第八章(裁かれる者たち)その1
(筆者の前の会社があった今の西区北堀江。地下鉄四ツ橋駅を上がった処だ。現在はすっかりお洒落な街になった)
世間の勝ち組がバブル景気に浮かれて、海外旅行や、デイスコのお立ち台やらで遊び興じている間、そんな華やかな世界に背を向ける様に、龍平は家族と共に次第に貧しくなっていた。しかもそのような闇夜の時代が、龍平の家族には、暫くは続くことになる。
その理由(わけ)は、こういうことだ。
龍平が父親の俊平に内緒で作った個人名義の借金は、元はと言えば、ネズミ講に似たマルチ販売のベストライフ社の、月々二千万円あった付加価値(粗利益)の高い現金売上を、突然無くしたことによる資金不足からの緊急避難だった。
しかしその認識は正確では無い。経営学的に、会計学的に、正確に言うなら、いくら二千万円の売上入金が急に無くなったとしても、仕入支払もそれに伴って何時かは無くなるのだから、本来ならそれによって資金が足らなくなることは無いのである。
龍平の事業の資金不足の原因はこういうことだ。ベストライフ社が破綻するまでは、右肩上がりに急ピッチに東京の壷井商店経由での現金売上は上昇に上昇を続けて来た。この期間中は、運転資金に余裕、つまり何千万円と資金余剰が出ていた筈なのである。
その余剰資金は、売上入金と原料代金の支払の「タイムラグ」で発生した、言わば蜃気楼の様な余剰資金だ。そんな一過性の余剰資金を使って、龍平は嘗ての訪販時代から残っていた買掛金を、度重なる督促に耐えかねて、総て支払ったのである。
だからベストライフ社が破綻し、資金のタイムラグが解消する時点で、訪販時代の買掛金を払った分だけ、資金が不足するのは当然の帰結なのだ。
何度も言うが、買掛金の未払いが三千万円もあった訪販事業の遺産を、心機一転、寝具製造卸事業をゼロから始めた龍平が、俊平に言われるままに継承したことから、資金不足は発生するべくして発生したのである。
和議倒産から八年がかりで和議債務の整理弁済を終え、今新たに丹南町に残った社有地の山林三千坪で宅地開発をしようとする俊平には、訪販事業が瓦解し、三千万も未払金が残った四年前のことなど、今となっては記憶を残すに値しない程の些細な案件だ。
資金不足は寝具製造卸事業の所為ではないことを、龍平は俊平に改めて認識させるべきであった。
そうしていたら、案外俊平は「そうか、そうだったのか」と、親身になって龍平の事業の資金繰りの相談に乗っていたのかもしれない。
それが出来なかったのは、二千万円の資金不足の緊急避難を、俊平に内緒で行われたことが原因である。今更極道の壷井から、月六パーの資金を俊平に内緒で借りて、同額の買掛金を俊平に内緒で支払ったなどとは、言えたものではなかった。
龍平は墓場までそのことを俊平には秘密にしたまま、事業で稼いで、裏の借金を消すしかなかった。
譬え俊平に内緒であろうが、なかろうが、借りたものを返すのは、経理処理上何等問題は無い。
問題はその高い利息の処理だ。壺井の利息は年七割二分、カードローンやオートローンの金利は約二割、サラ金の金利は二割五分から四割が相場だった。
壺井に払う利息がいかに高金利であっても、壺井商店から得られる粗利益から減殺するのは、まだ経理処理が出来るというもの。しかし今や壺井からの借入金の大半を、他の何の関係も無い金融業者が分担している。これらの業者へ払う利息を事業収益で吸収するのは、会計処理上無理がある。だからそれらに払う利息は、龍平が個人の預貯金を取り崩して支払うしかなかった。
それに給与の安さや、度々貰えなかったことも加わって、平成元年から坂を転がり落ちる様に、龍平は資産を失って行った。
龍平はそんな状態に、ただ諦めて何もせず、甘んじていたのではない。必死に「富」から見放される状況から脱したいと足掻(あが)いていた。
そしてそれを解決する鍵が、宗教家高橋の「光明の家」の思想の中にあるのではないかと読み漁る龍平だったのだ。
その書の中に、幾つもの貧乏な境地から脱して行く人の体験談が載っていたからである。
龍平は「光明の家」の聖典「生命の光」全集四十巻を平成元年の暮れには読み終わり、今はそれをまた初めから読み直していた。
教祖高橋は、凡そこの世はすべからく現象世界であって、それとは別に本当の世界があるのだと、その本当の世界こそが、実在する世界であって、宇宙の創造主が創られた完全な世界なのだと説いていた。今自分が自分だと思っているこの肉体の自分のほかに、本当の自分がいるのだとも説いたのだ。
龍平は教祖高橋が著した聖典と呼ばれる四十巻を全頁読んでも、我流で解釈していた為に、教祖高橋が説く「ほんとうの自分」の意味を、まだ正しくは理解できていなかった。
「ほんとうの自分」を龍平は「自分の良心」くらいにしか理解できなかったから、いくら「生命の光」を読んでも、いくらもがこうが、いくら足掻(あが)こうが、貧乏の底に滑り落ちて行く蟻地獄の罠から脱出する術を、まだまだ見つけることが出来なかった。
龍平にすれば、「神」に通ずる「ほんとうの自分」は、自分がこの世に誕生したときから持っている心の奥の「良心」そのものであって、そういう意味では、この世は「良心の自分」と「肉体人間の自分」とが対立する世界、「善」と「悪」とが対立する世界なのであった。だがこのような世界観は、光明の家教祖高橋が説いた世界観とは、実はまったく違うものだ。
平成二年五月、連休が明けると東京の壺井が珍しく羽毛布団を十枚注文してきた。壺井はそれと同時に近々大阪に行くと龍平に伝え、「いいかげんに残った貸金を耳を揃えて返してくれ」と付け加えることを忘れなかった。
翌日、龍平は壺井商店に羽毛布団の出荷内容を再度確認する為に電話をすると、壺井は留守で、代わりに経理をアルバイトで担当する年増の女性が出た。
「あら、野須川社長、お久しぶりですね。お元気でしたか。今日の出荷明細ですか。・・・、はい、それで間違いないです。ここだけの話なんですが、三月末は大変だったのですよ。ちょっと聞いて下さい。あの華僑の女、また別のスポンサーを見つけたらしく、そちらに移ったのですよ。うちの女の子も、黒服(飲食店の楽屋裏の仕事をする男子社員)も、全員を連れてね。あの女は本業でも多少は稼いでいたのでしょうが、それよりも、鼻の下を伸ばして多額の支度金を出してくれるスポンサーを、次々乗り換えることでボロ儲けしているに違いありませんわ。そんな訳でうちの壺井、暫くは茫然自失でしたわ。四月は二つの店の後始末で、それはそれは大変でしたの」
「それじゃ、失礼ですが、損失も大きく出たのじゃ」
「それは知りません。私には何も言いませんからね。もう一度、布団や雑貨の商売に戻りなさいとは、私が言ったのですよ。でも私からこんな話を聞いたと、壺井には絶対に言わないで下さいね。きっとですよ」
数日後の夕刻、壺井は珍しく若い女性と二人連れで四ツ橋の事務所にやって来た。壺井はその女性のことを、最近雇った自分の秘書だと言うが、いかに彼女がスーツ姿であろうと、俊平や龍平の眼には、どう見ても世間ずれした風俗嬢の類(たぐい)であった。
仕事の話はすぐに終わった。俊平の前では台湾クラブの話題は一切出せない。壺井はその若い女を一人でホテルに行かせた。なんでも彼女には安いビジネスホテルを予約し、自分は日航ホテルを予約したと、聞かれてもないのに、自分たちは今夜別々にホテルに泊まるんだと説明を加える。だがこの女は、深夜になってから、きっと身ひとつで壺井が泊まる部屋にやってくることが龍平には分かっていた。ホテルを別々にしているのは、壺井の今の若い妻への気遣いであり、会社で経理事務をする事務員の元カノへの気遣いだろうと思った。
壺井は龍平を連れて、日航ホテルでチエックインを済ませ、宗右衛門町に繰り出し、店の中に生け簀がある、壺井のお気に入りの活魚料理の店に行く。
その後は、三つ寺筋のいつものクラブで深夜まで飲んだ。
このところ、ずうっと「生命の光」全集を読んでいた龍平は、極道の壺井とこの様に付き合うのに、次第に拒否反応が生じるようになっていた。
飲んでいる途中で、壺井は龍平に、日航ホテルにもう一部屋予約を入れないかと言い出す。
「野須川社長、この店は何年通っているのかい」
「和議の後だから、かれこれ九年になりますか」
「それだったら大丈夫だぜ。社長からママさんに、今夜一緒に泊まってくれる女の子をひとり紹介してくれと頼んだら、きっとママは、上得意の社長の願いを叶えてくれるさ」
龍平は顔色を変えて、拒絶した。
こんな男と付き合い続けたら、自分は益々駄目になって行くと痛感した。
こんな駄目人間の極道でも、付き合いを断る勇気も術もないのだと、龍平は自分の今の境遇を呪うのだ。
壺井の誘いを拒絶したが、そちらに心が動く自分と、人間としてふしだらなことを断固拒絶する自分とが龍平の中で葛藤し、前者に後者が勝ったのだった。勝った方が、「ほんとうの自分」なのだと龍平は考えた。
こんな場面が、昔々、龍平には今と同じようにあったことを急に思い出す。
それは昭和四十四年の暮れ、龍平が兵庫県の国立大学を卒業する直前のことだった。
奈良の県立高校の同窓生、桂綾子を、急に自分の妻にしたいと、強く思い出したときのことである。
第八章 裁かれる者たち その②に続く