに、どうしてこんな結果になったのだろうって。あなたはあの日、なんと神様に祈ったの」

「それは勿論君と同じことだよ」
まりあは怒って応接セットから立ち上がった。
「嘘おっしゃい。私の眼を見て、正直に答えて。あなたはあの時、神様になんて祈っていたの」
龍平はぎょっとなった。本当なら龍平の方からまりあに先に言っておくべきだった。
「ごめん。本当は、近隣自治会の同意が得られなくとも、大阪府が香川大社の霊園事業を許可しますようにと祈っていたのだ」
「そんな祈りをしたのはあの時だけなの。それとも百八回、天地一切のものと和解せよという『和解の神示』を写経していた時もそうなの」
「そうだ。君の想像の通りだ。写経の時もそう祈っていたよ。ごめんなさい」
「なんということをしてくれたの。あなたが写経したのは他ならぬ『和解の神示』なのよ。天地一切のものと和解せよと説く『和解の神示』を写経しながら、あなたは恥知らずにも、近隣自治会の同意が得られなくともなんて祈った訳。一体全体、あなたは神様をなんだと思っているのよ」
「だって仕方が無かったのだよ」
「仕方が無いからって済まされることじゃないでしょ。こんなこと、光子先生に言えないじゃないの。私たちの祈りは神様に届きませんでした。みんなあなたのせいよ。それだけじゃないわ。神様はあなたの祈りを聞かれなかったけれども、『心の法則』の『思念具象化の法則』は、容赦なくあなたに働いたの。あなたが、近隣自治会の同意書は貰えなくとも、知事さんの許可は得られますようにと祈り続けてきたから、そうれ、その通りになったじゃないの」

「そうだ、君の言う通りだ。僕は近隣自治会の同意書が貰えるようにとだけ祈っていたら良かったのに、それよりも許可証が先にほしいと祈ってしまった。君の言うのは本当だ。今回のこんな無意味な許可証が出てきたのは、すべて僕の心がリクエストしたのだ。僕は父親の足まで引っ張ってしまった」
「写経をする中、神を冒涜する間違った祈りを続けたことで、あなたの業(ごう)が深まったのではないかと、岐阜の先生もきっと気づかれていたのよ」
「そうだ、岐阜の先生から言われた『業の深さ』という言葉が、何を指しているのか、僕も内心では分かっていたよ」
「でも周りの人は、誰も野須川君を批判したりはしないわ。だって祈りが霊園の許認可に働くなんて、誰も信じないでしょうからね。あなたの自分勝手な祈りのせいで、工事にも販売にもかかれない事業許可が出たなんてね。だけどあなたのせいで、現実にお父様は苦境に立たれた訳なの。誰も知らずとも神様はご存じなのよ」
「まりあさん、僕はどうしたら良いかな」
龍平はまりあの前でうなだれてしまう。
「心の法則で結果が出てしまったものは、今更どうすることもできないわ。心の法則には因業の法則もあるでしょ。あれだって結果が出たら、それを変える術はないわ」
「それじゃ、僕はもうおしまいだ」
「そうかもね。・・・ううん、そうではないわ。それは現象世界での法則よ」

「何か解決する方法があるのだろうか」と縋る思いで龍平はまりあの顔を見た。
「人間が現象世界の法則に縛られ、解決方法がないなら、宗教なんて要らないでしょ」
「そうなのか。宗教は、因果の法則も超越するっていうことなの」
「それはそうでしょ。『現象世界』なんて、あるように見えて、本当は無い世界というじゃない。実際にあるのはその奥に実在する『実相世界』だけなのでしょ。光子先生から聞いたことがあるの。尊師高橋先生は、えーっと実相なんだっけ、そう、実相直入(じっそうじきにゅう)すれば、因果を含む総ての心の法則を超越できると説かれたとか」
「実相直入すれば、因果の法則からも思念具象化の法則からも、類は類を呼ぶ親和の法則からも、与えよさらば与えられんの動反動の法則からも解放されるのだね。それにはどうしたら」
「私は勉強中だから、この言葉の意味を説明することはできないの。実相直入はとても困難な道だとか。確か百尺(約三十メートル)もの長さの釣り竿に根元から登って、その先の向こうにある真理を掴むため、命の危険をも忘れて釣り竿の先から飛び出すくらいのことをしなければならないって。それにもうひとつ、これもとっても難しいけれど、実相に直入する為には自分が変わらなければならないって。それも百八十度変わるなら意味も分かるのだけれど、尊師高橋先生は三百六十度変われと言われたそうなの。私はさっぱり意味が分からない。野須川君なら分かるかな」
「ううん、僕にもちんぷんかんぷんだ。だけど君のお陰で希望の光は見えたよ。自分が三百六十度変われば、現象世界の法則や苦悩から解放される道が見つかるかもしれないのだから」

「希望を持ちましょうよ。六月の聖典「光明の光」の輪読会『新町神の子会』は終わったけれど、来月の例会には必ず野須川君を呼ぶから、光子先生の指導を受けながら、尊師高橋先生の教えをしっかり学び直しましょう。その中できっと心の法則を超越する道が見いだせると思うから」
まりあはすっかり怒っていたことを忘れて、笑顔を取り戻していた。
光明の家の教祖高橋は、「この世」とも言う不完全な「現象世界」の、元になる完全円満で永遠不滅の世界を理念的に「実相世界」と定義付ける。
逆に「この世」と言われる「現象世界」は、神が創られた元の完全円満な「実相世界」を、人間の心の眼を通すことで歪められた画像をスクリーンに映し出した影の世界、あるように見えて実在しない世界だと教祖高橋は説いた。
そのような哲学を朧気ながら理解する龍平も、理念上の『実相世界』に直入することも、百尺の竿頭の先に飛び出すことも、三百六十度自分を変えることも、具体的にはどうすることなのか、まったく分からずにいた。

霊園開発申請地に隣接する住宅地、桜台西自治会の住民集会は七月の中旬の土曜日の夜に地区の集会所で開催された。
住民集会がこのように開かれるようになったのは、紛れもなく申請から一年が経ち、ようやくにして霊園事業の許可が降りたからに他ならない。
思えば、申請以来の一年間がまったく無駄に費やされてしまったと俊平は思った。

事業主からの参加者は、野須川俊平(宗教法人香川大社代表役員)と坂下誠(宗教法人香川大社責任役員・関西石材代表取締役)と本田次郎(宗教法人香川大社責任役員・関西石材霊園開発顧問)の三名だった。
五十名近い住民の怒号の中で、霊園丹南メモリアルパークの説明会が始まった。
しかし誰一人、住民側は事業者の話を聞こうとはしなかった。ただ組合の団体交渉のように「墓要らん」「霊園建設絶対反対」のシュプレヒコールを繰り返すのみだった。
俊平は一言も口を開かず、ただ黙って住民たちの叫び声を聴いていた。
混乱に拍車をかけたのは、同じ自治会員の本田次郎が事業者側に所属していたことだった。
「この裏切り者! 本田、おまえは事業者側に立つのを止めるか、自治会から出て行くのか、どちらかにしろ」と本田は住民たちから集中砲火を浴びることになった。
坂下は人選を誤ったと反省した。今後は本田を出席させられないと判断した。
住民集会は一言も事業者からの弁明を聞かないままに終了した。
俊平は下村区長に、来月もう一度、住民集会を開いてもらうことだけ約束させて帰宅する。
帰り際、坂下は本田が先に自宅に戻ったのを確かめて、俊平にこう言った。
「野須川会長、本日の住民集会は酷い荒れ模様でしたが、住民への第一回の事業説明会は概してあんなものですよ。気になさることはありません」
「いや、何も気にしていません。私は和議を出して一度会社を潰しています。その時の債権者説明会に比べたら、今日の集会など、なんということもありません」

「野須川会長、それで今後のことですが、互いに三億作って、あの土地に付いた担保を外す作業に進まねばなりません。今すぐ三億を持って来いと言われても正直不可能ですので、来月に入ったら、こちらから三億持って四つ橋にお伺いいたしましょう。それで会長、会長はこの霊園開発を、黒田会長や、本田君にも相談をされていますが、今後は坂下、私一人に相談するようにしていただきたいのです。それは無理でしょうか」
「坂下社長、前々からそのことを何度もおっしゃっていましたね。少なくとも本田君は、今後住民集会にはとても連れて行けませんしね。来月の初めにふたりで今後のことをじっくりと相談しましょうか」
「会長は我々が出し合う六億の資金を使って、あの土地の担保外しを交渉しようとされるでしょうが、それについてもこの私の意見を聴いていただきたいのです。会長には悪いようにはいたしませんから」
「分かりました。同意書とりも、自治会が相手なら黒田会長の力を借りる必要はないでしょうな」
「そうなんですよ。以前の宅地造成工事の二の舞になったらいけません。もうそろそろ黒田会長とも縁を切っていただかないと」
「それでは断崖絶壁に立って、今後は自治会の同意書とりに儂が取り組みます」
「野須川会長、気休めで言うのではありませんが、いつかは自治会も折れて同意書を出して来ますよ、あの自治会から同意書がとれるのは、会長、あなたしかいません。他の誰も出来ないのです」
「そうでしょうか。それでは今日はこれで失礼させていただき、来月二人で相談いたしましょう。そちらからのご連絡をお待ち申しています」
坂下が言外に言おうとしていることは理解できるも、俊平には浪銀からの三十億の債務が重くのし掛かっていた。

第九章 祈りの効用 その⑬(最終節)に続く