第九章(祈りの効用) その5
佐藤に帰ったほうが良いぞと言われ、さすがに龍平はむっとした。
宗教と病気は人類の歴史と共に密接な関係があった。人は難病が信仰によって治るようなことがあると、それが信仰を深める機縁となったりするからだ。
しかし逆に言えば、そこが宗教の胡散臭さと思われる所でもある。龍平も実はそう思う人間の一人だった。
だからこの際、そこを佐藤に質問しようと思った。
「では聞いて良いですか。ベン・ハーの映画を思い出して下さい。これから磔刑(たっけい)になる為に十字架を担がされ、ゴルゴダの丘まで石段を登っていくキリストにベンが水を飲まそうとしただけで、ベンの母親と妹の二人とも、地下牢に閉じ込められた間に罹ったハンセン氏病が消えてしまうというシーンがありました。あれを観た時、そこだけが嘘っぽくて、その為にリアルな歴史ドラマが薄っぺらな宗教の宣伝映画になっていると思いました」
「君は何ということを言うのか。もう君はこれ以上、この錬成の講話を聞く資格が無いのかもしれない。君は講師の先生の話を五官で聞いているからだ」
「ではどんな聞き方をしたら良いのですか」
「宗教とは直覚で悟ることだ」
「訳の分からぬ言葉でごまかさないで下さい。直覚って何ですか」
「直覚は直覚だ。考えて覚(さと)ることではないという意味だ」
「では佐藤先生、ハー家の人々がなぜハンセン氏が治ったのかを私に分かるよう説明して下さい」
「それは簡単なことだ。あれは地中海諸国に対して侵略に侵略を重ねて領土を拡大させるローマ帝国が、ユダヤ王国を統治した時代の物語だ。ハー家の人々が帝国の植民地支配に協力しないからと、ローマ軍に言いがかりを付けられ、反逆者の濡れ衣まで着せられて、家族全員が捕縛され、財産は没収されたのだったな。一人息子のベンは、君も知っての通り、ローマ海軍の軍艦を漕ぐ奴隷に売られ、母と妹は全く光が届かない地下牢に投獄された。海戦で軍功を揚げたベンは、奇跡的に奴隷から解放され、ローマ貴族にまで昇進したが、故国の地下牢に長年閉じ込められた母と妹はハンセン氏病に罹ってしまう。ローマ兵らは伝染を恐れ、ハンセン氏病患者が集団で住む谷に二人を移した。ローマから戻ってきたベンに二人は救われ、谷の外には出られたが、病気は治らない。ハー家の人々の帝国への憎しみは一層激しく燃え上がった。しかし彼らがその後観たものは、全人類の罪を贖(あがな)う為に、自らすすんで磔刑への道を選んだキリストの姿だった。そのとき、ハー家の人々の帝国への憎悪が消えたのだよ。ハー家の人々は、神の使徒、キリストの全人類への愛の深さを感じて自分を変えたのだ」
「だからハンセン氏病が消えたということですか」
「そうだ。あのハンセン氏病は、ハー家の帝国への憎しみの現れだったのだ。君は何でも頭で考えようとする。それは悪い癖だ。理屈を突き詰めても、神の真理には到達しない。人間は神の子であるというこの真理を直覚で悟るのだ。このことが分からなければ、貧しい境地から脱出することもできない。君は病気の話など、自分には関係がないと思っているだろ」
「正直言うなら、正にそうでした」
「野須川君、病気が治る体験談は、経済苦で悩む自分に関係が無いと思うのは、とんだ誤りなのだ。貧しさも、病も、共に無明(まよい)から来る。心が歪んで、自分が神によって創られた完全円満無欠な霊的実在であることを忘れているのだ。だから自分の想いを変えるのだ。他人を変えるのではない。自分を変えるのだ。自分が霊的実在だとの自覚を取り戻すのだよ」
「それは私もそうなのでしょうか。佐藤先生は、私の経済問題を解決するにも、私自身が変わらねばならないとおっしゃるのでしょうか」
「この錬成はまだ二日続くが、終わるまでに、君は自分にとって何が問題なのかをきっと知ることになるだろう。そしてそれを解決するには、やはり自分が変わらねばならないと気づくだろうと思うよ」
「だったら問題解決は早いですね」
「馬鹿言え。自分が変わるってことが、どんな難しいかってことだ」
宗教哲学の真理を理屈で求めるなと言いながら、宗教哲学を隅から隅まで熟知した佐藤にぐうの音も出ないほど理詰めで追い込まれているようで龍平は実に不快な気分だった。
悔し紛れに佐藤に反問する。
「それでは佐藤先生、先生も自分を変えた時があったのでしょうか」
「何だって、・・・ふん、それができないから、二十五年も講師を務めながら、錬成会に来ているのさ」と言うなり、食器を乗せた自分のプレートを持って、ぷいっと行ってしまった。
午後の初めの授業は「輪読会」となっていた。
演台に立った講師がこの授業について説明する。
「本来なら、もっと受講者は少なくて、一チーム十名くらいの班に分かれて、聖典や普及誌を輪読した後、一人一人自分の悩みを告白してもらい、その解決を各班のメンバー全員で考える時間なのです。だがこんなに人数が多くては、そうも行かないので、何名か私が選びますから、名前を呼ばれた人は前に出てきて、自分の悩みを差し障りの無い範囲で、皆様に告白していただきたいのです。では先ずは岡山教区から来られている佐藤さん、前に出てきてもらえるでしょうか」
佐藤は真ん中辺りから「なんで儂なんだ」と言いながら、不服そうに演台にやって来た。
講師は佐藤を横に並べて話を続けた。
「皆さーん、この佐藤さん、岡山から来られた、地元では有名な講師さんです。佐藤さんは凄い勉強家です。博学の物知りです。例えば『生命の光』全巻を何回読まれたか、知っていますか。まだ全巻を読んでいない人も多いでしょうが、佐藤さんの場合、全巻を二十回ですよ」
「いや、二十三回だ」と佐藤本人が横からマイクを奪って訂正する。
「失礼しました。佐藤さんはあの四十巻の聖典を二十三回も読まれているのです。だから佐藤さんはどんなことが何巻のどの辺りに書いてあるのか、全部ご存知なのです。凄いですね。光明の家の生き字引と言われる先生です。そんな先生がどうしてまた錬成を受けることになったのでしょう」
と講師は佐藤にマイクを渡した。
佐藤は最初、言葉に詰まっていたが、暫くして語り出した。
「皆さん、儂のような人間にならんで下さい。光明の家の生き字引なんて、とんでもない。儂の家は光明の家なんかでありません。暗黒の家なんです。二年前に愛想尽かして女房が出て行きました」
会場内がざわめきだした。佐藤は話を続ける。
「儂の家の中は宗教や哲学の本が、そこら中、山積みです。女房には服一着買ってやらない儂でしたが、書籍の購入には道楽しました。しかも土曜日曜はまったく家におりません。光明の家の講師が回ってくる勉強会の会場廻りです。よく勉強していない地方講師の先生に意地悪な質問を用意しておくのです。講師の困った顔を見るのが、実に愉快で。こんな男だから、女房が愛そう尽かすのも当然のことです。息子だけは儂のことを分かってくれていると思っていたら、前月、息子にも出て行かれました」
そこで講師が口を挟んだ。
「それはお淋しい生活ですね、佐藤さん。でも佐藤さんは今の状態を決して良いとは思っていらしゃらない。だからそれを解決しようとこの練成会にいらしたのでしょ」
「はい、実はそうなのです。この歳になって、初めて淋しさを味わいました。この練成の最終日が私の誕生日なんです。家族の誰も儂の誕生日を祝ってはくれませんから、良かったら皆さんが祝って下さったら、こんな嬉しいことはありません」
会場は大爆笑だった。講師は佐藤に何と言葉をかけようかと迷ったが、ひとりでに口が開いた。
「佐藤さん、こうなったのは佐藤さんの人生の結果なんだから、それは有り難く受け入れないとね。後は奥様と息子さんの幸福を祈ってあげるしかありませんね」
「はい、そういたします」と言って、すごすご佐藤は自分の席に戻った。
第九章 祈りの効用 その⑥に続く