第七章(終わりなき闇夜)その6
「それを聞いて安心や。兄貴はそれで在日外国人嫌いになったかと思っただけ。それよりも」と徳山は慌てて話題を変えようとする。
「どうしてそんなことを。誰か友人が在日外国人なの」
「そうじゃないけど。住民に外国人が多い大阪で商売するなら、日本人だけ相手にする訳にもいかないやろ」
徳山が在日外国人にひっかかるのを気にしながらも、徳山に従い、龍平も話題を変える。
「そう言えば、白鳥木工の話を壺井にした時だった。白鳥木工が『達磨落とし』にかかったのだろうと壺井は言ったんだ」
「『達磨落とし』って何」
「うん、僕も同じ質問をしたよ。聞いてみるとこうだ。例えば工場にだ、一番に地銀が、二番に信用金庫が抵当権を付けていたとする。事業がジリ貧になり、資金が不足して、経営者が銀行には内緒で町金や暴力金融から金を借りたする。返せなくなると、連中は、工場に三番目の抵当権を付けろと要求する。すると連中は、すぐ上の担保権者の信用金庫に、わざわざ挨拶に行くのだよ。信用金庫は仰天して、何という処から借りたのだと、即刻取引解除を申し出るだろ。企業は困るが、連中が返済金額を高利で貸すことで、二番目の抵当権者が入れ替わることになるのだ。すると彼らは今度は地銀に挨拶に行くので、一番の抵当権者も入れ替わってしまう訳だ。これが『達磨落とし』だ」
「いくら高金利で稼いでも、抵当権の設定額で、工場が売れなかったら損じゃないか」
「徳山君、その後は知っての通り、借金は高利でどんどん増えて返せなくなるさ。すると連中は経営者に引導を渡すことになるのだ。工場を獲って、貸金を回収することが目的ではないのだよ。先ず工場敷地の名義を自分たちに変える。次はその企業を使って、思い切り仕入れさせて、取り込み詐欺を行うのだ。倒産するその日まで、経営者や従業員は今まで通り働かせる。実質の会社オーナーは顔を見せない。倒産する時は、経営者家族の夜逃げ先まできちんと世話をするのさ」
「えげつない儲け方だね。白鳥木工もそうだったのか。であれば兄貴を騙した南森町の町金の社長も、東京の壺井も、同じような人間と言う訳だ。それはやばいな。兄貴はどう対処しようと言うんや」
「うちは白鳥木工にはならない。八幡工場についてる抵当権は十五億円だから。うちでの達磨落としは、菊花組関東の企業舎弟が何人集まっても不可能だと思うよ」
「へー、兄貴は肝が座ってるね。見上げたものだ。これは兄貴と壺井の気力勝負だね。いずれにせよ、もっと金利の安い処で資金を借りて、壺井の借金を減らすことだ」
「ああ、そうするよ。だから親父さんには絶対内緒だ」
一月三十日月曜日、龍平は「夕刊おおさか」の広告で見つけた、長堀橋交差点のすぐ東側にあるという町金業者を訪ねようとしていた。手に持っていたのは、自分名義の宇治川ロイヤルゴルフクラブの会員権証書だ。
無断で暴力金融から資金を借りるという父親への裏切り行為に加え、又新たに父親への裏切り行為を重ねる自分に嫌気がさす龍平だ。手に持つゴルフ会員権が自分名義でも、元は父親の俊平が買ってくれたもの、それを内緒で質草にするのはどうなんだと、龍平は後ろめたく、気が重かった。
野須川寝具に入った時、俊平が金を出してくれて、龍平は新設なった奈良五條ゴルフクラブのメンバーになる。龍平は打ち放しで練習を重ねながら、日曜日になると、会社の役員たちを誘って足繁く奈良五條ゴルフクラブに通った。
ゴルフはこれからという矢先に、龍平は東京に赴任し、以後3年間ブランクがあって、なにはや銀行からの出向者、香川によって訪販事業の関西販社から拾われ、本社の経理部長に抜擢された時には、また一から練習しなければならなかった。半年で銀行の接待ゴルフは出来るようになったものの、ゴルフを再開した翌年に会社は和議倒産した。
龍平は世間の目を気にして再びゴルフを止めた。その後、訪販の幹部連中と共にゴルフを始めたが、既にボールのサイズが大きくなって、それに慣れない龍平のスコアは見られたものではなかった。
龍平は年齢が四十を過ぎると、体力保持にも、ゴルフをもう一度したい、今度こそ百を切りたいと思うようになる。だが自宅から片道二時間のゴルフ場は余りに遠く、誘う人もいない。
昨年の夏、そこへ新設の宇治川ロイヤルゴルフクラブの新規会員を募るセールスが会社にやって来た。
そこならずっと近いと思った。夕刊紙にゴルフ会員権の取引相場が毎日案内される時代だ。
丁度宇治川ロイヤルの新規募集価格と、取得価格から数倍上がっていた奈良五條の取引相場が奇しくも同じ七百万円だった。
奈良五條の会員権で払う了解を業者から取り付け、俊平に理由(わけ)を話して、貸金庫から奈良五條の会員証を出してもらい、宇治川ロイヤルの会員証を手に入れたのだ。ただ龍平も、俊平も、宇治川ロイヤルの会員証を貸金庫に戻すのを失念していた。それが幸いしたようだ。
町金が入るビルは十階建てだった。その会社、西田商事は最上階にあった。
カウンター越しに一人の黒服に眼鏡をかけた熟年の男が龍平に対した。
「ご新規様ですね。いくら必要ですか」
「五百万の融資をお願いに来ました」
「担保は」
「私名義の宇治川ロイヤルゴルフクラブの会員権です」
「分かりました。ちょっと宇治川ロイヤルと、あなたの会社について調べさせて下さい」
龍平の名刺を持って一旦奥の部屋に姿を消した男は、十分後には戻って来た。龍平から話しかける。
「宇治川ロイヤルは七百万円で会員を募集し、予定通り集まって一ヶ月後にオープンです」
「あなたのおっしゃる通りですね。内はオープン前のクラブの会員権は扱わないから、本当は担保にはいただけないのですが、まあオープンは目前ですし、あなたの会社も、業歴のある、しっかりした会社のようですから、特別に融資することにいたしましょう。ですが、お貸しできるのは、募集価額の半分の三百五十万円です。返済は要りません。毎月一・五パーの利息だけいただければ良いのです」
「それなら他店を当たります」
「ちょっと待って。分かりました。では四百まで出しましょう」
「やっぱり他店を当たります。今ゴルフ場の会員権はどこもかしこも毎月値上がりしています。宇治川ロイヤルだって、オープンすれば一千万円にはなる筈です」
「手強いご新規さんですね。分かりました。では五百万を出しましょう。ただし毎月、利息込みで二十万円、振込か、此処にご持参下さい。残高が三百五十以下になれば、後は利息だけで結構です。それで良ければ、契約書を作成します」
「分かりました。宜しくお願いします」
龍平は西田商事から借りた五百万円を直ちに東京の壺井に送金した。壺井の一月の発注金額は五十万円程だった。
平成元年一月三十日の壺井からの借入残は、一千五百七十万円。龍平の借金残高は、二社合計二千七十万円で、借入残高は減るどころか、逆に七十万円も増えていた。
この日、龍平は大村に、来月も一コンテナーの羽毛の輸入を宜しくお願いしますと電話で頼んだ。
ところが、大村の回答は、龍平の予想だにしないものだった。
次のオーダーを出す前に、前回の代金を入れてくれと言って来る。大村がこの商売に用意したのは、このワンコンテナーを輸入する資金だけだった。
しかも一月三十一日に、自分への支払いは予定されないと龍平に聞かされ、大村は激怒した。遅くとも二月末には絶対に入れてくれと言って電話を切った。
大村が輸入した一千万円の羽毛を原料にして、固綿敷布団との上下セット約一千セットが出来上がり、三千数百万円の売上が出来たが、一月末日を前後して手形や現金で入金して来る三千数百万円の行き先は、総て決まっていて、大村への最初の羽毛代金の支払いは、二つ目の輸入羽毛が製品にならないと出来ない勘定だった。
二月に入ると、タイミング良く、東京のグランフエザーと共同で事務所を借りていた家具の貿易商の男から電話が入って、ようやく国内の寝具製造業者に羽毛が販売できる体制ができたので、いつでも要るだけ注文してくれと言って来た。昨年十一月に大阪に来た浜と一緒に龍平が会った人物だ。
以後、龍平はその東京のサンロード社から羽毛の供給を受けることになる。
二月になると、中古自動車販売業の徳山がやって来て、その後の壺井からの借入残はどうなったのかと尋ねた。
一千六百万程にしたと龍平が答えると、徳山は目を輝かせ、どこから借りて減らしたのか、龍平からその事情を聞くと、しばらく考えてこう言った。
「そうか、兄貴の覚悟がよく分かったよ。だったら親父さんには、黙っていることにしよう。僕も兄貴の共犯者になるぜ。ローンを貸すから、中古のベンツを買ったことにしてくれ」
徳山は龍平に三百万円のローンを貸した。買ってもない車のローン資金を、ローン会社に出させるのだ。ばれたら徳山の会社は、ローン会社が一社減ることになる。だからそのローンの支払いは、ばれないうちに早く終わらせたい徳山の意志で、十二ヶ月払いにされた。
二月末の壺井からの借入残は、一千三百三十万円にまで減少したが、龍平の借入総額は、二千百万円にも達していた。
二月にやってくると言っていた浪銀ファイナンスの秦田は、なかなか顔を見せないし連絡も無い。
その間に、八幡工場の一番下の抵当権を持つ商社の管理部長が訪れ、「清水の舞台から飛び降りたつもりで五億の抵当権を一億八千万円に引き下げますから、そろそろ一括して支払いしてくれませんか」と言ってきた。俊平のいらいらは最高潮に達する。
二月二十日月曜日、大村が、妻の淑子を連れて、四ツ橋の事務所に現れた。今日は龍平ではなく、会長の俊平と話がしたいと言う。
俊平は大村夫婦を自分の机の前の応接ソファに座らせ、不敵な笑みを浮かべて語り出した。
「大村君には迷惑をかけているようだが、今頃そんなことで文句を言うのなら、なぜ先ず儂に言って来なかったのだ。儂が聞いていれば、あんな奴に売っても、代金は何時入るか分かりませんよ、と教えてやったのに」
「なんてことを言うんだ。野須川君。よくそんなことが言えたものだ。君を見損なったよ。君は何時からそんな悪態がつける人間になったのだ」
「一度世間に不義理すると、人間は変わってしまうのでしょうか」
「何言っているんだ。僕は龍平さんというよりも、野須川俊平君が会社のオーナーなんだから、それを信用して売ったのじゃないか。どうしても払わないと言うのなら、出る処に出るしかありませんな」
「ああ、裁判所にでも、どこでも行ったら良いさ。うちはなんと言われても、払える時にしか払えないのだから。逆さにして振っても何も出ませんぜ」
大村夫婦は血相変えて、事務所を出て行った。
慌てて龍平は二人の後を追った。だが龍平には取り付く島も無かった。このすぐ後に、大村は心労が引き金になったか、大病を患い、入院したのだが、数ヶ月後には帰らぬ人となるとは、龍平も俊平もまったく知る由も無かった。
翌日二月二十一日、東京の病院に入院していた智代の父、岩出富太郎が危篤状態となり、智代は慌てて東京に向かう。昭和天皇の大葬の礼が三日後に迫っていた。
第七章 終わりなき闇夜 その⑦ に続く