第八章(裁かれる者たち)その3

 

(筆者の職場の永代供養墓の前でモデルさんを使って撮影した霊園の販促用写真)

「野須川社長、どうしたんや、ぼんやりして。そんなに飲んではいないだろ」
昔の思い出に耽っていた龍平は、壺井に突かれてはっと我に帰る。
「あっ、すみません。私としたことが、ふと他のことを考えてしまっていました」
「そろそろホテルに送ってもらおうか。歳には勝てなくなった。社長はまだ電車、あるんやな」
「大丈夫です。心斎橋から地下鉄に乗ったら、なんとか近鉄の最終には乗れそうです」
「それじゃ、今夜のところはご馳走になっておくわ。後は歩きながら話そうか」
壺井はホテルへの帰り道で、これから自分でベストライフ社の事業とそっくりなマルチ販売を始めるつもりだと龍平に告げた。
マルチ販売(ネズミ講)は最後には風船が弾けるように終わる事業だ。それを承知で壺井は始めるのか。
それくらい壺井は追い詰められているのだと、龍平は感じ取ったが、壺井は台湾クラブの事業が大失敗に終わったことは一切話さなかった。
壺井をそんな刹那的な事業に駆り立てるのは、やはり台湾クラブ二軒同時に閉鎖せざるを得なかったことが原因なのだろう。
壺井をホテルに送りとどけて、奈良への帰り道、龍平は考えた。

壺井が、これから始めようとする羽毛布団を使ったマルチ販売には協力できない。俊平に相談しても、答えは同じことだ。途中経過ではどんなに儲かろうが、無限に続く訳ではなく、必ず最後には売掛金を飛ばされて、野須川寝具が大損をする日が来ることが分かっているからだ。
他のメーカーから仕入れしてくれと、壺井との取引を断るしかない。だがそんな態度に出たら、極道の壺井がどう出て来るのかは予測出来なかった。
しかも壺井からの借金は、まだ五百五十万も残っている。
商売を断るのなら、耳を揃えて全額返せと壺井が言って来る事態になるだろうから、その準備に入らなければならない。龍平は会社の資金繰りよりも、優先すべきは壺井からの借金を一日も早く無くすことだと痛感した。だが、いくら龍平がそう痛感しようが、そんなことが簡単に出来る訳がない。

五月の中頃になって浪銀ファイナンスの秦田社長が、四ツ橋の事務所に俊平を訪ねて度々やって来るようになった。
用件は、栄光建設に売った形にして、実際のユーザーを探してきた八幡工場の前半分を、浪銀が資金を出すから、野須川寝具が買い戻さないか、との誘いだった。
勿論、俊平は、はい、分かりましたと、即答する訳には行かない。
買い戻すなら、巨額の負債が新たに増えるからだ。
俊平は考えさせて下さい、としか返事が出来なかった。
つまり栄光建設に一旦十四億で抱かせたが、なかなかそれを買おうという会社が無かった。

デイスカウント店や有名スポーツ用品店、それに電機製品店などが物件を見た。車に乗る人には交通至便の物件なのかもしれないが、背後の人口が然程大きくなく、どれだけの潜在購買力が期待できるか、不明だったから、どの企業も二の足を踏んだのだ。
秦田は焦っていた。栄光建設ではこの物件だけで、そろそろ一億円の利息がかかっていた。
栄光建設にすれば、浪銀が責任を持って購入先を見つけるから、それまでの間、抱いておくというだけの話であって、それが一年も持たされるのは、まるで話が違っていた。
秦田は、もうこれ以上栄光建設を待たせる訳には行かなかった。
考えられる策は、栄光建設に二億円のリベートを渡して、十六億円で野須川寝具に買わせることだ。
その頃、龍平は俊平に言われて、大昔の寝装事業部の業務提携先だった京都山本に、特許をとっている指圧敷布団を扱ってくれないかと折衝を開始していた。京都山本が見たいと言った訳でも、そのような敷布団に関心があった訳でもなく、一方的にこちらからのアプローチだった。
本来ならそんな自分勝手な業者に会うわけもないし、和議や更生法を出した業者から買えないと嘗て取引関係を解消した京都山本だったが、今は京都山本の寝装担当、常務取締役に出世した田原は、かつての寝具の仕入担当だった時代に、いろいろ因縁のある俊平からのメッセージを携える息子の龍平であったから、無視する訳も行かず、一応話を聞かざるを得なかった。検討しておくとは言うものの、いつまで待っても、田原からの返答がないのは当然のことだった。
俊平は、龍平を呼んで、この件でも叱りつけた。
「お前は、何の営業力も、説得力も無い、無能な奴だ」と龍平を罵った。

さて五月の月末近い土曜の午後、龍平は天満橋の喫茶店にいた。そこに龍平を含め五人ばかりの某かの商売をしている人間が集まっている。バブル景気はまだ余韻があったのに、この五人は揃って商売がうまくいっておらず、こうして仲間で顔を会わせては「何か儲かる話はないか」と尋ね合った。
こういう人間には共通しているところがある。呑気に仕事に関係の無い友達とコーヒーを飲みながら、揃って自分の資金繰りの心配で頭が一杯だ。眼の前でしゃべっている人の話も、自分の仕事に関連が無ければ、何ひとつ聞いてはいない。眼前で語る人が、この月末に破産しようが、そんな他人のことを心配する心の余裕さえ無かった。
だからこそ、自分たちが益々貧しさや損失に導く蟻地獄の巣に落ちていくのだという理屈が、誰にも分かっていなかった。
龍平の訪販時代の末期、布団や健康食品で、システム販売に挑戦した時からの付き合いだ。
その中で、この近くのマンションを事務所にして、健康食品や医療器具の販売をしている人間が、一緒にコーヒーを飲む仲間が関心を持つ興味深い話を始めた。
その男は、ポケットから、細い鎖のついた振り子を取り出し、四名の仲間に名刺大のカードを五枚ずつ配った。
「これは振子(フーチ)と言う磁石の玉だ。今配ったカードに、君たちの友人の名前を名刺の様に大きく書いてくれないか。勿論その人を僕は知らない。その人たちの大凡の性格を僕がこのフーチを使って、言い当ててみようじゃないか。ただし、一枚だけ、君たちを騙した人の名を、僕にはこれだと言わずに、そっと入れておいて欲しいんだ」

全員がカードに名前を書き終わると、その男はカードに磁石の振り子を翳して、何かを祈るように思念を集中すると、翳された振り子が、動き出し、幾つかのパターンを形作りながら回転する。その波形を診て、この人はおおらかな人だとか、職人肌で頑固な人だとか、律儀な人だとか、ずばり名前の人物の性格を言い当てて行った。そして振り子の振れ方が乱れた時に「この人は君を騙した人だ。違うかな」と、嘗て支払いをせずに逃げた男や、取り込み詐欺をした男を見事言い当てた。
「一体、どういう仕組みなんだろう」と龍平が尋ねると、彼は皆にこう説明する。
「そう聞かれると僕にも正直よく分からない。言うならば、この世界には霊気のようなものが満ちていて、僕たちは声を出してコミュニケーションをとるけれど、磁波を使ってコミュニケーションをとる見えない存在があるのではないだろうか」
「それって霊界通信ってこと」と聞く者がいた。
「霊界通信なのか、そうでないのかも、僕には分からない。もうひとつ実験しよう。ここに大阪府の地図がある。このフーチを住吉大社の上に翳してみよう。そうしたらどうなるか、見ていたまえ」
フーチは力強く右回りに回転しだし、チエーンは殆ど水平になるくらい大きく、ちぎれるくらいに強く回った。
「次に、イエス・キリストとか、シャカ・ムニ・ブッダと、カードに書いてみよう」
それらのカードにフーチを翳すと、垂直に垂れるままで、びくともしない。
「このお二人は神格の人だと示しているのだ。このフーチを持っている人の中には、株価の予測に、これを使って大儲けしている人があると聞いているんだ」

龍平はその話を聞いて、このフーチの性格判断とは別な使い方を思いつく。
「分かった。きっとこの空間に存在するが、見えない霊魂や霊気のようなものに、フーチを使って未来のことを尋ねるのだろう。例えばカードに書いたことが本当なら、右に回って下さい。そうはならないのなら、左に回って下さいと念じて、文字の上に翳すのだと僕は思うんだが」
「そうか、野須川君の言う方法で、株の今後の上がり下がりを、フーチに尋ねていたのか、成る程そうかもしれないね」
「その同じ理屈で、僕の未来予測をやってくれないか。知りたいことをカードに書いてみるから」
と言って、龍平はその男からもらった紙片に「野須川龍平は十年後には死んでいる」と書いた。
「えっ、本当にこんなことを聞いてもいいのかな。左に回るよな」と言って、その男が、正しければ右に、違うなら左に回って下さい、と声を出してまで思念して翳したのだが、フーチは右に回った。全員が顔を見合わせ、ぎょっとなる。
龍平は新しい紙片に「野須川龍平は五年後には死んでいる」と書いて、もう一度診てくれと頼む。
フーチの持ち主は嫌がったが、龍平がどうしてもと言うので、嫌々ながらフーチを翳した。
これも右回りだ。
次に龍平は自分の早死にの理由(わけ)を知りたくて「野須川龍平は病死する」と書いた。
身体が丈夫ではない龍平は、もし自分が早死にするなら病死に違いないと思っていた。
しかしフーチはこの質問には、左回りで答えたのだ。
次に龍平は「野須川龍平は事故死する」と書く。病死で無ければ、交通事故死に違いなかった。

ところがフーチはこれにも左回りで答えた。
龍平はまさかと思いながら、「野須川龍平は五年以内に誰かに殺される」と書いて見た。
馬鹿馬鹿しいと思いながら、冗談のつもりで書いた。
ところがフーチは右に回る。これを見ていた誰もが、この答えに驚いた。龍平の境遇や人間関係など、自分たちは何も知っていなかったことに気づく。
フーチを操った男は、驚く龍平をなだめながら、静かな口調でこう言った。
「野須川さん、もしかしたら極道とか、暴力団とかと、付き合いがあるのでは」
「あると言えば、ありますね」
「聞くところでは、今の答えは現在のあなたの運命の傾向を示したに過ぎず、必ずしも未来を言い当てたのではないそうです。しかしあなたがこのまま行けば、その通りになるということです。ですからそんな輩との付き合いは、今すぐ断ち切るべきです。それとこのフーチの答えのもうひとつの見方なのですが、これはあなたが極道なんかに五年以内に殺されると言うのではなく、今あなたの心の中に、誰かを憎むあまり、殺意を持っている。その心の状態を、このフーチが鏡の様に映しただけなのかもしれません。何か、心当たりがありませんか」
龍平はどきっとした。思えば、父親の俊平を殺したいくらいに憎むようになっていたからだ。
父親を殺したいと思う自分も、取引を断られて逆上する極道の壺井も共に怖かった。
こうなれば、信仰深いの人の意見でも、聞いてみるのが良いのではないかと思い出す龍平だった。

第八章 裁かれる者たち その④に続く