第五章(和議倒産) その14

(筆者が経営する第二霊園(羽曳野市)の、モデルさんを使った販促用イメージ写真)

山村の話が売り渡し価額に及ぶと、俊平は顔を上げた。
「いくらで売ったら良いのか、検討を付ける為に、香川君にそちらの毛布事業部の受取手形と売掛金を除いた資産科目の残高を報告させました。三千坪の敷地が二億円。RC造りのビル二棟を含む建物が三・五億円、生産設備等が二・五億円、在庫品四・五億円の計十二億五千万円だそうですね。これ以下の価額で売ったら売却損が出る訳です」
「頭取、申し訳ありません。在庫の四・五億は、坂本が粉飾している可能性があります」
「そんなことは承知していますよ。野須川さん、あなたは早くから気づきながら、放置してきたのですね。もっと早くメスを入れていたら、二十億の簿外債務も何億か減っていたかもしれません」
「申し訳ありません。総て経営者の私の不徳の致す処でございます」と俊平は頭を下げる。
「今更そんなことは良いのです。私は泉州毛布産業の納屋社長に、土地・建物八・五億円、設備、在庫、営業権纏めて四億円、合わせて十二億五千万円での買い取りで了承させました。しかも今の百数十名の工場従業員の雇用も、そのまま泉州毛布産業に引き継がれるのです。どうです、うちの交渉力は」
「あのシビヤーな納屋社長が、よくそんな価格や条件を納得しましたね。驚きました」
「当然です。全額うちが融資するのですから。だからそちらには入金はありませんよ。うちからの借入金が十二億五千万円減少するだけです」
「ひとつお聞きして良いでしょうか。帝都紡績はそれで納得するのでしょうか」

「そちらも話はつきそうです。原料メーカーとの関係をフリーでやって来た納屋社長ですが、これからは帝紡アクリルを主力に使うことになりました。今まで業界の野武士軍団の主のような納屋社長と組んで、毛布の扱いは、どの合繊メーカーにも縛られず、気ままにやってきた大阪の太平洋商事は、これで戦略を練り直すことになるでしょう」
「それなら安心しました。私には黒字で毛布事業部を経営する自信が無くなったのですから、頭取に感謝しながら、御行に総てお任せいたします。どうか宜しくお願いいたします」
野須川寝具の社内は大騒ぎだ。だが誰も毛布事業の再建策は出せず、黙って忠岡工場の売却と毛布事業部の解散を受け入れざるを得なかった。
そして忠岡工場が売却される六月になる。
六月から有働は、千葉店にセールスを回し、横浜・千葉の二店体制にする。そして横浜店を、権太坂から相鉄天王町駅前のビルへの移転を申請して来た。
毛布事業部の営業終了を宣告した途端、毛布の注文が山と来る。人手を減らしたので下請けを使って生産にかかる。六月は四月、五月よりも忙しい。下請け企業には作業完了と共に支払いを済ませて行った。その殆どが八月三十一日期日の手形払いだ。
俊平は六月十六日に誕生日を迎え、五十八歳となる。
六月二十日、野須川寝具産業としての忠岡毛布工場の最後の日を迎えた。
工場の従業員は明日も同じように出勤すれば良かった。ただ自分たちの雇用主が変わるだけだ。
淀屋橋本社の毛布事業部営業部は、坂本を含め、数十名もの社員全員が職を失うことになった。

忠岡工場の売却が一件落着すると、香川と龍平の二人は、本店融資部長から呼び出される。
二人は、数ヶ月前から大東の七百坪の土地と、嘗てカシオペア関西販社の本社だった四階建てのビルを売却せよと命じられていた。大阪市内から離れ、東の郊外を南北に縦貫する巾百メートルの物流の大動脈「中央環状線」を越える向こう側にある為に値段が通らない。
融資部長はふたりに尋ねる。
「引っかかるところもないのかね。八月中にけりを付けろと頭取から、やいやい言われているのでね。それには遅くとも七月中には契約調印だけでも済ませておかないとな」
「検討してくれている会社が、一軒あります」と沈黙する香川の顔を除きながら、龍平は答えた。
「どんな会社だ」
「確か、電設工事か、電機関係の会社かと」
「ではなくて、どこの系列下なのかと聞いている」
「確か、井筒電工の子会社だとか」と龍平は答えた。
「よっしゃ、それなら銀行は都銀の井筒銀行や。ここに相手の社名と住所を書いて。なみはや銀行から井筒銀行に働きかけ、援護射撃してやるから」

野須川寝具の従業員数は、本社七十名、立ち退きが迫られる鶴見工場七十名、八幡工場百二十名、カシオペア販売店百三十名。合計三百九十名にまで減少した。それも七月末で更に鶴見工場の七十名が退社するから、八月には三百名余りになる。

七月に入った。
なみはや銀行の同意を得て、俊平は横浜店の天王町ビルへの移転を許可する。龍平には思い出が一杯詰まった権太坂の店だが、ここで遂に解約された。
大東の売却が決まる。購入する当人よりも、互いの取引銀行同士で決めたようなものだった。
龍平は二十九日に誕生日を迎え、三十四歳となる。
そして遂に、売却物件の代金が集中して入って来る八月となった。
大阪市住宅供給公社から鶴見工場の売却代金が入金した。
続いて大東の土地建物の売却金が入金する。
銀行借入金約三十五億円が減少したことに加え、四月以降の売上ダウンに伴い、支払手形勘定の残高が数億円も減って、野須川寝具産業の総負債額は六十億円にまで減少した。減った負債のうち、三十五億円は有利子負債だ。これまで毎月約五千万円の利息を銀行に払ってきたが、来月からの利息支払いは一千数百万円で済みそうだ。
経理・財務を担当する龍平は、胸の重しがとれたようにわくわくして来た。倒産の危機など、遙か遠くに去ったように感じた。
そんなある日、東京から有働が、名古屋から廣川が本社に現状報告に来た。
その夜、龍平はすっかり息が合った有働と廣川と三名で深夜まで飲んで騒ぐ。有働、廣川らは共に前向きで、訪販事業の未来はとても明るそうだ。龍平には久しぶりの気持ちの良い宴の夜だった。

八月二十七日木曜日、山村頭取は突然、俊平に頭取室に来るように指示して来る。それも珍しく今夜七時にと。
俊平には用件に思い当たる節がない。少し不安に思いながら、出発時刻まで運転手を帰さず待機させ、自室に籠もって執務をとることにした。
思い出したように俊平は龍平を呼ぶ。
「入ります」
「龍平。来月からお前を寝装事業部の責任者にする。以前から井川君が会社を辞めたいと言っていたのだが、儂が止めていたのだ。しかしこの八月末にはどうしてもと言うから、遂に止められなくなった。そして井川君が後継者に指名したのは、何と、お前だ。井川君は、お前のことを好きになれない奴だが、今自分の残して行く仕事が任せられるのは、お前しかいないと言ったのだ。儂は井川に、お前のような若造に京都山本との商売など出来る筈がないだろうと言ったのだが、しかしよく考えてみると井川の言う通り、お前しかいないのかもしれない。そこで経理部長の後任だが、カシオペア統括事業部にいる、以前浜松町で経理事務をしていた林君にさせることにする。香川君には儂から話しておこう。分かったら、もう帰って良いぞ」
そう言うと腕時計を見て、「おっ、時間だな。では頭取に会ってくる」と出かけて行った。
その階の財務本部のスタッフも、俊平会長と運転手を見送った後、全員帰る準備をする。
「龍平君、たまにはどうだ。飯でも付き合えよ」と香川が珍しく龍平を誘った。
「いいですよ」と俊平は笑顔で答える。

香川は龍平を馴染みの居酒屋に連れて行き、店に個室を用意させる。
酒を飲みながら二人の雑談が進んだところで、龍平は、おもむろに仕事の話に話題を変えた。
「香川常務、大変です。私は来月から井川さんの後釜になるのだそうです。私に京都山本の商売が出来るのでしょうか」
「龍平君。その人事案だが、会長とうちのボスが会ったら、話はまた変わるかもしれない」
「香川常務、今夜、父はどんな用件で頭取に呼ばれたのですか」
「今夜の用件か。驚くな。今頃、うちのボスは、君のお父上に引導を渡すことになっている」
「引導を渡すって、そろそろ潰れて下さいってことですか。山村頭取は、野須川寝具を絶対に潰さないって言っていたのではなかったのですか」
「ああ、言ったよ。潰せない野須川寝具は、年商百億円、負債総額百億円、従業員」
「従業員七百名を抱える野須川寝具だから潰せないってことだったのですか、でもなぜ今なのです。カシオペア販売店は意気軒昂で、来月は月商二億円を突破しそうですし、負債額は四十億も減ったお蔭で、来月から一ヶ月の利息支払いが、僅か一千数百万円になるのですよ。もう少し様子を見てからでも遅くはないでしょう。八月三十一日の手形決済には、泉大津の下請けに払った手形が無数に入っていますよ。その支払いを停止したら、大変なことになるのでは」
「しかし前月で野須川家の御友人の加賀商事に払った手形は全額決済された。帝都商事にはいくら手形を払ったかい」
「今向こうの手持ち残高は十億円です」

「それではなみはや銀行の抵当権を超える融資残高はいくらだ」
「それも十億円です」
「じゃ、月末手形を決済したとしたら、帝都紡績の持つ野須川寝具の手形はいくらになる」
「二億円の手形が決済され、八億円の残になリますが、その二億円を決済するには、なみはや銀行の融資を更に二億円増やさなければなりません。だからそれはならんと、八月三十一日に支払停止命令を裁判所から受けようと」
「その通りだ。八月三十一日は千載一遇の好機だ。帝都紡績となみはや銀行で十億ずつ損失を負担しようと、わざわざうちのボスが提案したのに、まともに返答もしない、他人(ひと)を舐めた会社だよ、帝都紡績は。だからボスは、自分の提案した状態に帝紡を引きずり込もうと、ずっとこの機会を待っていた。これには、うちのボスと、地銀なみはや銀行のメンツがかかっているんだ。うちも十億円を和議債権(裁判所にカットされる債権)に突っ込む。だから帝都紡績が持つ手形十億も和議債権にしてやるのさ。これで当行は我が肉斬らせて敵の骨を斬ったのさ」
「もうその流れは止められないようですね。じゃ、四日後の月曜日、月末三十一日に和議申請を大阪地裁に提出するのですね。なみはや銀行の帝紡への恨みを晴らすために、私たちの会社が犠牲にならなければならないのですか」と龍平は泣きそうになる。
「三月の月末は情報がじゃじゃ漏れだった。あれで和議に突っ込んでいたら、事前に知った債権者が回収に実力行使し、夕方には混乱の中で破産宣告を受けていたよ。会長も、君も情報管理が甘い。今度はなみはや銀行の指揮の下、絶対秘密厳守で進めるよ。書類を作成する人間は部門長に絞り込む。部門長

にこの話を明かして、指示を出すのは明後日の土曜、しかも一般社員が帰社してからだ。翌日の日曜に部門長だけ密かに出勤させ、申請書類を完成させる。明日の金曜日は一日、会長には原口弁護士事務所に行っておいてもらうよ。僕たちは明日中に申請に必要な謄本や証明書を揃える。四日後の月曜の朝七時に会長と弁護士が書類を取りに来るから、僕らはもっと早い出勤だ。会長らは七時半に大阪地裁に入る。審査されて八時半には地裁から支払停止命令が出されるだろう。社員が知るのはその時だ」
「では私も父も住む家を探さなければならないのですね」
「そうか、お宅が共同担保目録に入ったままだったか。明日、僕からボスに相談しておこう」

昭和五十六年(一九八一年)八月三十一日、大阪地裁に和議申請が受理され、朝九時に営業が始まる野須川寝具の取引銀行全行に、同社が振出した手形、小切手、自動引落しの類、当日の約定返済、総ての支払を停止する命令が出た。
翌朝の全国紙の一面を飾るニュースだった。負債額は六十億とそう大きくはなかったので第一面の最下段の扱いだった。しかし各行は留置権を行使し、支払停止の後に預金相殺を行った為、実質の債務は五十億円になる。なみはや銀行だけが当座預金を残した。それも無ければ再建はできなくなるからだ。
当日の夜に販社を除く全従業員が淀屋橋に集められ、俊平は、力及ばず会社を倒産させたことを詫びた。ビルは泣き叫ぶ女性従業員の声に包まれた。
同社は当日も翌日も平常と変わらず営業する。それ故か、事務所に押し寄せる債権者は少なかった。翌日、なみはや銀行は頭取の指示で、俊平の自宅を同行の共同担保目録から抜き、担保解除を行った。

第六章 誰もいなくなる その①続く