第六章(誰もいなくなる)その13

 

(筆者が経営する羽曳野の霊園のバラ園を、モデルさんを入れて池田厚司氏が撮影)

羽毛布団は平縫にせよ立体縫製にせよ、シングルの掛布団なら、四列五段の二十の部屋に等量の羽毛が充填される。立体縫製を二層にするなら、上下同じラインに立体マチを縫うなら二層にした意味がない。二層にすることで嵩出しを求めるなら、例えば下の布団は四列五段、上の布団は三列四段にして、縫製ラインが縦横全く重ならないようにしなければならない。だから中地の表と裏では、まったく違うラインでマチを縫い付けるべきだ。

それには、中地の表の三列四段のマチは表地のマチと合わせて縫製し、中地の裏の四列五段の側のマチと、裏地に付いたマチを合わせて縫製する。それだけでも面倒なのに、上下合わせて十二プラス二十の三十二室に羽毛を充填しなければならない。合わせて僅か一・三キロの羽毛を三十二室に分けるなど、とても面倒なことだ。
岡寺の観音様を拝みながら、龍平がはっと気づいたことは、下の部分を立体にせず、平縫にすることだった。予め中地の片側に三列四段の立体マチを縫い付けてから、裏地との間に四百グラムくらいの羽毛を入れて四列五段で平縫いし、言うなら合掛布団を先ずは作るのだ。それから中地についたマチと表地のマチを縫い合わせ上部だけを立体縫製にして、後は上部の十二室に合計九百グラムの羽毛を充填すれば、一・三キロの羽毛が入った二層立体が出来上がるのだ。
出来上がりを見れば、誰もが、なんだこんなことかと思ってしまう、何でもないアイデアだ。
だから龍平はこれで実用新案など、出願する気は無かった。これを見て業界が真似して作ってくれた方が世のためだと思っていた。

翌日工場で早速試作にかかった。龍平の思惑通り、びっくりする嵩が出る。そして寝てみたら、布団は身体に纏い付いて来るのだった。
二層立体の羽毛掛布団と、羽毛肌布団、羊毛混指圧敷布団、羽根枕、高給掛けカバー、肌掛けガーゼカバー、敷布団カバーのセットにして、東京の壺井のところに送った。
壺井は関西出身の現金問屋、所謂バッタ屋である。
数日後、壺井は龍平に電話してきた。ベストライフ社は大喜びだったと、取扱商品の中で、この羽毛布

団セットが一番の出来だと言ったそうだ。
すぐに龍平は、荻窪から新大久保に移転したばかりの、壺井の新しい事務所を訪れ、ベストライフ社向けの生産の打ち合わせに掛かった。
「野須川社長、社長はやっぱり頼りになるなあ。あの寝具セットは見事な出来映えやった」
龍平は未だ副社長だが、社外の誰もが龍平を社長と呼ぶようになっている。
「ありがとうございます。ところで壺井社長は、きっとマルチ販売の会社などに商品を供給したことはありませんよね」
「それはそうだが、マルチ販売だと何か問題でもあるのかい」
「この売り方は、時間の経過と共に伸びて行きますが、やがて組織の力の限界点に達すると、一挙に何もかもが崩れて消えてしまうのです」
「そうなのか。社長はそれをやった経験があったんやな。それでも何年間でもええから、長く続いてほしいものや」
「何年も続けば御の字です。問題は決済条件。崩れる時は何の兆候もなく、突然やって来ますから」
「うちは、商品入ったら、たとえ数千万円になろうが、即日振り込んでやるぜ」
「ありがとうございます。壺井社長は心配しておりません。問題はベストライフ社の支払条件です」
「そやな、実は月末締めの翌月末振込ではどうかと打診して来ている」
「それは絶対に呑まないで下さい。うちは現金引き換えしか商品は売らんとはっきり言うのです。でないと向こうの組織が瓦解すれば最後の二ヶ月弱の売掛金が回収できなくなるのです」

「それはそやが、言うかどうかや、断られたら元の子もないからな」
「ベストライフ社は、どんな販売法だと言ってましたか」
「信販か現金で選んだ六十万円の商品を購入するのだ。それが入会条件で、会員にはな、翌月から毎月十二万円がバックされるのや。何も客を紹介せんでええのやで」
「何ヶ月振り込みが続くのですか。三ヶ月ですか、まさか五ヶ月ではないでしょうね。それでは商品がただになりますよね」
「その五ヶ月やそうや」
「そんな売り方したら、確かに会員を集めるのは簡単だろうけど、壺井社長、この会社、潰れるのは案外早いと思いますよ」
「だったら、社長の言うように、決済条件はこっちのペースで決めるしかないな。うちの羽毛布団セットが選ばれた時に、ベストライフ社は広島の暴力団、新生会が作った会社なんだとぬかしやがった。つまり、資金の心配はするなということと、品質を誤魔化して納品したら、ただでは済まさんぞ、という脅しのようや。新生会なんて、ちっとも恐れておらんよ。俺は神戸の菊花組の幹部なんやから、ベストライフ社の連中にも、そうはっきり言ってやったさ」
「えっ、壺井社長は、広域暴力団の菊花組に属しているんですか」
「あれ、それ言ってなかったっけ。儂は言わいでものことを口にしたか。なあに心配には及ばない。儂は社長が好きや。だから社長に危害は加えない」
「私は何も聴かなかったことにしておきます。そんなこと誰にも言えません」

「そうしてくれるか。それでや、生産の話やが、この企画の生産に当たって何か問題はないのかな」
「羽毛の仕入れが大変かもしれません。訪販時代には大手の原毛業者から仕入れていましたが、うちのカリスマ幹部が死亡して訪販事業が突然終了したので、原毛業者の買掛金も残ってしまいました。私はそれを少しずつ減らしながら、常に新しい原毛業者から買わなければならない状態で、仕入れには正直苦労しています」
「そんなことは既に調査済みなんや。先日関東の菊花組の幹部会議で、社長の信用審査をさせてもらった。審議の結果、七百万円やったら、資金を用意することになった。どや、それだけあったら、原毛をどんどん買えるのやないか」
「貸して下さるって言っても、私は金を借りる権限は父親から与えられてないのですから、借用書も作れませんよ」
「借用書、そんなもの要らんで。お父さんに言えんのやったら、儂らも黙ってたる。そんなことはどうでもええんや。きちんと返してくれたら、ええことや」
「勿論、お借りしたものはお返しいたします」
「よっしゃ、それで決まりや。明日いつもの口座に、七百万振り込んでおく」
「それで金利は」
「そやった。金利やった。幹部会議で社長の信用状況をランク付けしたのやけれど、あんまり良くなかった。なにせ、初めてのことやからな。すまんが月六パーや。このロットが終わったら、与信枠がもっと増えてレートは下がる筈やから」

毎月残高を減らしながら、十ヶ月後に借入残をゼロにするとしたら、合計二百万くらいの利息を十ヶ月に分けて払うのだから、月平均二十万円の利息となって、龍平はそれくらいなら払えないこともないと、壺井からの申し出を受けることにした。確かにべらぼうに高い金利ではあるが、銀行から融資を受けることは俊平に禁じられ、それが為に原毛の仕入れに難儀するのであれば、仕方が無い急場しのぎには違いないと、龍平は考えるのだった。

翌日なみはや銀行の当座に七百万円が振り込まれた。龍平は今大口の羽毛布団セットの商談があって、そのためにはどうしても新しい羽毛原料商から仕入実績を作る必要性があるのだと俊平を口説いて、東京の新規の羽毛原料商に全額振込み、新規取引先となる道を開いた。
龍平は一番の相談相手だった門真の矢吹に、ベストライフ社の本性が広島の新生会だということや、東京新大久保の現金問屋の壺井が神戸菊花組の構成員らしいと打ち明けた。
矢吹は広島県福山市の出身で、若い頃は新生会とも付き合いがあった。矢吹が言うには、新生会がベストライフ社を作ってマルチ販売に乗り出したのは作り話だと、新生会が、後で足が付くマルチ販売をすることは絶対に無いと、それはベストライフ社が舐められないように語っているだけだ、と龍平を安心させた。
壺井のことはよく分からんが、これも野須川寝具に舐められぬよう、語っているだけなのかもしれない。しかしどこかで菊花組と繋がりがあるかもしれぬから、用心して付き合った方が良い、もしも資金でも貸してやろうなどと言って来ても、そんな誘いに乗ったらだめだと龍平に言い聞かせた。
既に借りてしまったとは、流石に龍平は言えなかった。

第六章 誰もいなくなる その⑭ に続く